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また、1968年

2008. . 16

 先週末、NHKで、ETV特集「加藤周一 1968年を語る~"言葉と戦車”ふたたび」を観る事が出来た。先日亡くなったばかりの人だから最後の頃の映像である。昔、「オールド・リベラリスト」という言葉があったがそんな言葉を思い起こさせる、老いたりといえどもさすがにしっかりした発言であった。

 このブログでも何度もふれてきた68年の世界的な反乱、それに心を打たれた彼の、パリの5月におけるサルトルとの対話、プラハの春とそれが戦車で弾圧された後の地下放送の取材、などは、僕は初めて聞く内容であった。また、アメリカのベトナム反戦運動、日本の反戦運動・全共闘運動にももちろんふれていて、世界的な反乱の一環としてとらえられていた。

 このあたり、僕たちにはほぼ常識というか前提になっているが、現在、つまり、この世界恐慌という閉塞的な時代にあって、あらためてこのような放映があるということにもちろん意味があるのだろう。若い世代、20代、30代の人たちはどのような思いでこの番組を観ただろうか。

 

 先日の米大統領選に際してオバマがChange というスローガンを繰り返した。それにふれて加藤周一は68年5月のパリのスローガン"Changer la vie”「生活を、(人生を)変革しよう」という言葉をとりあげ、これはより「深い」ものだったと言っていた。日本でも「自己変革」(東大全共闘は「自己否定」とまでいった)は運動の中のスローガンであった。当時闘った人間の内面をよく捉えていると思う。

 ただ、僕の当時の不勉強だったのかどうか、加藤周一氏が、(あるいは現在「全共闘運動」になにがしかの「評価」を与えている他の知識人もそうだが、)全共闘運動、新左翼の反戦運動に好意的だったというようなことはまったく記憶にない。それほど、当時、マスコミは一丸となって「暴力学生」を非難していたのである。ベトナム戦争に加担する政府に対する非難、あるいは権力に対する非難よりもそれは一層強力なものであった。僕は何度でも云っているが、68年当時にあってさえ、全共闘運動を含めて新左翼運動は「多数派」の運動ではなかった。マスコミにも、多くの知識人にも非難され、安田講堂にあった落書きの通り、「連帯を求めて孤立を恐れず」まさに孤立した運動であった。だからこそ、その中での戦う決意が尊いものだったのだと思う。権力から弾圧され、世間からも非難され、それでもその孤立に耐えて闘う思想、まさに「自己変革」が要求されていたからだ。

 

 話が少しそれてしまったが、この番組中の白眉というべきは、やはり「プラハの春」とその弾圧後の地下放送の記録、その取材だろう。本物のジャーナリストの勇気と良心である。また、プラハの放送局を占領された後のブルノからの世界に向けたメッセージ、特にウィーン市民に向けたメッセージがあったが切迫感があり、感動的だった。よくこのようなテープ、資料が残っていたものだと思う。本当に観てよかったと思った。

 ちょっと前にブルノとプラハへ行ってきて、89年のビロード革命の意義を思いこのブログにも書いた。番組を観てあらためて思い知らされたが、68年の弾圧はすさまじいものであった。21年目にやっとむかえたふたたびの春は本当に大切なものだ。

 何度でも書きたい。旧ソ連・東欧の「社会主義」などマルクスの理想とはまったく関係がない。とんでもない社会体制であった。これらを擁護するいかなる政治思想も歴史に逆行する反動的なものであり、絶対に信じてはいけない。

 そして68年の反乱の意義もまた忘れられてはならない。

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