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連合赤軍40年

2012. . 27
 1972年2月末、あさま山荘事件があった。山荘に人質をとって立て篭もった5人の「連合赤軍」活動家が1週間以上機動隊に包囲され、放水とガス弾をあび、鉄球を建物に叩きつけられ、全員逮捕された。一部の「左翼」はこれを「あさま山荘銃撃戦」と呼んで支持した。だが、直後、彼らが前年末から逃亡、移動してきた山岳アジトにおいて29名のうち12名の活動家を粛清=リンチ殺害していたことが暴露されるや、「支持」をよせていた人々はあわてて撤回した。また、この「連合赤軍」の片方、赤軍派の源流ともいえる関西ブント系の連中は、「銃撃戦は良かった、が、リンチは誤っていた。」などと、まったく無思想、無定見をあらわにし、恥の上塗りをやった。
 60年代末の暴力的闘争も含めた大衆的反戦闘争、反権力闘争の盛り上がりを、いきなり「革命情勢」と錯覚し、革命軍を作って銃を持って武装闘争をやろうなどという路線を引き、権力に追い詰められ、自らの部隊の中に専制権力を作り出し、階級を作り、結果として、粛清をやり、人質事件を起こした。ひとつの路線の中で、どちらも必然的に起ったことであり、同じ部隊が起こした「事件」である。同じ部隊の彼らの論理による「闘争」なのである。切り離して考えることなど絶対に出来はしない。(だいたい「銃撃戦」などというが、警官隊は最終的な突入のタイミングで一部拳銃を使用したようだが、もともとガスと放水で戦ったのであり、銃撃したのはもっぱら連赤のほうだったから、これは一般的には「銃撃戦」などとは呼ばない。)
 
 この72年連合赤軍「あさま山荘事件」および「リンチ殺人事件」が新左翼運動に、いやそもそも日本の働く階級の闘いにもたらしたダメージは計り知れないくらい大きい。権力側、体制の側からではなく、働く階級の側から見て実に犯罪的な連中であった。
 赤軍と武装闘争の一点だけで野合した「革命左派」などは、「反米愛国」の毛沢東主義を路線化していた。逃亡中、「中国へ行って」武器をもらったり、援助してもらったりすることまで真剣に検討していたそうだ。こうなるともともと新左翼ではない。

 その72年6月、第1次ブントを立ち上げて60年安保闘争を闘った島成朗氏が講演で発言したのを僕は良く憶えている。「もともと、(共産党を離れて)ブントを結成したのは、反スターリン主義というモチベーションがあったからだ。」それが、「どこをどう間違えたら、毛沢東主義という極端な残存スターリン主義に、ブントから割れたはずの赤軍派が野合するのか。」
 赤軍派のオリジンというべき関西ブントも、そもそも島氏の1次ブントとは始めから思想的出発点が違っていたのだろう。2次ブントにあっても、60年代後半の闘いの中にあっても、彼らに「反スターリン主義」のモメントを見出せないからだ。だから、赤軍派の連赤に行かなかった連中は、なんと北朝鮮に行って、これまた悪質なスターリニストの手先となって働くことになる。

 連合赤軍指導者は2名とも、森は逮捕後獄中で自殺し、永田は昨年病死してしまった。革命左派の最高指導者だった川島豪ももう死んでいる。赤軍を作った最高指導者塩見孝也だけが現在表で暮らしている。
 だが、その塩見から、40年たった今現在に至っても、この「連合赤軍」に関するまっとうな総括を聴いたことがない。

 最近、「アフター・ザ・レッド」という本を読んだ。連赤の「生き残り」の活動家数名へのインタビューである。彼らもまた、被害者でもあったであろう。だが、殺された側にしてみれば「加害者」でもあったはずだ。こちらも40年目の現在にして、インタビューの限界なのか、本人の責任なのかわからない、が、僕にはまったく言葉の真の意味での「総括」も、真摯に事件へ向き合ったあとも伝わってこない。わずかに雪野建作氏だけは、高校時代から運動にかかわったそうで、何はともあれ知的な営為のあとは感じたが、ただ、彼の場合は連合赤軍が山岳アジトに逃亡する前に逮捕されている。永田に批判的で、その理論的批判に永田のほうがかなわなかったようで、「山に入っていたら真っ先に殺されていただろう」と述べている。「山に入った」生き残りのほかの人々は、40年後の今、どうしているのだろう。どんな風にあの頃のことを考えているのだろう。

 概して「団塊の世代」の新左翼は勉強していない。特に、関西ブントとかこのマオイストとかいう人々はもともと理論軽視どころか論理軽視、反知性主義の傾向があるようだ。だったらはじめから左翼だのマルクスだの言わないでほしいものだ。
 以前書いたが、現在のように世間が右傾化していると、滅茶苦茶に幼稚な理屈であっても右翼的であるだけでとんでもない奴がもてはやされたりする。少し前の子供会総理・安倍を思い出す。逆に40年前、多少世の中が60年代後半から左翼的な言辞がもてはやされていたので、どうもかなり幼稚な理論で、研鑽を積むことなく突っ走った指導者が出たようだ。情けない話である。 指導者達の責任がより重いのはいうまでもない。

 連合赤軍40年、書きたくもないテーマだが、書かないわけにも行かない。
 






 
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