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O型、あるいは水瓶座の男子

2013. . 13

 

 書店で愉快な本を見つけた。気恥ずかしかったが、ほかの本と一緒につい買ってしまった。 玉木朗「ボク達の超B級アーカイブ」。
いやあ楽しい。著者はアメ横「るーふ」に勤めて販売をしていたそうだから、会っているかもしれない。というより、何回かは必ず顔を合わせているはずである。
 彼が居たという70年代半ば~80年代初め、僕は20代後半になる。大学を終え、雑誌のアルバイト、家庭教師のアルバイトを終え、まともな就職先など僕にはなかったが、なんとかサラリーマン生活を始めたころである。バブル前ではあるが、自分自身としては、それまでにない安定した収入を得るようになったわけだ。見かけによらず、ちょっとした着道楽であった僕は、この著者のいた「るーふ」、隣の「ミウラ」には、ちょこちょこ出かけた。好きだったアメリカンカジュアルの「本物」がそこにはあったからだ。で、この本にも書いてあるが、特に「ミウラ」は店の前に男の子が2人立っていて、「冷やかし」は許さない。商品を指定して、サイズを確認、試着したら必ず買うのが決まりというプレッシャーの中での買い物であった。それでも、この2つの店には、この本に出てくる服、靴は言うまでもなく、魅力的な商品が嫌というほどあった。
 
 
 もちろん、自分の好みというのがあるから、著者のこだわりと愛情はわかるが、本にあって僕が手を出さなかったものも多い。だが、出ているもので自分で買ったものは本当に愛用した懐かしい品ばかりだ。
 
 リバイス(リーバイスじゃないよ、僕たちの呼び方は。)の646.僕は紺のコーデュロイ、白ラベルのこれをずいぶん愛用した。ミウラの店員さんが、「うちのスタッフはみんな必ず持っています」と言ったのが殺し文句だった。当時、痩せていてウェストが細かったせいか、アメリカ直輸入のこのフレアしたパンツを裾あげしないで穿いたものだ。同じ紺色のスエードのKedsのスニーカーに合わせて穿いた写真がたくさん残っている。例えば78年夏の写真を見ると、上に英国製アレン・ソーリーの洗いざらしのポロシャツを着ている。これはその数年前、銀座のテイジンメンズショップで購入したものだった。(当時ジョン・スメドレーはまだ存在していなかった。というより、後にこのアレン・ソーリーがつぶれて、ジョン・スメドレーが、フルファッションという、身頃と袖のボーダーが綺麗につながるミシンを引き継いで、今に至るのだ。) 秋・冬にはチェックのネルのシャツにシェトランドのグレーのセーター、その上にFoxknappのチェックのCPO、本に出ている写真のと色違いのものだった。(少し前に姪にあげた。) 頭に紺のワッチキャップ。全部ミウラで買ったものだ。そのまんまアメ横ルックだったわけだ。 (ちなみに、その後、30代には、映画のウディ・アレンを見てから、スーツを着ないときは、ツイード・ジャケットとチノパンというスタイルになる。これはこれで懐かしい。今につながってくるようだ。初めて買ったラルフ・ローレンのシェトランドツイードのジャケットはとても軽く、対照的に、打ち込みの強いオックスフォードのシャツはしっとりと重かった。)
 
 だいたいが下町の子だから、買い物は主にアメ横と銀座が昔から身近だったのだ。(で、そのうちにミウラが銀座にお店を出す。これが現在のShipsというわけ。 ) 高校生、大学生のころ、アルバイト収入だけだったので、大した小遣いも無かった頃から、将来、どんな仕事であれ、スーツを着て働くサラリーマンになったとき、問題はスーツを脱いでカジュアルになった時の服だ と思っていた。当時はまだまだ、今のようではなかった。おじさんたちは、休日はひどい恰好をしていた。スーツを着ているとそれなりなのに、ひとたび脱ぐと、それはもう「カジュアル」などという概念はなかったのだろう。ほんとうにひどかった。だから、出かけるときはまじめな人は休日でも仕事用のスーツに着替えた。ゴルフウェアを得意げに来ているおじさんたちもいた。けっこう豊かな人たちでこんなものだった。ああはなりたくない と思っていたのだ。

 前にブログに書いたスコッチグレインのBass Weejunsの大きな写真が本に出てきたのもうれしかった。僕はこれをずっと履いた。履いた人は知ってると思うけど、Bassのローファーは履きこむと、袋縫いのつま先とソールがぱっくりと割れてくる。これをくっつけながら履いたりして長く履き、さらにやられてきたら、オールソール交換する。そういえばこの上に穿いていたLeeウェスタナーはこれもアメ横・守屋商店で買った。ここも「冷やかしお断り」のおじさんが(今も)いる。「なあに、ホワイトジーン?Leeのいいのがはいってるよ、ダブルステッチで。穿いてみな・・・。」という調子。これも愛用したが当時のLeeのサテンと呼ばれたホワイトジーンの生地は洗えばどんどん詰まっていった。4年位穿いて友人の奥さんにあげてしまった。
 

 
 この本を読んでいると著者が本当にこういうものに愛情を持っているのがわかって実に楽しい。
僕は当時、本に出てくるアロハシャツとか、ミッキーマウスのキャラクターのセーターなどにはさすがに興味はなかったが、ほとんどの商品は記憶にあるし、中の一部は今でも欲しいくらいだ。
 (今でも売っているものも多いが、著者も言うように、もうその頃と微妙にテイストが違ってしまった。Made in USA でなくなってしまったからだ。つまり、あの時代はもう帰ってこないし、もうあのアメ横ファッションはどれも手に入らないのだ。)

 もっとも、当時、欲しくても、それなりの価格だったのと、どうしても自分に似合わなかったので手を出さなかったものもある。Baracuta,G-9、これはなで肩の僕が着るといかにも貧相だったし、レイバンシューターに至っては借り物みたいでまるで漫画だった。とても欲しかった、ミウラの店頭でつやつや光っていたRed Wingのワークブーツは今と変わらない値段だった。ということは当時、国産の結構高級なスーツが一着買える値段だったのだ。

 思い出しているときりがないが、本を見てすぐ、昔の写真を眺めた。思いがけず、愉快な読書だった。

 
 まあ、衣食住、好きなものに囲まれて暮らせれば、人生はかなり幸福である。

 昔、女子たちと、「生まれ変わったら何になりたいか?」 というような、くだらない話をしたのを思いだした。僕は、実際、様々なコンプレックスを抱えながら生きているが、生まれ変わってもやっぱり自分が一番いいと、こういう時には思う。
 僕の家はサラリーマン家庭ではなかったので、高度成長期にあっても、自分で働くまではけっこうお金には苦労したものだ。 だから、というわけではないが、もうちょっとお金があって、欲しいものがすぐ手に入ったら、とか、ちょっとばかり背が高くてハンサムであれば、とか、軽く東大に入れる位、頭がよかったら、とか、何だかんだとつっつけば人間、欲はきりがない。 だが、そうだったらそうだったで、何か手ひどいしっぺ返しを食っていたかもしれない。妙な女に騙されていたかもしれない。人生はわからない。頭が良ければ良かったで、自分の性格で頭が良かったら、さぞ「嫌な奴」だっただろうと思う。あるいは、身体が大きく強かったら、妙な自信で、大けがをしたり、させたり、まかり間違えれば、人を殺していたかもしれないのだ。身体も頭も、まあまあそこそこ、お世辞にもハンサムとは言い難くても、結局今の自分でありえたことが一番Happyであったのだと思う。身の丈に合ったアメ横ファッションから何十年か、その後、スーツはオーダーするようになり、カジュアルもバブルを経て、数々の輸入ブランドに手をだし、もちろん手の届く範囲でではあるが、贅沢なお洒落にも、食事にも、それも海外での体験もプラスして、結構親しんできた。つまり自分なりに十分enjoyできたのだ。
 
 
 楽しいことだけ考えていたかったが、世の中はそうはいかず、自分なりに思いつめ、闘い、あるいは期待し、また、失望し、色々とあった。何とかやってきた仕事も、(もっとも僕は日本の普通の会社というのを知らないので比較のしようがないのだが)人並みの苦労も喜びもあった。でも、どんな時でも、私生活を大切にし、他人の人生を羨んだことは結局一度もない。
 

 女子に言わせると、これは、O型、あるいは水瓶座の特徴だそうだ。自分大好き。それでいい。この著者のように、好きなものに囲まれていれば、いつも満足できるはずである。
 今更、言うまでもないが、幸福の要諦は「足るを知る」にある。

 本当に、思いがけず、愉快で楽しい読書だった。 今度、思い出しついでに僕もいくつかこのブログに書いてみよう。















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