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谷中で

2009. . 03

 帰国して、最初の休日。谷中BOSSAにて、昼間のライブ。

 行川さをりさんのボサノヴァ・ヴォーカルと高田泰久さんのギター。谷中BOSSAはマイクを使わないので、自然な歌声と生のギターの音が心地よい。

 行川さをりさんの歌は軽やかだがすごく研究し、努力し、歌いこんでいるのがわかる。彼女もまたボサノヴァの魅力に取り付かれたのだろう。アンコールまでのびのびと歌いきった。ギターの高田氏はいうまでもない。彼の伴奏は他のヴォーカル、片山淑美さんのときもここで聴いているが、実に美しい。だいたい、歌手のどんなキー、どんなテンポにもあわせて、ボサノヴァの様々な名曲をあれだけ演奏するのだからすごい。

 

 高村薫の新刊「太陽を曳く馬」上巻を読み進む。「新潮」連載時のことは途中で読むのを止めた事もあり、忘れてしまっている。1998年の福沢秋道の殺人事件、その死刑執行、父の福沢彰之の禅寺から「脱出」した僧の交通事故、それを両親が刑事告発する事件などが2001年、この2つの事件について、合田雄一郎が思考をめぐらす。秋道が殺人事件の当時も、それ以前からも絵を描き続けていたことから、現代美術の彼方へ。あるいは、自己で死亡した青年が元オウム真理教信者であり、また福沢彰之の禅寺へ入っていたことから、その関係者、特に仏僧たちとの会話を通してその仏教思想の奥にまで考えをめぐらせて行く。また、彰之の思考、人生、彼の子・秋道への大量の手紙を検討しつつ、仏教思想の本質へ、さらにその認識論の彼方へ思考を深めてゆく。また合田はちょうどこの年、ニューヨークの同時多発テロで、元妻を失っているという設定である。展開するドラマの主人公は合田であるが、観念の体系、この小説で問われているものを言葉で執拗に問い詰めているのは福澤彰之である。彼が息子の殺人の動機を問うことの中に、その「言葉」の中に、作者の問いも込められていると思う。

 合田雄一郎は「新リア王」の最後のあたりで確か電話か何かで登場するが、主人公で出てくるのはもちろん「レディ・ジョーカー」以来である。そして「晴子情歌」・「新リア王」に続く福沢一族の、日本現代史の中を貫通する物語。何といっても高村オールスターキャストだ。面白くないはずがない。

 それにしても、ずっしり読み応えがあって、読んでいる時間そのものに充実感がある。彼女の小説はいつもそうだ。ゆっくり読んで、読み終えたらまたブログを書いてみよう。

 

 もうひとつ、小熊英二「1968」(上・下)を読んでいる。下巻のアタマが高校闘争なので先に読む。十代だったので当然だが、まだ青臭い僕自身の当時の発言なども割と正確に載っている。68年と一言で言っても当時の僕のような高校生から大学生シニア、大学の新入生などではかなり世代意識に差があるのだが、本の発言記録は全体にそこをおおらかに跨いでしまっている。本全体のモチーフとしては、68年叛乱を政治的にでなく、世代の表現、「戦後」を引きずったまま、高度成長と消費社会にスムースに適合できなかった「疎外感」の表現として捉えているようなので、なおのこと、ここは大雑把に過ぎると思える。というわけで、色々と考えるところもあるが、まあ大著である。こちらもじっくり読むことにしよう。

 

 

 

 

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