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「1Q84」

2009. . 17

 その発売を楽しみにして、どうも出版する側にも多少「焦らす」魂胆はあったようだが、手に入れた久しぶりの村上春樹の新作長編である。第一巻の中に出てくるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻と第2巻と同じに組み立てられている。「・・・まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。」

 その通りで、スポーツインストラクター?で実はテロリストの美貌の女性、青豆の章と、青豆と同い年の予備校数学講師で小説家志望の天吾の章が交互に語られる。各巻二十四章、あわせて四十八章。村上小説では珍しく基本が三人称だ。

 

 青豆がひとつの「仕事」を果たしに渋滞した高速道路から非常階段を歩いて降りてゆくとき、ちょうど「不思議の国のアリス」のように、青豆はその世界が自分の覚えのある世界と変わってしまっている事に気がつく。1984年でなく、1Q84 と呼ぶことにする世界へ。風景とルールが変わってしまっている世界、月が2つ見える世界である。青豆は、警官の制服が変わり持っている拳銃が新式のそれに変わっていることが気になり少し前の新聞を調べる。山梨山中での過激派と警官隊の銃撃戦というのがそのきっかけだったと知るが、その事実そのものを青豆は知らなかった。

 いつものように、青豆はボスである「西麻布の老婦人」のところへ行って、新しい指示を受ける。10歳の少女の子宮を破壊したカルト「さきがけ」のリーダーを殺すことである。

 青豆はあゆみという、やはり過去に親類に性的暴行を受けた婦人警官とある日知り合い、仲良くなる。2人でコンビを組み、男たちを引っ掛けてセックスをするのだ。そのあゆみに「さきがけ」を調べさせると、その暗部が色々とわかってくる。だが、あゆみはある日殺されてしまう。

 

 天吾は、旧知の編集者小松の依頼で自身も感動した応募小説「空気さなぎ」の書き直しを始める。素晴らしい内容なので天吾が文章さえ直せば新人賞をとれると小松が踏んだからだ。書いた美少女ふかえりは実はこの「さきがけ」のリーダーの娘である。7年前にそのコミューンから抜け出してきたふかえりは現在は先生と呼ばれる父親の旧友に育てられている。この先生はふかえりの父親をみつけ出したいという別の動機で小松と天吾の話に協力する。

 計画は上手く運び、「空気さなぎ」はベストセラーになる。だが、ある日ふかえりが行方不明になってしまう。これももちろん「先生」がさきがけを引き出すためにやった狂言である。ふかえりは天吾には知らせてくる。だが、そのころから天吾にはわけのわからない脅迫めいたコンタクトがはじまり、愛人を失ったりする。

 

 もちろん途中で2人の生い立ちも語られる。青豆は両親が「証人会」という宗教団体の信者だったので、孤独な少女時代を過ごしている。両親と隔絶してからは大塚環という親友とソフトボールに熱中し、その後もスポーツに才能を発揮するのだが少女時代は暗い。だが、10歳のとき青豆は恋をしている。理科の実験のとき、自分をかばってくれた少年、それは天吾であった。

 天吾はその証人会信者の娘、青豆をずっと覚えていた。天吾もまたNHK集金人の苦労人の父に育てられ、日曜日は父と集金に廻るという暗い少年時代をすごしていた。日曜日、同じく両親に連れられて布教に歩く青豆と天吾は出会っている。そんな彼を明るい世界を導いたのが数学であり小説を書くという行為であった。現在は予備校で数学を教え、評価も高く、小説も小松に眼をかけられあと一歩というところまではきている。彼はふかえりとその作品を通して「さきがけ」やリトル・ピープルと、月が2つ見える世界1Q84に関わってゆく。

 

 青豆は自分の最後の仕事と覚悟して、「さきがけ」のリーダーを殺害しに行くが、実際の彼と会っていったん思いとどまる。彼がそれを認識していることがわかるのだ。また、自分の何もかもが「彼ら」につかまれていることを知る。「リトル・ピープル」の話とともに、ふかえり、つまり彼の娘についても、天吾についても、あゆみの死の真相についても、彼によって語られる。青豆はここで自分たちが「1Q84年」に来てしまっていることを悟るのだ。このときの2人の出会いと会話がおそらく作家の設定したクライマックスだろう。例によって様々な暗示に満ちている。

 

 小説だから、まだ読んでいない人もいるとおもうのでさすがにこれ以上書くのはやめる。

 付け加えたいのはあとひとつ、この本の中で基本的には天吾は1984を、青豆は1Q84 を生きている。まさしく村上ワールドであるということ。これが納得できると初めて村上春樹を読む人にも読みやすい小説だ。

 

 冒頭から惹きこまれて一気に読める。文句無く面白い小説である。あっという間にベストセラーになったのがよくわかる。

 リアルな現代小説として読むにせよ、長いファンタジーとして読むにせよ、この小説は物語りを豊かにするすべての要素をしっかりとそなえている。

 魅力にあふれた主人公、それを待ち受ける困難、主人公の高い志と貫通行動である。

 

 また今までも村上春樹の小説にみられたファッションやセックスのディテール描写はいっそう具体的になってきている。これは英米の小説では当たり前なのだが日本の作家では珍しい。だが、1984年という年に、シティホテルで青豆に殺される男が「アルマーニのスーツ」を着ていたり、青豆があゆみと食事するとき、「フェラガモのヒール」を履いたり、あゆみが「コムデギャルソンのシンプルな黒いジャケット」を着ていたり、また青豆が最初と最後に「ジュンコ・シマダのスーツ」を「フェイ・ダナウェイのように」着こなしたりするのはとても自然だし、背景や彼らの状況を描写するうえで必要なことだと僕は思う。そういえば青豆のボス・麻布の老婦人の用心棒タマルが履く「しみひとつない真っ黒なコードバンの靴」などというのはこの用心棒のいかつくてなお繊細なこだわりをもった性格をあらわす秀逸な描写だ。また、セックスについてはシーンも言葉もあらゆるところできわどい描写が沢山出てくるのだが、ぎりぎりのところで下品にならず、これもこの小説の中でキャラクターの描写上必要な中に抑えられているようだ。

 もちろん村上作品に欠く事の出来ないバックグラウンドとして描写される音楽、古いジャズ、クラシック、そしてポピュラーの名曲、これらはたぶん同世代が村上のファンになる時の大きな要素だろうと思うが、今回もしっかり書き込まれている。冒頭とクライマックスで引用されるのは "It's Only A Paper Moon"。 みな上手く使われている。微笑んでしまうくらい。

 

 作家本人も珍しく語っているようだが、「山梨山中の銃撃戦」はあさま山荘事件を、「証人会」はエホヴァの証人を、そして「さきがけ」はオウム真理教をもちろんモデルにしているのだろう。みな僕たちが報道に接したりその中の誰かと出会ったりしている実際に起こった事件である。投げ出されているテーマは広く、実は重い。村上春樹はオウムはもちろん他の関係者にも相当取材したのだと思う。

 周知のように、この小説のタイトルはオーウェルの「1984年」をもじっている。オーウェルはそこで「ビッグ・ブラザー」を登場させ、スターリン主義を激しく批判・風刺した。

 実際には1989年からソ連・東欧圏のスターリン主義体制は崩壊していった。だがそのあと現在に至るまで、始末の悪い「原理主義」やカルトが跋扈している。キリスト教であれイスラム教であれ、あるいは右であれ左であれ、「原理主義」ほど始末の悪いものは無い。本人がどんなに「正義」をふりかざそうと、それはまさに犯罪的カルトである。ただそうはいってもなかなかこれはしつこい。この小説で示されているように、超克されねばならないもっとも現在的な課題である。

 

 これは団塊の世代のもっとも良質な精神の軌跡の総括になっている。作品自体がこれまでの彼の作品の集大成と読んでもよいものだ。

 

 このスタイルで、ぜひ続編が読みたい。もっとも村上春樹氏は第3巻、第4巻は書かないだろう。

 

 

 

 

 

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