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1968年から40年

2008. . 08

 今日は10月8日、1967年の今日、当時の首相佐藤は、ベトナム戦争への全面協力を期し、南ベトナム訪問に出発した。ベトナム反戦を叫ぶ新左翼各派は当然これに反撥し、三派全学連は佐藤訪べト実力阻止・羽田闘争を組織し、現地に向かった。10.8羽田闘争である。当時高校1年生であった僕たちにとっては「ジュッパチ」ショックとして以後語り継がれる。日本の新左翼が60年安保以後再び登場し注目を集めるそれは契機であったからだ。翌68年はもちろん、1月のエンタープライズ寄港阻止佐世保闘争、王子野戦病院、三里塚空港、そして、東大・日大を頂点とする学園闘争が闘われ、海外でもベトナム反戦を軸に、フランス・パリの5月闘争、アメリカ、メキシコ、西ドイツ、英国など世界中で反戦闘争・学園闘争が闘われる。また、8月にはチェコ・プラハに、ソ連の戦車が入り、高まっていた民主化・自由化の波、市民運動が押しつぶされてしまった。

 

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 僕は、その後の人生観・世界観にこのとき決定的な影響を受けた。40年たっていまだに68年は忘れられない「時のとき」だ。もっとも当然ながらそういう人は多いようで、2008年の今年、夏にパリにいたら本屋に68年の関係書、写真集の類は前面に平積みだった。

 

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 日本では、この67年の10.8から約10年くらいは新左翼運動は前面にでていた。「多数の」とは最盛期でも云えないが。歴史にしっかり足跡だけは残している。いわゆる凄惨な党派間・内の「内ゲバ」によって、大衆的運動から乖離し、壊滅するまでの、この歴史的おさらいは今度ゆっくり書いてみたい。こちらのほうは整理して書くとしても1956年・ハンガリー革命(この『革命』に各論あるが)から、60年安保、そして三派全学連再建からこの10.8へ、68年・69年の反戦闘争・学園闘争の最盛期を経て、71,2年三里塚、72年連赤、74年連続企業爆破、78年三里塚、最後は80年代後半くらいまでだろうか。30年たらずの歴史だ。一方で限りなく虚しく、だが思想的には確かな足跡を残した。

 

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   たとえば先般、フランスでは、CPE法案に対し、パリを中心に全土で、高校生、大学生、労働者が決起し、デモ(マニフ)とスト(グレーヴ)を含む創意あふれる闘いを展開し勝利した。政敵サルコジと大衆運動の挟み撃ちにあったド・ヴィルパンは法案を撤回せざるを得なかったのである。街頭には「5月の若者たちが帰ってきた」と云われた。「社会正義は秩序に優先する」フランス市民社会の、これは民度というものだろう。

 

 権力の暴力には、「街頭に出て」、乃至はあらゆる創意工夫をもって闘う抵抗の精神は日本にあっても新左翼が突き出した思想的宝である。







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