スポンサーサイト

--. . --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

H君への手紙

2014. . 14
 日々、ご活躍中の様子、うれしく思っております。
 さて、最近の貴君の言説について、小生の思うところをどうしても書いておきたくて、このようなかたちをとります。本来、ゆっくり一杯やりながら、と行きたいところですが、貴君もお忙しいようだし、事態は急を要するので、まあとにかく書いてみましょうか。重なる内容ですが、2つの側面から見ていきましょう。

 ウクライナの情勢について、いうまでもなく、先日の、ロシアの「クリミア侵攻」とロシア編入という事態についてですが、貴君はこれを、「他人事ではない」と、そして、「集団的自衛権」の議論と結びつけて語ります。
 もちろん僕も、「他人事」とは思っていません。が、そのあとの議論の方向がだいぶ違います。

 ここ数年、チェコの僕の友人がよく言っていました。どうして君たち日本人は、あの巨大な中国に対してそれほど無関心(彼らにはそう見えるようです)なのか? どうして、韓国、北朝鮮との関係にそれほど神経質なのに、中国との関係に大雑把なのか、中国、韓国、北朝鮮 と並列に論じているのか? と、いうわけです。本当に不思議そうに訊くわけです。僕は、何となくしか、つまり、確かに中国のほうが圧倒的に人口も多いし、大国だしな、くらいにしか彼の言わんとするところを、思っていませんでした。 しかし、今回のロシアの動き、クリミアを武装制圧し、そのうえで「住民投票」を実施し、完全に「ロシア編入」を果たすという力強い動きをみて、情けないながら初めて、彼の言ってきたことの意味が、実感としてずっしりとわかってきました。つまり、例えば彼は今50歳くらいですが、少年のころから、つまりブレジネフ・ソ連時代、共産党一党独裁下のチェコ時代から、89年革命、自由化後の現在に至るまで、引き続きずっと、「大国」ロシアの影を意識しながら生活してきた、その具体的な軍事力も含めた圧倒的なパワーを意識しないでは、自分たちの国家、自分自身のアイデンティティも位置づけられない ということでしょうか。
 かつて東欧と呼ばれた中央ヨーロッパの人々は、いまだにEUとロシアのはざまにあって、複雑な政治・外交を展開し、経済生活を営んでいるわけです。もちろん、誰もロシアの影響力が強くなることなど望んでいない。(この辺はロシア系住民が多数を占めたクリミアとは事情が違います。)しかし、希望を持って加わったEUも、実はその理想とはかなり違い、実質的には、日本で貴君が批判しまくっている「官僚」がはびこり、間の利益をかすめ取ってゆく。「ブリュッセル官僚」と彼らは呼びますが、それは例えば、こういうことです。EU諸国の中で相対的に安い賃金のため、自動車からファッションブランドまで、多くのヨーロッパ製品は旧東欧諸国で生産されます。中でも優秀な工業国チェコには、フィアット、アルファ、フォルクスワーゲンなどヨーロッパ各国の自動車工場も集中します。で、輸出で経済的に豊かになるかと思いきや、EUにいるかぎり、一定の基準の緊縮財政を要求され、高い税率でブリュッセルにお金を集められてしまう。自分たちには、国民にはお金回らない。ある日突然、郊外の、人もいないようなところに、噴水までついた、とてつもない広い公園ができ、誰も座っていない立派なベンチが並んでいる。(日本でもよくある箱ものと一緒ですね。)そんなものが、ブリュッセルの、EUの予算で次々に出来上がってくる。こうした利権で官僚たちが肥え太る。どこかでよく見た構図ですね。そんなEUに,嫌気がさしても、出るに出られない。一方、ロシアの経済は、今は一見よさそうに見えても、実は一寸先は闇と彼らはよく知っている。大国、大きなパワーと経済の中で、雁字搦めにされながら、それでもしぶとく生きてゆかざるを得ない。こういう彼らから見ると、拉致問題がシリアスなのは仕方ないとしても、たかだか北朝鮮の「ミサイル」だの、韓国との「慰安婦問題」だのと騒いでいるのが実にのんきに見えるのでしょう。北はしょせん張子の虎、中国の軍隊に比べれば、あるいは彼らからしたらロシアのそれにくらべれば所詮おもちゃみたいなもの。韓国との懸案事項も、戦時中まで植民地にしていたのは確かなのだから、悪いことは悪いとしっかりけじめをつけて、中国との関係を考えたら、味方にしなければならないのはわかりきったことではないか というわけでしょう。

 ウクライナの問題、今回のクリミアのロシア編入の問題は、プーチンが当初、見え透いていたとはいえ侵入した部隊の国籍を隠したり、実際に「住民投票」を行い、多数決をもってロシア系住民 (彼らにしてみれば、ウクライナがああなった以上、保護せねばならない「在外同胞」です。) の支持をとりつけてロシア編入を果たしたこと、一方、ウクライナ暫定政権が、EU加盟派から、ネオナチ、宗教カルトまで抱え込んだ、かなりいい加減な「暫定政権」であることを考えると、単純にどちらが良いの悪いのと決めつけるわけにはいかない、複雑な問題です。ましてそれを、「中国が日本、尖閣列島に侵攻したら」とかに例えて、「国連決議の不備」や「集団的自衛権行使」の必要性に話を持って行くのは、単純すぎると僕は思います。世の中、受験のようにマルかバツか、というわけにはいかない。当初はともかく、次は、ロシアにとってはクリミアが、EUにとってもウクライナが経済的には負担になってくるでしょう。そして一方、「ブリュッセル官僚」はウクライナを収奪の対象として考えるのでしょう。

 さて、もうひとつの話というのは、ここで語られる、「集団的自衛権」です。安倍は改憲のハードルが高いとみるや、姑息にも96条を変えてハードルを下げようと提案しました。当然これは、あまりにもひどいということになり、下げざるをえなかった。そうしたら、今度は「解釈」を変えて、いわば政権の解釈によって、憲法の運用ハードルを実質的に下げて、「集団的自衛権行使を容認」するという、とんでもないことを思いついた。その理由は、「国際情勢が(安全保障上)緊張しているから」というわけです。

 だが、もちろんこんなにひどい話はない。憲法が、時々の政権によって左右されるなら、それは一般の法律と変わらない。三権分立も立憲主義もない。いつか書きましたが、「改憲」できるのは国民の負託を受けた政権が「革命政権」であるときだけです。国王だろうが皇帝だろうが憲法は守る義務を課せられる。逆ではないのです。19世紀半ば、歴史の授業で教わった通りです。あのドイツでさえ、だから皇帝はこの「憲法」というやつが嫌で嫌で仕方なかった。憲法を求めた革命運動、大衆運動を思い切り弾圧した。それでも運動を抑えきれなかった皇帝は「憲法を作る」ことを約束し、「帽子を取って」バルコニーから路上の市民たちに挨拶した。憲法とはそうした性格のものです。
 あるいは、僕が高校1年のとき、上級生の招待で、文化祭で講演した宮沢俊義氏が「8月革命説」を唱えたように、(これは日本国憲法が、形式的には帝国憲法の「改憲」だったためです。) それほどの政変でなければ憲法はさわれない。
 大体、一般的な実定法はもちろん政治の力によって動かされるものですが、憲法のように、自然法に基づく人間の権利にふれた法は、政治に左右されてはいけない。これはイデオロギー的な問題というより、もう基本教養の問題だと思います。安倍などは、そもそも高校生くらいのとき、まともな教育を受けたのか、まっとうな読書をしたのか、言っていることを聞いているとそちらのほうを疑いたくなります。

 ひとたび「解釈改憲」による「集団的自衛権の行使容認」などやったら、どうなるか。海外派兵は当然ですから、それも、今、こんなことを議論している連中は自分自身は行かないのですから、若い世代の自衛官が行くことになる。「海外の戦闘地域には行かない」ことを前提に、良心的に入隊している自衛官が、もし「派兵拒否」したらどうするのか、石破は「軍法会議」を復活させて敵前逃亡を防ぐ などと言っていますが、基本的に戦時中、軍隊というものにあって、軍法会議をやったら敵前逃亡は死刑ですよ。で、そんな「自衛隊」に志願者がいなくなったら、今度はどうするのか、徴兵ですか、日本も戦前スタイルのドラフトですか。そもそも、ヒト、モノ、カネ、です。海外派兵できるだけの莫大な予算をどうまかなうのか、兵器をどうそろえるのか、財政危機なのではなかったのか。いくら増税しても足りません。日露戦争の借金をつい最近まで返してたんですよ日本は。よくもまあ、こんなにめちゃくちゃな話を言い出したものだと思います。

 そもそも、「集団的自衛権」といって、なにか自衛権に「個別的」と「集団的」とあって、「集団的」のほうは、自国の領土から遠くまで出て行って、いわば「予防的」に「自衛」する、乃至は、「同盟国」が攻撃されたときに「防衛」する というふうに拡大して解釈していっていますが、これがそもそもの間違いの発端、あるいは一部勢力の意識的曲解でしょう。
 この「自衛権」の根拠とされている国連憲章の条文では、「国連加盟国に急迫・不正の武力攻撃が加えられた場合には、これに集団的に、あるいは個別的に武力で自衛する権利を、国連は妨げない・・・」ということが書いてあるのであって、予防措置としての自衛、あるいは自国の領土から外へ出ての「自衛」、ましてや他国の防衛などということは一切書かれていません。
 そもそも、「日米同盟」などと、平然として語られますが、昔、左翼の側が、「安保粉砕」を言う時に、安保条約の本質が「日米軍事同盟」であるとアジったのを覚えていますが、実際には、日米は正式に「同盟」を結んでいません。「日独伊3国軍事同盟」以来、当たり前ですが、戦後、日本はどの国とも軍事同盟は結んでいません。「集団的自衛権」とは、あくまで「自衛権」=「自国の領土」に「武力攻撃」が加えられたときに「集団的」(collective)であれ、「個別的」(individual)であれ、武力で自衛できる権利がある ということの一表現であって、それ以上の拡大解釈は許されません。まして、解釈改憲とセットで、海外派兵までしようなどというのは、戦前の開戦の過ちと同じ、一部勢力の「集団ヒステリー」に近い。

 ウクライナ、集団的自衛権、そして改憲、ゆめゆめ目先のことだけで論じてはならない。また、単純な正義と悪の2分や、偏差値秀才にありがちな○×式で考えてはいけない。
 
 歴史、世界史に学び、哲学を持ち、きっちりとした議論をしてほしい。マスコミも、世のオピニオンリーダーも責任重大です。
 今日、靖国参拝が問題になっていますが、問題になった理由はA級戦犯です。あの戦争も、いまだに責任をあいまいにしようとする人たちがいます。こんな「解釈改憲」から「海外派兵」などの道を開いて、いったい誰が将来責任を取るのでしょうか?

 乱筆にて失礼。取り急ぎ一筆啓上。








スポンサーサイト

comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://alexisy1789.blog44.fc2.com/tb.php/180-bc082af2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。