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ヨーロッパの希望

2015. . 26

 ギリシャ総選挙の速報を、早起きして、ワールドニュースでみた。予想通り、SYRIZA (急進左派連合) の圧勝である。この時点で、得票率は36,2%に達し、ツィプラスは、「屈辱と苦難の時代は終わった」と、勝利宣言した。
 以前、「ギリシャ危機」が騒がれ、日本のマスコミが、見当違いの報道を繰り返し、あげくの果てに、「ギリシャ人は人口のほとんどが公務員」で、「働かない」で給与をとり、「怠け者」で、童話の「アリとキリギリス」に例え、ドイツなどの「アリ」に対して、ギリシャ人を「キリギリス」だとばかりに言い放つのに、僕は呆れ果てて、繰り返しこのブログに書き、訴えてきた。
 「ギリシャの危機」とは、「格付け会社」などの国際金融機関に操作され、彼らの利益のために意図的に仕組まれ、また、ドイツ、フランスなど、「EU先進国」は、ギリシャに要りもしない軍用ヘリコプターから潜水艦、はては市電などのインフラまで、無理に買わせ、債務を膨らませ、総じてギリシャ国民に押し付けられたものだ。国民には何の責任もない。
 それなのに、EUは、欧州委員会、IMF,ECB いわゆる「トロイカ」が、債務を国民の責任に帰し、ギリシャ国民に「緊縮財政」の名のもとに、ツィプラスのいう「屈辱と苦難」を押し付けた。25%を超える失業率に、年金の50%カット、公務員15,000人の削減、さらに消費税は25%に引き上げられ、ギリシャ国民の多くが路頭に迷った。巨大な反対デモが何派も組織され、騒乱になり、死者まで出た。だが、当時から現在まで、政権はその「緊縮財政」を強行してきた。今話題の、トマ・ピケティによれば、「最もやってはいけない」経済政策であった。そういえば、ピケティは、先のギリシャ危機当時、パパンドレウの「ドイツ人にナチの遺伝子がないように、ギリシャ人に怠け者の遺伝子はない」という言葉を紹介して、EUのギリシャへの対応を批判している。


                          Alexis-Tsipras-assailli-par-les-medias.jpg                                            


 とまれ、ツィプラスと彼の急進左派連合の勝利は確定した。EU離脱、「ギリシャの破滅」など、さまざまな恫喝に屈せず、「緊縮財政」をストップし、EUに債務の再編を迫るという、日本的に言えば、まさに「民意」が示されたのだ。ギリシャは、戦後、ナチ・ドイツへの賠償請求を放棄した歴史がある。EUの支配国たるドイツに債務の再編を迫ることにためらう必要などない。まして、その債務にギリシャ一般国民は何の責任もない。


 SYRIZA の決起集会には、ドイツ左翼党 (もはやドイツ野党第一党だ。)や、スペインのポデモス ((「我々は出来る」) の代表も参加している。ツィプラスはEU離脱などと言ってはいない。現在の「トロイカ」支配を脱却し、ヨーロッパ各国の左派政党の勝利を期し、新しいヨーロッパの連合を、ヨーロッパの「働く階級の団結」を訴えているのだ。僕はこの考えに全面的に同意する。この勝利は他のヨーロッパ諸国の左派政党を勇気づけるだろう。ヨーロッパに希望が見えた日だった。





写真は「パリ・マッチ」から。







2015年の現実とは

2015. . 07
 2015年を迎えた。同世代の多くがそうであるように、老いた親族の面倒をみつつ、介護のさわり程度のことで、忙しい年末年始であった。もっと大変な思いをしている同世代が多いに違いない。

 さて、昨年末、読書家の世界、出版界で最大の話題は、ピケティ「21世紀の資本」の刊行だっただろう。みすず書房らしい素晴らしい装丁の大著である。6,000円近い重い本なのに、よく売れているらしく、12月8日に出版されるや、版を重ね、クリスマスのころには第5刷になっていた。
 僕も年末から読み始めた。平易な文章で読みやすいが、さすがに小説のようなわけにはいかず、ゆっくりゆっくり、少しずつ読んで行っている。いくつか解説本なども出ているが、読み方が偏るのがいやなので、直接しっかりと読むことにしている。経済学に明るい人は第1部を飛ばして「はじめに」と2部から読めばいいと言われているが、僕が従来読んできた本と用語の使い方が若干違うようなので、とにかく、遅くてもいいからしっかり読もうと思う。ただ、はじめの部分で著者は全体の概略と主張を述べているので、確かに飛ばし読みも可能だろう。だが、せっかく200年の長期にわたるデータを出して書かれているのだから結論や主張だけとりあげて読んだ気になるのももったいない。それに、当初、マルクスの「資本論」の知識がバックグラウンドとして必要と思っていたが、むしろ、ジェーン・オースティンやバルザック、あるいはゾラなどを読んでいて、19世紀の英国、フランスの「風景」が、さらにその「格差」社会がみえていることのほうが、読書の前提として重要なようだ。なかなか痛快な読書でもある。
 

 20世紀はじめ、2度の世界大戦によって資本ストックが破壊され、その後、回復し経済成長がおこる。それが、それだけが、例外として、基本的に、資本蓄積は常に経済成長を上回っている。富は富豪、大企業に集中し、格差は拡大する。
 長く、大きなスパンで描かれたこのような著作を読んでいると、確かに、現在の政策担当者が、与野党を問わず、ことごとくこの「格差拡大」を助長する政策を推進しているのがよくわかる。株価のつり上げ、派遣労働の規制緩和などはその最たるものである。普通の国民はもちろん株など持っていないし、大企業の正社員に「賃上げ」を迫っても、派遣の入れ替えを促進すれば、儲かるのは竹中のような派遣会社のトップだけである。(政府はさらに巨額の助成金までプレゼントしている。) 野党は野党で、民主党は、ピケティが(公的債務について) 「最悪の解決策」と言った緊縮財政を打ち出し続け、与党時代、その親玉・与謝野を入閣させ、(「消費税に逆進性があるというのは迷信だ」と彼は言った。) 自・公と結託して消費税増税を決行した。今、円安に追い打ちをかけられ、国民の生活は本当に危機的である。さらに、この春、決算を終えた中小企業が、「上がった」消費税の納税時期になってどんどん倒産していく情景が目に浮かぶ。その程度の想像力もなく、民主党なる政党は、完全に財務省、財界の側についたのだ。
 年末の選挙で、安倍はさらなる増税を「先送り」し、財務省をはじめとする増税、緊縮財政論者にチャレンジし、解散に打って出た。これは直前のブログに書いたが、増税を先送りした安倍 対 増税し、さらに増税しようとする民主党 という構図を作られたのだ。勝負ははじめからついていたと言っていい。正月の討論番組で、竹中から「民主党はどうして(安倍に対して)増税しろと言わなかったんですか?そうすればちゃんと対立軸が出来たのに。」と挑発され、辻元などぐうの音も出なかった。
 また、その民主党が「共闘」しようとしている「維新」では、かつて橋下がなんと「フラットタックス」を主張した。これもピケティをひくまでもなく格差拡大助長が当然と言わんばかりの税制提案である。
 結局、日本の場合、政治家たちが、与野党を問わず、大企業トップ、官僚、マスコミトップと並んで、同じ階層を形成し、資本蓄積を自分たちで山分けして、同じ利害のもとに行動しているわけだ。

 さて、これが、資本、金だけの問題であれば、(それでも生活と命のかかる大変な問題だが、) ここまでの話だ。 だが、現在、安倍政権は本格的に「改憲」を射程に入れ始めた。前に何度か書いたが、これは、国家の在り方そのものに関わる重大な問題だ。ここでも、民主党の大半は改憲派で自民党の補完勢力なのである。
 今回の選挙で救いだったのは、言うまでもなく、「オール沖縄」の辺野古移設反対の民意の勝利であった。それにつけても思い出されるのが、民主党政権の2010年である。時の首相・鳩山は沖縄を訪問し、怒号につつまれながらも、「現実的解決」として、辺野古移設の日米合意にサインすることを仲井真知事に告げ、公約の「県外移設」は、なんと「公約ではなかった」と言い切り、「抑止力維持の観点」を考えろと沖縄の人々を脅したのであった。そういえば、この件で、辺野古移設反対の社民党は連立を離脱し、権力に未練たっぷりだった辻元はその社民党を出て民主党に鞍替えしたのだった。今度の選挙結果をどう受け止め、沖縄の人々にどう説明するのだろう。
 

 およそ、「現実的に・・・」とか、「対案を・・・」とかいうのは、昔から改憲派の、乃至は権力側の決まり文句である。「憲法は理想にすぎない」とか、あるときは、自分勝手な経済政策を出してきて、反対すれば「対案を出せ」という。そんな言葉にだまされてはいけない。その「理想の」憲法のもとで70年、日本は戦争をせず、自衛隊はひとりの人間も殺したりしていない。それが「現実」である。また、例えば増税などしなくても、「彼ら」が奪って行ったカネを取り返せば財源はいくらでもある。「現実的」問題は税金をどこにかけるかだ。口先だけに終わった「事業仕分け」だって本気でやればまさに「現実的」効果はある。問題は政治を、誰の立場に立って行うかだ。1%の側か、99%の側か。民主党はかつて99%の側に立つと「嘘をつき」、政権を取るや1%の側にたつという人として許せないことをやった。2度と権力を与えてはいけない。
 
 
 

 敵は多く強く見え、味方は少なく弱く見える。だが、本当は逆である。我々は99%だ。「現実的である」こととは、現実を見据えることからしかはじまらない。このブログでしつこく言ってきた「働く階級の団結」は理想論ではない。
 ゆっくりピケティを読もう。
 

 この25日、ギリシャでは総選挙だ。「EU離脱」、デフォルト、云々と恫喝されるが、ツィプラスは「EU離脱」などと言っていない。もともと、要らない兵器や、過大なインフラを押し付けられ、債務を負わされ、「格付け会社」などという国際金融機関に金利を操作され、彼らに巨額の利益をもたらし、ギリシャ国民は犠牲だけ押し付けられたのだ。これ以上、ギリシャ国民は「緊縮財政」などに耐える必要などない。恫喝に屈せず、緊縮財政など吹き飛ばして、まさに「働く階級の団結」を願ってやまない。

















解散だそうだ

2014. . 26
 ちょっと長いヨーロッパ出張から帰ってきた。すでに、選挙騒ぎである。「アベノミクス」の評価がどうだとか、いや、争点は集団的自衛権だとか、色々と騒々しい。海外でわずかなニュースにしか接しなかった身にとっては、なんだかすべてが見当はずれに、またむなしく思える。この感覚はなんだろう。さて、実際の投票日になったらどうするのだろう。世の中はどう動くのだろう。
 少し落ち着いて考えてみたい。
 ブダペスト、ブルーノ、ブラティスラヴァ、プラハ、ワルシャワ、バーゼル、そしてパリで少し休み、先週帰国した。途中、何度か、ホテルのTVでニュースを見た。G20の画面が何度も映し出される。が、安倍が映ることはまずない。習近平、オバマ、各国首脳、そして何度も出てくるプーチン、といった具合。日本はどこにいるのか?くらいである。それほど、ヨーロッパにいると、日本の存在感は薄い。現地の人との会話では、ISIS、中国に対する危機意識の強さを実感する。特にISISは、彼らにとっては、「すぐそこにある危機」だ。イラク、シリアから地中海南岸(北アフリカ)、そしてスペインにいたるまで、彼らは領土的野心を持っているのだ、と言われる。
 まあ、日本のことが、扱いが小さい というのは、もしかしたら、「僕が見ていない」か、あるいは「見えていない」だけかもしれない から留保するとして、大きく、何度も出た画像がある。それは、"Slip into recession" そしてもちろん、"Abe, early election" である。(「アベノミクス」などという我田引水の造語が聴かれることはない。)
 要は、日本が「深刻な不況」に陥った、と現地では認識されているということだ。それはそうだろう。円安は対ドルで、安倍政権になってから3割進んだのだ。海外からみれば、日本の国富、総資産が3割減ったというわけだ。それに増税が追い打ちをかけた。当然GDPの6割を占める消費は冷える。「安倍不況」である。(よくデマで、日本は「中福祉・中負担」だとか、「ヨーロッパより消費税が安い」などと言われるがとんでもない。ヨーロッパに消費税などない。あるのは、日本の役人が面倒だからやらないVAT(「付加価値在」)である。日本ではフェラーリでも地方の生活の足・軽自動車でも、はたまた食品でも消費税は同率だ。これは生活、消費を破壊する。やるなら、贅沢品に高い税率を課すラグジュアリー・タックス、そして累進性の高い所得税、あるいはカネでカネを儲けたものにほんのわずかに課す金融取引課税、があるべき姿だと以前から思っている。) 僕は前にも書いたが、日本国民は通常自分の預金、資産は日本円で持っている。それが3割目減りしたのだ。本来、自国通貨の価値を守るべき中央銀行が、その価値を意識的に下げた。あの、アメリカ合衆国という強力な後ろ盾があってさえ、ドル安にすれば不信を買うのである。だから政策を変えざるを得なかった。日本のような「影の薄い」国が、自国通貨の価値を下げるなどということを中央銀行がやるのはほとんど狂気の沙汰である。通貨の価値が上がって滅びた国はないが、自国通貨の価値が下落して滅びたか、おかしくなった国はやまほどある。世界はそれを見ているのだ。
 そして、増税によって不況を招き、結果、「解散せざるを得なくなった」というのが、ヨーロッパでの報道であった。

 さて、帰国してみてもっと驚いたのは、この解散劇に対して、野党第一党たる民主党が、まったく対応できていないことである。これもまあ、当然といえば当然なのだろう。ところが、さらに驚いたことには、反安倍政権をいう人々が、性懲りもなく、「民主党にもう一度政権を」などと言いだしてしまっていることだ。これほど国民感情を無視した、あるいは世界的常識から外れた話はない。落ち着いて、経過をみよう。安倍は「さらなる増税」を「先送り」した。そして解散に打って出た。民主党は、もともと、「民主党政権」にあって、自・公を抱き込んで10%までの増税を決めた。政権に着いたらすぐ、「10%に増税すれば景気が良くなる」などと言い始め、実行に移したのである。「先送り」にした安倍 対 「10%までの増税を決めた」民主党 という構図を作られたのである。だから、公約でも、民主党は消費税についてはひとことも触れない。触れられないのだ。国民にしてみれば、「先送り」されたさらなる増税を、民主党は「早倒し」するかもしれないのだ。安倍が「民主党を潰す」と張り切る所以である。 
 さらに、民主党は秘密保護法や集団的自衛権が争点だなどと言い出した。僕に言わせれば噴飯ものである。民主党は、秘密保護法に当初反対しなかった。「修正」でお茶を濁そうとしたのである。そうしたら、他の党の修正案で通ってしまったので、駄々っ子のように反対を言い始めたがもう遅かった。当たり前である。集団的自衛権行使容認(=解釈改憲)に至っては、民主党の何人もが、自民党と一緒になって、これを推進し、メディアでも危機を煽り、党として「反対」などしなかった。いまさらながら、まったく主張が「軽い」のである。あるいは「嘘八百」ということである。政権に着いたら、逆のことを言い出す可能性があるのは前の「政権交代」で実証済みである。2度とこの党に権力を持たせてはならない。嘘をついてひどいことをするだけ、ある意味安倍政権・自民党よりひどい。

 さて、いずれにしても、沖縄知事選など、明るい、前向きなニュースも聞こえてきた。安倍政権を倒す機会であることも確かだ。安倍、麻生の顔などもう見たくないのだから、ここはチャンスととらえよう。

 そうそう、ヨーロッパのスポーツニュースで一番盛り上がったのは、ラグビーのテストマッチで、フランスがオーストラリアを破ったことだった。南半球の代表チームに勝つというのは、やはり格別なものがあるようだ。

 まあ、「驕れるものは久しからず」。安倍たちにも、民主党にも、とっとと退場してもらいたい。









10・8山﨑博昭プロジェクト

2014. . 08
 今日は10月8日。このブログを書き始めた年の10月8日にも、同じように書き出したと憶えている。1967年の10.8からもうじき50年、「あと3年」である。この「50周年」にむけて、「10.8山崎博昭プロジェクト」がはじまり、先日の土曜日、講演・懇親会に参加してきた。直接関係者、つまり10.8羽田闘争参加者や、発起人の方々よりだいぶ若い僕が、プロジェクトを知るやすぐに申し込んで参加したのは、もちろんこの「10.8」に特別な思い入れがあるからである。

 67年の10月8日。日曜日のその日、佐藤栄作総理は南ベトナム訪問に出発しようとしていた。これは日本の全面的な参戦国化、ベトナム戦争の一方の極への直接的な加担を意味していた。当然これに反対する勢力が存在した。なかでも、3派全学連は全国動員で前日から拠点大学に泊まり込み、羽田現地実力闘争によるこの訪ベト阻止闘争を組織した。この後の新左翼運動のいわば起点になる闘いであった。空港に至る3つの橋のうえで機動隊と激突した部隊は、阻止線を突破し、放水車の屋根をこえ、激しい闘いを展開したが当然厳しい弾圧にあい、京大1年生の山崎博昭さんが権力の手によって撲殺された。

                                              10-8-03.jpg 

                                

 翌日の新聞は、はたして「暴徒、暴力学生キャンペーン」であった。(「過激派」という言葉はまだなかった。) 山崎さんの死因も、学生が「乗っ取った」警察車両による「轢死」と発表された。これは、今回のプロジェクトでも、当時の病院で本人を見たご家族も、はじめに対面した弁護士も、みな否定している、根拠のない権力の「でっち上げ」だった。

 さて、僕はと言えば、まだ中学校から高校へ上がったばかりの秋のことであった。中学時代、ボーイスカウトをやり、音楽が好きでラジオに熱中したり、読書は好きだったが、小説か、岩波新書といえば「自由と規律」くらい、といった、「ノンポリ」の,高校へ進学したばかりの男子、1年生にとって、この出来事のインパクトは大きかった。そして、当初は新聞報道そのままに、「大学生でもずいぶん乱暴なことをするものだ」くらいに思ったものである。
 ただし、僕は高校の「社会部」に入っていた。そして、その部室では、上級生たちととともに、マスコミとは全く違った討論が展開されていたのだった。そもそも、翌年部長になる2年生のKは羽田現地まで行っていた。「気が付いたら機動隊の前面に出ていた。怖かった。」と、その体験を話したものだ。ベトナム参戦国化に反対するのも、「空港へ一人でも出られれば訪ベトを阻止できる」のだから、実力闘争も当然、という話にそこではなっていたのだ。で、社会部としては、「暴力学生キャンペーン」を張った新聞各紙を買い集め、保管する、という決定がなされた。奇妙かもしれないが、要は、後々、ベトナム反戦ということで、マスコミが、この闘いについて「評価」をしはじめるだろうと、その時、「あなた方はこんな記事を書いたではないか!」と告発する というわけである。今にして思うと、ジャーナリズムに関してまだ牧歌的というか、非常にナイーブに実は信頼していたということがわかる。

 ともあれ、僕自身は、この「ベトナム反戦闘争」にはすっかり感化されてしまった。死者まで出して闘った全学連の大学生にシンパシーすら感じるようになった。よく言えば「意気に感じ」、やがて高校生運動の一端に参加するようになる。たいしたことはしていないのだが、例えば、その後、クラスの半分以上が、ベ平連の売り出した「殺すな」と書かれた反戦バッジをつけて授業に出るようになった。僕は先輩社会部員から「バッジブローカー」とからかわれた。とにかく大量にばらまいたのである。

 10.8は、多くの同世代の、あるいは少し上の世代の人々と同じように、僕の人生観・社会観を決定的に変える転機となった。その後、つき合う友人から、読む本から、すべてが大きく変わっていったのである。何より、多少なりとも、デモや集会に行ったりして、運動に参加するようになってから、自分の高校生活そのものが変わった。運動に関わるときは、当然緊張もあったが、明るくなり、充実感をおぼえたものだ。10代らしい「粋がり」もあったし、後になれば恥ずかしいくらいの言動も多々あったと思う。が、もし高校生運動がなかったら、と逆に考えてみれば、どんなにかつまらない人生だっただろうと今でも思う。

 そんなわけで、この10.8プロジェクトには1も2もなく感動し、また、東大闘争以来、久しぶりに、山本義隆氏が「講演」する ということで、会場の「きゅりあん」へ出かけた。


                                            10.8、その2



 当時の映像スライドからはじまり、ドキュメント映画「現認報告書」を観た。マスコミの「暴力学生キャンペーン」の嘘、山崎さんの死因に関する権力、マスコミの嘘がよくわかる。モノクロの迫力のある映像は、闘いの実相をよくとらえていた。権力を前にした学生リーダーのアジテーションは悲壮なものだが、後の「全共闘」のものとは一味もふた味も違う内容の濃いものであった。
 発起人を代表して兄・山﨑健夫氏からの話、博昭氏の最後のお母さんとの対話、何より遺体との対面、ヘルメットなしで頭部を集中的に打たれ、警察発表のタイヤ痕などまったくなかったという証言などが続いた。これは初めに入った病院の牧田院長も証言している。
 司会にあたった佐々木幹朗氏、詩人です、と自己紹介。そう、彼の「死者の鞭」はみんなで読んだものだ。また、僕は68年当時、「展望」に載った彼のエッセイが忘れられない。その一節、高校の社研の部室に、それだけは消されずにずっと残されていた落書きがあったという。「遠くまで行くんだ・・・」。彼は山崎博昭さんと大手前高校社研の活動をしていたのだ。そして、同じく、発起人の三田誠広氏、彼も大手前高校社研だ。元議員の辻恵氏のあいさつ、賛同人、賛同金の依頼が続く。僕も、少し余裕が出来たらすぐ出そうと思う。弁護士の小長井氏は当日、病院で医師以外ではじめて遺体をみたひとだが、「脳内出血以外の傷は一切なかった」と断言した。僕たちにはおなじみだった救援連絡センターを作られた水戸喜世子氏、同じセンターの山中氏などの挨拶が続いた。

 そして、いよいよ、このために来た人も多かったと思うが、山本義隆氏が登場した。72歳。白いひげをはやしていた。が、まっすぐ背筋を伸ばした姿勢、知的な眼と話し方は昔のまま。60年、東大入学、その4月はもう安保闘争で、駒場は全学ストだったそうだ。26日は議事堂へ。僕たちの言う4.26闘争である。成績優秀で、物理学、数学の勉強に集中するはずの学生が否応なく政治の波に入ってゆく。ときの東大でのアジテーターは西部邁であったそうだ。
 さて、山本氏は、当時の安保阻止国民会議の、特に強行採決以降の盛り上がりを支えた「民主主義を守れ」という方針、乃至は共産党の対米従属論に対して、ブントー全学連の「日米新時代」、日本帝国主義自立論という分析の違いを話してくれたのだが、そのとき、岸が58年以来、ずっと、「潜在的核武装」を唱え、東海村を頻繁に訪れ、日本の「核武装」を、いわば対米外交のカードとして使おうとしていたのだ、と、ブントの「日帝自立」という分析の正しさを、いわば原発の問題から説明した。さすがだと感じたものだ。ともあれさらに、6.15、樺さんが亡くなり、6.18、自然承認。そのデモ隊の横を総評の宣伝カーが「10年たったらまた闘いましょう・・・」と言って通り過ぎる という、当時の現場の雰囲気をも伝えてくれた。岸はこうして「自立」路線をとろうとしたが、結局破綻し、辞任せざるを得なくなり、代わった池田は対米追従路線をとり、「カネ儲け」に集中することになる。「高度成長」などといわれるが、これも結局は朝鮮特需~ベトナム特需のおかげであった。日本の経済成長、それは一方で、物理学者の氏からみれば、「理工系ブーム」の次期と重なるのだが、こうした成長はすべて戦争、軍需とからんでいる。初めが明治維新のころ。2度目は戦中、この時期、東大に第2工学部が出来たそうだ。造船学部とも呼ばれ、「軍艦の神様」と呼ばれた男が学長にまでなる。そして、60年からの時期、東大理系の人数は一気に150人増え、原子力工学がさかんになる時代。これらが「高度成長」期と重なるわけだ。
 62年、大管法闘争があるが、これは当初、教授陣とも利害が一致する部分があったので、教授会、学生の共闘が成立したそうだ。ところが、11月、「銀杏並木集会」のときから事態が変わったという。他大学からも参加し安保以来の5,000人という大動員をやったら、けしからんということで処分者が出て、処分撤回闘争をやるとさらに2次処分が出るといった、「勝てない闘い」が組まれた。結局、教授会との共闘、乃至は「大学に自治」などという概念が、このころから問い直されて行かざるを得なかったというわけだ。
 そして、日韓闘争、ベトナム反戦闘争の時代になる。このとき、東大に「ベトナム反戦会議」ができ、山本氏も参加する。中心に所美津子さんがいたそうだが、「ベトナム反戦を主張する個人」の集まり としての「反戦会議」という この組織論がやがて、その後の東大闘争・全学「共闘会議」の組織論の基礎となる。67年、3月砂川闘争に参加。三派全学連プラス反戦青年委員会という動員構造はこのときからのものだそうだ。そして、このころ、半導体国際会議に米軍資金が導入されていたことが暴露され、日本物理学会は「軍事資金を入れない」という決議を出す運動をしていて、最終的に67年秋、決議を出すことに成功する。その1か月後の10.8であったそうである。
 山本氏はさらに、11.12の第2次羽田闘争(佐藤訪米阻止闘争)にふれ、その前日、11月11日、エスペランティストの由比忠之進さんが抗議の焼身自殺をしたこと、翌日の11月13日、ベ平連が空母イントレピットから脱走兵をスウェーデンに無事送ったこと を語り、当時の雰囲気を思い起こさせた。
 
 

 60年安保闘争時の、「戦争に巻き込まれる」という被害者意識から、ベトナム反戦運動はむしろ、61年~71年のベトナム特需による「高度成長」の中で、「日本が戦争に加担している」ことへの、「加害者側の」闘いへ変わっていった。(何しろ、当時、毎年10億ドル日本企業に米軍は資金提供したそうである。) アメリカの世界最高の軍事力に対して闘っているベトナム、墜落した飛行機のタイヤで作ったサンダルを履いて闘っている兵士、加害者側でなく、そちら側に立とうと皆が思ったのだ。

 そして、68年、もちろん東大闘争の話。当初、インターンといういわば「職能組合」的な闘争として始まった闘争が、処分撤回闘争にはじまり、秋には全学化する。結局、「その場にいなかった学生の処分」という理不尽な措置に対する説明が、なんと、「疑わしきは罰せず というのは東大学内では通用しない」と、法律を教えているはずの法学部長が言ってのける という信じられない状況、これに対して当然の教授会追求、「言っていることと、やることが違うじゃないか!」、そしてさらに、教授会の対応のひどさ によってどんどん闘争が拡大してゆく過程。このあたりはさすがに元東大全共闘議長の話fである。ひとつひとつ愉快でしかも説得力がある。なお、本当にそんなにひどかったのか とも思う。要は教授たち、よく出てくる丸山真男などの「ダブルスタンダード」に対する批判であった。

 さて、僕たちもその後の過程はよく知っているつもりだったが、全学スト、6.15、22安田講堂選挙、これは安田講堂解放=誰でも入れる講堂にしよう という闘争だった。なるほど。高校生の僕たちも、何度か行ったものだが、確かに入れてもらえた。スタインウェイがあったものだ。全共闘というのは、東大闘争では青医連プラス各党派(各学部代表)という組織であったこと、このあたりは当事者から聴くまでわからない。実際は党派対ノンセクトでかなりの確執があったこと、これはまあ想像できる。東大ではずっと「共闘会議」と呼んでいた。「全共闘」という呼称は日大からの輸入だった。ホントかいな。

 総じて、東大闘争、そして60年代の安保~ベトナム反戦闘争の流れは、ひとつには、「平和と民主主義を守れ」という戦後的意識から、制度としての民主主義が、秩序として現れるとき、少数者、マイノリティに対しては暴力にもなり、抑圧にもなることを暴露し、これと闘ったということ。もうひとつは日本の科学技術の進歩が、実際は軍需としっかりと結びついてきたこと。西欧の技術の恐ろしさを戦争で身に染みた薩長・明治政府以来、軍事技術と結びついてやっと発展してきたこと。この反省のうえにたった闘いであったこと。2つの意義を山本氏は語ったのである。
 
 
 山本義隆氏は、科学史家であり、優秀な物理学徒であり、そして、何といっても東大全共闘議長、さらに全国全共闘議長でもあった。彼の総括をおいて、他の人の話は次の次だろう。

 メモだけをみて書いたので、まとまりがないかもしれない。
 同行した親友はさらに詳細なメモをとっていたそうなので、ゆっくり確認して、また機会をみてまとまった文章を書いてみたい。

 「10.8山崎博昭プロジェクト」は、今回が、50周年まで「あと3年」、今後、来年「あと2年」、再来年「あと1年」と、続いていくそうだ。50周年は2017年。会場でも言われたが、くしくも、ロシア革命100周年でもある。 さて、毎年秋の大きな楽しみが出来た。
 
 それにしても、山崎博昭さんのいた、(京都大学入学前) 大手前高校 というのは、すごい高校だ。 社研に岩脇正人(反戦高協~火急)、佐々木幹朗、三田誠広、そして山崎さんたちがいて、今回の賛同人にもたくさんの人が名前を連ねている。その先輩格が、山本義隆氏だ。高校時代というのは、先ほど自分のことを書いたが、世界観、社会観が形成され、人生の大きな転機になる時期だ。良い高校で、良い友人に恵まれたひとは幸せである。

 このプロジェクトの意義の通り、僕たちは山崎博昭さんの名前を絶対に忘れない。10.8羽田の闘いも忘れられることはない。日本での、60年代後半、ベトナム反戦の闘いは、永久に歴史に刻みこまれる。


排外主義を許すな

2014. . 17
 先日も書いたが、在特会がここのところしきりに「反ユダヤ」をいうようになった。極右だけではない。
驚くのは、国際金融資本の我が物顔の暴挙を批判するのに、「ユダヤ系金融」という意味なのであろうか、「ユダ金」などと、いまだに左翼面をしながら「ユダヤ人の陰謀」を語る人たちがいることだ。 





                                         在特会




この話は根が深い。「ヒトラーもユダヤ人だった。」とか、ホロコーストは「なかった。」とか、「ユダヤ人の自作自演だ。」とか、「アメリカの支配層がユダヤ人だから・・・」、と、要は、何でもかんでも「ユダヤ人の陰謀」で説明するのだ。かつてアフマディネジャド大統領が「ホロコーストなどなかった」と言って、訪米したとき、ユダヤ系アメリカ人の抗議を受けたが当然である。だいたい、ウォール街も、国際金融資本も、別にユダヤ系の専売特許などではない。また、現在、ガザに暴力的侵攻を繰り返しているイスラエル=ユダヤ人でもない。

 排外主義、反知性主義とはしっかり闘わなくてはならない。

 さて、一昨日の独ZDFによれば、ドイツでも一部地域でユダヤ排斥の動きが高まっていることを受け、ベルリン、ブランデンブルク・ゲートに5,000人が集まり、排斥反対派の集会が開かれ、メルケル首相が自ら参加し演説したという。
「排斥や差別を叫ぶものは、私(政府)を含む国民の大多数を敵に回すのです。」
「 ユダヤ人に対する抗議活動や反ユダヤ主義的な発言が頻発しているのは、自由と寛容さに対する攻撃であり、自由な民主主義の秩序を揺るがそうとする行為だ。 ドイツ政府はこの事態を認めることはできないし、認めるつもりもない 。」 





                                     ユダヤ人排斥抗議




イスラエルによるガザ侵攻以来、イスラエル抗議に紛れて、実際にユダヤ系の人々が襲われる事件が頻発しているそうだ。ドイツはナチスによるホロコーストの過去を抱えるだけに、ガウク大統領や与野党の党首もこの集会に列席し、事態を重視する姿勢を示した。

 一方、日本には、平気で過去の侵略戦争を美化したり、「やむをえない」、「自衛の」戦争だったなどと開き直る閣僚がいて、その支持者やブレーンもまた平気で反韓、反中、反ユダヤの差別言辞を繰り返し、ネオナチとの蜜月ぶりまで見せつける。批判勢力の中にまで「反ユダヤ主義」が顔を出す。

 これはもう、歴史認識以前の、文化度や近代的市民としての成熟度の差なのだろうか。何をかいわんやだ。


( 写真はロイター)




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