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「吉本隆明の時代」

2009. . 19

 ちょっと分厚い本で「吉本隆明の時代」を読んだ。著者のスガ秀美という人は吉本を批判しようとしている。

 内容には自分の知らなかった情報もけっこう多かったので、面白く読めたのだが、とにかく全体を貫く批判はいただけない。要するに、吉本が、非常に政治的に、乃至は戦略的に、論敵を葬り、知識人として地歩を固めてきたというストーリーになっているのだ。60年安保闘争後、「試行」の発刊にしても、その他の動きにしても、ブント書記長であった島成郎との会合とか、武井昭夫との会合とかが強調され、吉本が政治的行動に強い意思をもって動いていたと語られている。また、社学同再建派(独立ブント・SECT6)へのかかわり、あるいは後年の叛旗派との関係にしても、実際以上に強調されているようだ。すべて、吉本が戦略的に知識人としていわばサクセスするための戦略のように語られる。また、吉本が、知識人として、「浮遊した」生活の心配のないところに身をおき、なおそのことに「疚しさを感じないで済む」スタンスを意識的にとっているとして、いわば吉本の「両極」にいる知識人たちと比較して論じたりしている。スガの基調は、回りくどく云っていても「知識人はその存在に疚しさを感じるべきだ」と云っているようだ。倫理「感」の問題に帰結させてしまうのだ。

 したがって、結局最終章で、このスガは、68年の思想を、例の70年7.7の華青闘告発で収斂してしまう。だから津村喬がもっともすぐれた思想の体現者だなどと言い出してしまう。当然、彼を「差別を食い物にしている」とまで激しく罵った吉本は、68年の思想を理解できなかったとされてしまう。見当違いもはなはだしいが、これがこの本のあらすじだ。

 

 僕は、それこそ7.7以降、逆に新左翼運動が萎縮し、衰退していったと思っている。「差別告発」がその意図がどうあれ、運動の内部に「言葉狩り」にまでいたる奇妙な精神主義をもたらしたからだ。唐突なようだが、「内ゲバ」や個人テロ、リンチにいたる精神構造もそれはもたらした。運動体内部での倫理主義的摘発がさかんになり、はなはだしい場合は毛沢東主義と結びつき、「作風」などといわれだす始末であった。津村は毛沢東主義者であったし、文革を絶賛していた。連赤の悲劇も、毛沢東主義の「作風」が一因であったことは論を待たない。

 もちろん7.7の告発は重要な指摘であったろう。また差別の問題は現在に至るも避けて通ることの出来ない克服されねばならない問題である。だが、当時の告発は何故か運動体内部に極端に向けられた。「言葉狩り」もそうであった。ワルシャワ労働歌の訳詞に差別的言辞があるといって歌詞を変えて歌う部隊もあったのである。そして一般的にあらゆる「歌」が摘発されたわけではもちろんなかったのだ。

 68年の大きな思想的拡がりを「差別告発運動」の面からだけとらえるのはむしろ後退だ。

 

 当時、運動内部での差別告発運動に血道をあげた人々は、例えば現在日本の首相をやっている麻生太郎という差別の塊のような男をどう思っているのだろう。この男はかつて同じ自民党内で、総裁候補だった野中弘務のことを、「あんな部落出身者を総裁にはできないわなあ・・」と云ったとされる。野中は、会議の席で、「私は絶対に許さない」と云ったという。当然だと思う。これこそ差別だからだ。この麻生という男には決定的に何かが欠けている。こういうことこそ徹底的に糾弾すべきではないか。こんな男を日本の首相にしていることがまさに我々の恥だと思う。

 

 「吉本隆明の時代」を読むと、時代の思想に取り残されたとここで批判されている吉本の「勝利」がますます確信されてしまう。

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