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黄金の60年代

2013. . 16
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 昨日、ピーター・オトゥールが亡くなったそうだ。もちろん「アラビアのロレンス」の名演を観た人には一生忘れられない俳優だろう。
 
 
 僕は、彼とデヴィッド・リーン監督とのアイルランド人としての愉快な逸話を、伊丹十三のエッセイで読んで、この超ハンサムで188センチの長身な俳優に、つまりは自分と正反対のルックスのスターになんだか親しみがわいてとても好きになった。
 「アラビアのロレンス」はもちろん、若きウディ・アレンまで出てくる「何かいいことないか、子猫ちゃん」とか、オードリー・ヘップバーンと共演した「おしゃれ泥棒」とか、軽妙洒脱な役どころは、60年代の、僕たちの憧れそのものだったといっていい。だから、ずっと後になって、あの「ラスト・エンペラー」で、ジョン・ローンが世の中で話題だった時も、僕は教師役のピーター・オトゥールのほうをしっかり観ていたものだ。この自らの経験をもとに「紫禁城の黄昏」を書くことになる渋いインテリ英国紳士を演じて、彼ならではの名演だったと思う。

 「おしゃれ泥棒」で共演したオードリー・ヘップバーンは、今年、没後20周年だそうで、いくつもの映画をBSでやっていた。彼より2歳ほど年上だった。50・60年代の彼女は本当に綺麗だ。つい記念に新刊の写真集を買ってしまった。” Audrey in Rome "  特に60年代の洗練されたスタイルは観ていて飽きない。彼女もまたクラシックバレーをあきらめねばならなかったくらいの長身だった。着こなしが当然美しい。また、芸能界を離れ、ひとりの妻・母親として生活しているローマでの彼女の日常の姿の、まあ綺麗なこと。

 ピーター・オトゥールも、オードリー・ヘップバーンも、60年代に本当に輝いていたスターだった。映画でみる彼らの着ているもの、食べているもの、部屋、ライフスタイルのすべてが、縁遠く、まだ憧れの対象にしかならなかった。そもそも、そのいくつものものが、後になるまで何であるかも知られていなかったのだ。知られていたのは車くらいだろう。オードリーがテラスで飲んでいるボトルのエヴィアン、スキーから帰るとき、車に沢山積み込むルイ・ヴィトン、みんな、後になってから、僕たちはそれが何であるか知ることになるのである。60年代半ば、映画の中のその「記号」を日本で理解できた人はほとんどいなかったと思う。50年代はなおさらだ。僕の年代は60年代の彼らの映画はリアルタイムで観ているが、ヘップバーンの有名な映画、例えば「サブリナ」や「昼下がりの情事」といった50年代の映画は、逆にそのあとから観ているはずである。実は「ワイルダーの名作」として観たのだ。「昼下がりの情事」は57年か8年くらいの映画だったと思うが、ゲイリー・クーパーのホテルの廊下に積まれている、オードリーがかげに身を隠すくらい大きなトランクはみんなルイヴィトンだった。あのモノクロの映画をリアルタイムで観た日本人のどれくらいのひとが、当時そのブランドを認識していただろうか。

 
 60年代のシンボルともいうべき一人の名優が死んで、また、同じくそんな美しい女優が亡くなって20年経ったことを知り、つくづく、60年代が遠くなったのだと思う。それでも、60年代は輝いていた。スクリーンの中でも。憧れて観ているだけの、こちら側でも。

 まあ、年寄りの繰り言だね。






 
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