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春の朝

2009. . 17

  The year's at the spring,

 And day's at the morn;

 Morning's at seven;

 The hill-side's dew pearl'd;

 The lark's on the wing;

 The snail's on the thorn;

 God's in His heaven--

 All's right with the world !

 時は春、/日は朝(あした)、

 朝は七時、/片岡に露みちて、

 揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、

 神、空にしろしめす。/なべて世は事もなし。

 

lrg_14620350.jpg 

 

  誰でも、中学生くらいのとき感動して暗誦しただろうと思う。ブラウニングの「春の朝」、上田敏の名訳である。僕もひとと変わらず、大人になったら、こんな静かな春の朝を迎え、一杯の紅茶を飲むという心豊かな生活をしたいと思っていたものだ。

 僕は52年2月生まれなので、57歳になった。ブログタイトルのAlexisは誕生日の守護聖人だ。今年は妙に暖かい2月で、早起きしていたら、何故かこんな詩が頭をよぎり、これを知った中学生くらいからの時代を思い出している。中途半端で嫌なことも多い時期だったが、後になってみれば良いこともけっこう思い出せるものだ。

 ボーイスカウトをやっていたので、キャンプやハイキング、野外活動には親しんでいた。最近まで登山したり、子供をキャンプに連れて行ったりしていたのが億劫でなかったのはそうした経験があったからだろう。63年11月、東京都の合同訓練大会の日、早朝、ケネディ暗殺のニュースが飛び込んだ。ケネディはスカウトだったから、僕と同じ世代のボーイスカウトは皆このときのことを良く覚えていると思う。翌年、東京オリンピックでは、開会式のリハーサルや、会期中の各地で、参加各国の国旗掲揚をやったものだ。あれも正式なプロトコールがあるわけで、自衛隊とボーイスカウトしか出来なかったのだ。僕たちスカウトはそのために、つまり各国国旗の上げ下ろしのためだけに、中学校の遅刻早退が文部省から許可されたものだ。オリンピックへの当時の国の入れ込みようがよくわかる。中学校時代というのは中途半端な年齢で、特に高校受験などは、出来の悪かった僕は良い思いはしていない。最終的には奇跡的に地域トップクラスの都立高校へ滑り込むことになるのだが、学校の教師からはろくなことを云われなかったものだ。僕は学校の勉強以外の読書や、音楽や、映画や、色々な遊びに夢中になっていたのだ。英語や国語、また歴史などは読書だけはしていたが当時の学校の成績や受験にまったく結びつかなかった。でも後悔はしなかった。

 高校生になって、新たな出会いや読書によって、冒頭の詩に象徴されるような、憧れていた19世紀英国中流家庭の市民生活が、当時の植民地や国内労働者階級の搾取を前提にしたものであることを知る。またボーイスカウトの淵源がアフリカに進出した英国帝国主義によって組織された前線の部隊であったことも違う角度で納得するようになる。ずっと世界観が拡がる。歴史観が出来てくる。もちろん日の丸・君が代の強制などにも反対するようになる。少しは成長したのだろうか。高校生運動への参加も含めて、高校生になってから急に明るく積極的になったようだ。もちろん大人の市民としての豊かな生活への憧れが変わったわけではない。60年代の日本人の平凡な生活目標に過ぎない。ただし、当時はベトナム反戦とか学園闘争とかのテーマの中で、そうした日常の「市民生活」にある種のやましさや疑問符が投げかけられる時代ではあった。日本政府はアメリカのベトナム介入に協力し、反戦運動をやる以上、その国内で生活している自分たちの存在を問い直そうという思いがあり、帝国主義を支えている教育体制までも問い直されねばならず、学園解体・自己否定まで語られた時代だったからだ。活き活きとした討論の輪がいたるところに生まれていた。自分の価値観を考え直さざるを得なかった。ただ、僕はどんなときも私生活をとても大切にしてきた。そして他人の私生活も尊重されるべきだと思った。その前提がないと運動も力を失うと考えていた。何でも心から飛び込めないと駄目なものだ。今でもそれは正しかったと思っている。

   10_10-4.jpg

 どうみても、今までも何となく書いてきたとおり、東京の普通の中学生であり、高校生だった。ちょっと偏っていたかもしれない。

 

 それからあっという間にここまできてしまった。またブログに色々と書くこともあるだろう。とりあえず自分が57になったらなにか思い出したことを書きたくなった。妙に悟ったり、老け込んだりしたくないのでこのくらい。

 昨夜、ヒラリーが来日した。60代にして、何と若々しく、颯爽として美しいこと。タラップを降りてくるとき、ゆったりした贅沢なオーバーコートがひるがえって総裏の美しいシルクプリントがみえた。お洒落である。50代くらいでぐずぐず云っている場合ではないようだ。

 来日したヒラリーが、麻生だの小沢だのと会うかと思うと、日本人として恥ずかしい限りだが、彼らもまた選ばれて出ているのだから、これも仕方ないことのか。そう思うのは自分の「老い」なのかわからない。「Alex君、インテリにとっては・・・」大学で言われたことがある。「民主主義というのは、耐えることなんだよ。」オールド・リベラリストだった教授の言葉である。彼は思えば現在の僕くらいの年齢か。彼はすでに「悟って」いたのだろうか。"Everybody doesn't like noisy politics, Alex," ぼくのかつての上司の言葉だ、"・・・Quiet life !"

 確かにそうだ。クリアーに云うものだと思った。でもそうありたくてもなかなかね。彼は典型的な英国人だったのだろう。

 

 歳をとっても、世の中のほうが騒々しい。冒頭の詩のように、「なべて世は事もなし」というわけにはいかないようだ。自分自身もまた、なかなか「耐える」事もできず、「悟る」気にもなれないから、まだまだ落ち着かない。せめて春の朝、静かに紅茶を飲み干すくらいの贅沢で心豊かな生活をしたいものである。誕生日に改めて思う。

 

 

 

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