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辻井伸行さん

2009. . 09

 ゆうべから今朝にかけて、TVで何度もニュース映像が流れた。辻井伸行さんがヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝。彼がまだ20歳で全盲というハンディをおしての受賞だったこともあって、ビッグニュースとなった。演奏は本当に感動的だったようだ。TVでとらえられたほんの一部の音でも、会場のざわめきとブラヴォーの声、スタンディング・オーベイションとともにそれは伝わってきた。審査委員長,ヴァン・クライバーンその人に抱きしめられるタキシード姿の辻井氏の姿をみていたら涙が止まらなかった。

 

 4年に一度のこのコンクールは大変な難関であるそうだ。何曲もの課題曲を何日間も弾くのだ。彼はリストやラフマニノフの難しい曲を鮮やかに演奏しきった。会場全体がそのテクニックと表現力に打たれ、大きな興奮に包まれたようだ。大変な努力と集中力、想像もつかない練習があったのだろう。だが彼は「苦労なんてしたことはない」と、「ピアノはずっと友だち」だったから「楽しいばかり」だったと、軽やかにインタビューに答えていた。ヴァン・クライバーンはロジナ・レヴィンに師事している。ということはリストの孫弟子にあたるいわば「リスト弾き」だ。このコンクールの審査はとてつもなく厳しかったに違いない。聴衆のレベルも高い。彼はそのリストの難曲や、ベートーベンが聴力を失ったあとで作曲した曲にあえて挑んでなお彼らすべてを心から感動させたのだ。本当にたいしたものだ。確かにここではもう「眼が見えない」というハンディは関係なくなっていた。誰かが言っていたが、天才的な音楽家が優勝して、その人がたまたま眼が見えなかっただけだ。

 生まれたときから眼が見えないという。大変な苦労があっただろうと思う。眼がみえないのに、よくそこまで素晴らしい演奏が出来るものだと感動する。けれども、もしかしたら、眼が見えないから、素晴らしい音感が研ぎ澄まされ、天才的な力を育ててくることが出来たのかもしれない。譜面を読めない彼は、音を聴いてすぐ鍵盤を弾くという。ピアノがもう自分の身体のようになっているのだろう。

 この受賞はたぶん、多くのハンディを持って生きている人たちに多大な勇気をもたらしたと思う。そして、今更ながら、音楽というものの持つ歴史や世界を跨いでゆく底知れない力に感じ入る。

 

 もう30年以上前に関わった雑誌で企画実現したある対談を想い出す。五木寛之と寺山修司の対談、そこで何度も繰り返された言葉があった。

 「人間に原型は無い。」

 眼が見えないということ、耳がきこえないということ、そういうことは「原型」に対して「欠落」しているわけではない。違う形で現れているだけで、その分「聴く」力、「視る」力が並外れて優れているのだ。僕たちは盲目の音楽的天才を何人も知っているはずだ。そのとき、「差別」の話題から話はそこまで行ったものだ。オーケストラが一曲演奏するのに、ずっとヴァイオリンを引き続ける人が必要なのと同時に、ティンパニを一回たたくだけの人も必要なのだ、と。人間も、人間の社会も同じだ。原型、何らかのモデルを設定して、その通りであるか、あるいはそこから「欠落」していたり「劣って」いたりするかのように人をみるのは決定的に間違っている。

「人間に原型(モデル)は無い。」今はもう亡くなった寺山氏と最近すっかり悟りを開いたかのような五木氏は、そのとき何度も繰り返した。

 

 30年以上たった今でも、僕はこのとき刻み付けた言葉を忘れない。

 

 二十歳の辻井伸行さんは、僕たちに人間の真理を教えてくれている。

 

 

 

 

 

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