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「1968」小熊英二

2009. . 24

 まあ分厚くて重い本であった。何とか全部読み終えた。全体、一言で言って、「質より量」という気がしないでもない。1968年の「叛乱」をこれだけのヴォリュームで書くのであれば、著者も語っているように当事者が多数存命中なのだから、せめて何人かは現在の当事者の発言を採って欲しかった。僕は実はかなり正確に引用されていると思うが、出てくる発言はすべて引用である。それもほとんどが「重引」であって、どうも、著者自身断わってはいるが、「高度成長期へのアレルギー」とか「現代的不幸(アイデンティティ・クライシス)への個々の抵抗」の側面からのものが強調されすぎて、軽いものになってしまった感がある。

 ここまでの本を書くのであれば、「激動の7ヶ月」の政治闘争であれ、学園闘争であれ、あるいはセクト、ノンセクトを問わず、実際に当時先頭に立って闘い、傷つき、現在は「平均的なサラリーマン」になる道すら失い、食うや食わずで生活し、沈黙を余儀なくされている人々の現在の生の声を聴きたかった。

 著者も言っている通りで、実際この当時の体験には年齢と属していた高校・大学などによってかなりの差があり、またもちろん、その体験の質も、たまたまちょっとばかり集会やデモに行っただけの人間と、全共闘なり自治会執行部なりで闘いを組織した側と、あるいはまたセクトに属して恒常的に公然・非公然の暴力的闘争に接していた人間とはまったく違うはずである。

 従って、この本は労作であるが、「当事者」からはたぶん不評を買うであろう。「実際はちがう」とそれぞれの体験に応じて感じるだろうからだ。それもよく闘ったものからは「そんな軽いものでは無かった」という声が聞こえてくるように思う。

 但し、このような「集積」すら今までまとまって出た事は無かった。当事者の世代は、沈黙しているか、それぞれの「体験」に固執して「自慢話」しているかで、全体を見通してみる試みはなされていない。

 だから僕は面白く読んだ。著者のピントはずれな部分も、あるいはなるほどと思える部分もひっくるめて興味深く読んだものである。

 僕は昨年このブログに日本の新左翼運動史のおさらいというのを書いている。けっこう話が重なってているくらいで、これは何回振り返ってもまだまだ興味が尽きないものである。

 

 さて、「序論」で著者は大体のことを語ってしまっている。いわば種明かしと予想される「批判」に対する反論である。

 この時代の叛乱を高度成長期の日本へのアレルギー乃至はその現代的不幸(アイデンティティ・クライシス)からくる自己実現(表現)運動として捉えようということだ。そうでないと、その政治的には「児戯に等しい」行動パターンや判断の説明がつかないのだ。

 また、こうした表現欲求に対してこの世代がそれにふさわしい「言葉」を持ちえず、1950年代、日本が発展途上国であった時代に形成されたセクトの、硬直したマルクス主義の言語にとらえられ、その指導下に入ったとき、日大闘争や東大闘争も当初の支持基盤を失い、孤立した闘争になったこと。皮肉なことに、それは、学園闘争の当初の獲得目標を見失い、あるいは政治的目的すらもなく、ただ「個人」が権力と闘う意思表示、「自分探し」になってゆくのと同時であったこと、などが語られてゆく。

 あるいはまた、1968年に20歳前後であったものを「全共闘世代」などとはまったく呼べ無い事。これは僕もその通りだと思うのだが、当時の大学進学率が16%くらいで、運動に参加したものが25%として全体で4%、とても世代を代表する人数などではない。それも実感として、参加したものが25%もいたはずがない。運動がさかんだった大学、本格的にストライキに入った大学で、「消極的支持層」を含めてそのくらいだったろう。

 僕は前にもこのブログに書いたが、1968年叛乱は少数派の運動であった。まちがっても世代を代表してはいない。さらに言うと、それが1960年安保闘争との大きな違いである。これは「戦後民主主義」の扱いにからむので大切なところだ。

 

 特に3つの章についてだけ簡単に触れて、僕の感想としたい。

 

                           sty0901171801002-p4.jpg  

 

 セクト

 ここで著者は共産党から60年安保と1次ブント、革共同の結成や分裂、ブントの分派闘争などを詳しく述べている。そして「硬直化したマルクス主義」の言語から出られず、50年代型、いわば発展途上国における革命論からそれは出る事が無かったとしている。

 ここは全体の論旨にからむ重要なところである。だからどうしても最低限、当時の各派の機関誌・紙くらいはあたって欲しかったところだ。そうしたらもっと説得力があっただろう。

 いずれにせよ、60年安保闘争の昂揚は、昨年暮れの安保ブンド50周年集会で、長崎浩氏も語っていたが、何といっても「戦後民主主義」の運動として、「(戦犯)岸政権打倒」の運動として広汎な大衆的決起があって可能だったものである。長崎氏も言っていた。6月以降、スローガンは「民主か独裁か」だったと。ブント・全学連は、いわばその広汎な「戦後民主主義」を基盤とする運動を所与の前提として、その先頭で、あるいはその最左派、左翼反対派として闘ったのである。

 それに対して、68年の運動は、とくにその後半期は「戦後民主主義」批判の上に成り立っていた。これは東大闘争が当初支持基盤が広いうちは学生大会を開いてスト権をとったりしていたのが、後半、全共闘が少数になり、「ポツダム自治会」批判などを打ち出すようになり、また、新左翼各セクトがその「暴力革命論」により、「議会主義批判」を徹底してゆくにつれて、明確になってゆく。それこそ「いい悪いは別にして」学園闘争もその獲得目標を自らかなぐり捨て、反戦闘争も支持層を切り捨ててより孤立してゆくことになるのである。

 そして、どちらも、つまり60年安保は当時の社会党・共産党、そして全学連・ブントが、68年は新左翼各セクトが「指導」したのである。

 

 セクトの「指導」というのは運動の初期、あるいは運動が広汎に支持され昂揚するときには入る余地が無い。むしろ入ったら、広汎な支持も昂揚も無い。「既にある」運動にいわば「介入してくる」のだ。それが優れたものであれば大衆運動はまずそれとして「勝利」も出来るし、「革命的敗北」も出来る。要するに政治的に「勝利」できる。だが誤っていればそのどちらも出来ない。大衆運動としての獲得目標も失い、政治的にも敗北する。

 

 *僕はだから当事者の話が聞きたかった。この本では68年はもちろん「政治的に」完全な敗北として書かれている。僕もそう思う。だが、どうだろうか。例えばここで何度も引用されている発言がある。10.8羽田闘争にあって、「権力に対して全実存をさらそう」という、確か埼玉大の中核派学生の発言だったと思う。彼は別のところで、「闘いの政治的有効性と個人の実存的意義とは矛盾しない」と書いている。「安田講堂から逃げてしまった党派にどんな政治的有効性があるのか」と。彼は後のほうの発言の時は既に中核派を離れている。現在どうしているか知らない。僕は例えばこうした発言が68年叛乱を支えた典型的な、また最も良質な思想だと思う。現在の彼に「今、どう考えているか」ぜひ聴きたいと思う。「激動の7ヶ月」を先頭で闘い、三派全学連をも内ゲバで解体し、学園闘争にそれまでに無い意義、実存的意義を見いだしたはずの、そういう「彼ら」はだが今沈黙してしまっている。この本に登場するのも、時折、マスコミに出てくるのも、どちらかというと「軽い」全共闘ばかりだ。

                                  山本義隆・渡辺眸

 東大闘争

 著者は東大闘争の特質のひとつとして、それが当初研究者・院生を中心にして担われたことをあげている。そのかなりな部分が60年安保闘争の体験者だったことも。これは闘争初期、特に重要だった。大衆的支持を広げるにしても、当局と交渉するにしても、あるいは介入しようとするセクトと論争するにしても、彼らは極めて強力だっただろうからである。逆に言えばこのため、セクトは簡単に介入できず、闘争は大衆的に支持基盤を広げることが出来たのである。

 だが、その後、68年11月以降急速に、東大闘争は変質してゆく。民青との闘争のなかで、外部からの応援、またセクトの介入を積極的に頼まざるを得なくなってからである。ついには、7項目要求を当局が実質的に飲んでも、全共闘はそれを蹴るまでになってゆく。「飲み方」が悪い・・、あるいは、もはや「7項目の問題ではない」という、それこそ当人にしかわからないような論理になってゆくのだ。「指導」するセクトのほうは、学園闘争をそれとして捉えているわけではなく、活動家の供給基地として考えていただろうから、70年安保粉砕までの「徹底抗戦」を叫ぶだけで、全共闘メンバーの「実存的契機」を各セクトへのオルグに利用したのであろう。

 逆にこのときの各セクトから東大へ「介入した」同世代の活動家たちの声も聴きたいものだ。彼らとて、東大生のように運動を離れればエリートの道が待っているというわけでもなく、党派の指示のもとに東大に派遣され、民青と、あるいは他党派とのゲバルトに疲れ、最後には安田講堂で「玉砕」し、傷つき、逮捕され、それでも「政治的勝利」を信じていたと思う。

 本にあるとおり、東大闘争は実はかなり特殊な闘争だったのだが、そしてまた当初は広汎な支持基盤を持つ闘争だったにもかかわらず、最終局面ではすでに少数の「獲得目標のみえない」ある種の自己表現運動になっていった。そして、69年1月の安田講堂攻防戦以降、全国の大学にその表層面だけが波及する。すなわち、少数の全共闘が、自治会や学生大会の「正規の」議決を経ずに、大学のどこか象徴的な建物をバリケード封鎖して「玉砕」するという風にである。これは各セクトの活動家の草刈場としての機能はあったが、学園闘争としても政治闘争としてもかなり無意味であったようだ。

 ただし、僕自身もそうだったが、なんといっても「安田講堂攻防戦」にはそれだけのひきつけるパワーはあった。とにかく、権力に対して、それこそ全実存をさらして「徹底抗戦」すること自体が充分ヒロイックであり、立派な行動に思えた。もっともそう思った人間など物凄く少数だったようだ。

                                    koukou2.jpg

 高校闘争

 さてここではもうたいして言うことはない。上記の「玉砕」のゆるい形、乃至はそのミニ版を高校でもただただやりたかった人間が現れたのだ。ただし、もう少し細かく言うと、その前から、高校では「反戦運動」への参加それ自体が結構不自由だったりしたから、当初は「高校生の政治活動の自由」などを獲得目標にあげた闘争まであったこと。それからやはり67年砂川あたりからの高校生の新左翼の闘争への参加から書いてゆかないと、何か突然高校学園闘争が巻き起こったようにみえるのでは事実関係に誤解が生じるだろう。

 そして、実は高校闘争というのは活動家の層が大学生よりずっと広い。進学校の闘争がよくクローズアップされ、この本にも出てくるが、工業高校や定時制高校にも戦いの輪は拡がっていた。また、教師たちも、大学教授よりもずっと、良くも悪くも「幅」がある。リベラリストもいれば極右もいる。戦争体験者、60年安保闘争体験者も当時たくさんいたのである。高校闘争に参加し、大学に行かず、党派の活動家になる道を選んだ高校生を僕は何人も知っている。

 実は僕は前にも書いたがここではまさに「当事者」である。そして僕の発言もまあまあ正確に引用されている。学園改革をもってバリケードを自主解除したことについて、「いい悪いは別にして・・・」政治的には「賢明な判断・・・」と書いてあるのには苦笑したが、これも今にして思えばである。当時はそれこそセクトから「改良主義」と批判されたものだ。まあここまでは本に書いてある。だが書いていない事は、内側でも相当批判があったことである。当然ながら「徹底抗戦」派はいたのだ。ただ、大学生の全共闘とちがってゆるいもので、彼らは孤立して最後まで闘う道など選ばなかった。「口だけ」で過激なことをいうだけなら簡単だ。そしてその種の人々は本当に主張するタイミングで孤立してまで闘うことなど出来ない。他の闘争でもそうだ。後になってから過激なことを言う人は必ずいる。高校生でも、いや高校生ならなおさら、その学園闘争に至るまでの、当時のベトナム反戦運動などの、いわば「外」での集会・デモへの参加経験、「中」ではクラス討論の積み重ねや、そのデモへのオルグといった経験が人によってあるいは学年によってまったく違うものだ。ぴょいと出の活動家が過激なことを言っても、本気かどうかすぐわかってしまう。現に、大量の逮捕者・処分者を出しても「徹底抗戦」した高校闘争も、本にあるとおりもちろんあった。

 

 僕が今、この本のまさにこの章を読んで、若干の気恥ずかしさと、当時は「青かったなあ」と思うのは、先程からの「戦後民主主義」の話とも通じるのだが、要するに、「運が良かった」のが半分、そして、知的でリベラルな教師集団の存在(彼らは当時、今の僕よりずっと若かったのだ)があって可能だったことを、僕、乃至は僕たちは、自分たちの運動の力であるかのように「錯覚」していたことである。

 戦争、そして戦後民主主義を身体で経験し、また砂川闘争、60年安保闘争、あるいは勤評闘争を闘った経験を持った教師集団がどのくらいいたか、あるいはどういう判断をしたか、によって各高校の闘争の終結もかなり変わっていたようである。

 この辺も今、話が聞きたいものだ。

 

 著者がいうとおり、日本の68年は、例えばフランスのそれに比べて、少数の「狭く、長い」ものに終わった。叛乱のモチベーションが似ていても、50年代という日本がまだ発展途上国であった頃に形成されたセクトの、硬直したマルクス主義言語を与えられることによって、あるいは「70年のパラダイム転換」を経ることによって。

 60年安保闘争が曲がりなりにも時の政権を倒したことと比べると、あるいは、パリの5月が学生の評議員会参加、つまりは経営参加まで獲得して矛を収めたことを考えると、それはあまりにも、「実存的」問いかけ?の闘いに偏り、政治的には何の遺産も残さなかったようだ。日本の労働運動、学生運動、乃至は市民運動の経験として考える時、それはあまりにも空しい。先般このブログに書いたが、フランスでは最近「5月の若者たちが帰ってきた」と呼ばれた新しい世代の、デモ、ストライキ、街頭闘争によってCPE法案を葬り去った。また今年6月、68年5月のリーダー、ダニエル・コーンベンディットは、自ら「欧州緑の党」を率いて「ヨーロッパ・エコロジー」により欧州議会で14議席を獲得し、社会党と並ぶ第3勢力とした。実に280万票余りを集めたという。日本の場合、この著書にあるように、街頭闘争や学園闘争は「やっても負けるだけ(とことん負けるまでやる)」あるいは「行き着く先は連合赤軍」でしか本当に無いのだろうか。少数派の自己満足だけで終わってしまって良いのだろうか。68年経験は日本でももう少し広いものを持っていると僕は思うのだが。

 

 この本は、当事者からは、あるいはアンチ新左翼の立場のそれこそ圧倒的多数の人々からはもっと不評を買うだろう事が予測できる。だが、誰もここまで書かなかったのも確かだ。何と言おうと労作である。充分読むに価するし、セクトと東大闘争、その関係、またその後の闘争への影響を論じた部分はむしろ当事者であれば書けなかった展開だろうと思う。

 

 またまた良い読書であった。この本の書評を含め、繰り返すが、当時「本当に闘って」現在沈黙している人々の話が聴きたい。マスコミに登場する「昔全共闘」などほとんど嘘っぱちであることは皆わかっているし、この本でも著者はさすがにそこだけはきっちり整理して見せた。

 

 

 

 

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古井戸
この本を読む前に『全共闘白書』1994年新潮社刊、を読んだ。当事者を捜し出してアンケートを採り、それをまとめた本。450ページ。加藤一郎総長(東大)も文章を寄せている。この本のほうが遥かに切実な印象を与えた。国会議員や地方自治体の議員、あるいは教師、企業経営者、現職は様々である。現在の給与に満足しているか、という問いがあった。一千万円近い給与を稼ぎながら少なすぎる、と評価しているひとが多いのが意外だった。現在(当時)でも、公安につけ回されている人もいる。小熊の本は、新潮社本にある継続感覚、切実感が欠けている。
2010.08.02 07:02
alexis
コメントありがとうございます。
「白書」は小生も読みました。
「運動を離れた理由」に「内ゲバ」をあげている人が多かったのを良く覚えています。
これからも宜しくお願いします。



> この本を読む前に『全共闘白書』1994年新潮社刊、を読んだ。当事者を捜し出してアンケートを採り、それをまとめた本。450ページ。加藤一郎総長(東大)も文章を寄せている。この本のほうが遥かに切実な印象を与えた。国会議員や地方自治体の議員、あるいは教師、企業経営者、現職は様々である。現在の給与に満足しているか、という問いがあった。一千万円近い給与を稼ぎながら少なすぎる、と評価しているひとが多いのが意外だった。現在(当時)でも、公安につけ回されている人もいる。小熊の本は、新潮社本にある継続感覚、切実感が欠けている。
2010.08.02 11:45

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