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ポロ

2012. . 26
 前回、「富裕層」のことについて触れた。欧米の富裕層と言った時、僕がすぐイメージするのがポロだ。ラルフ・ローレンの衣料品ではない。そのブランドネームの元になったほうの競技だ。ちょうど、1月の今頃、例年サン・モリッツでは雪上のポロ、ワールド・カップが行われる。昨年の覇者はフランス。( どうも今年は天候により、氷が薄いため、26年の歴史で初めてキャンセルされるようだ。) いつも、スポンサーにはカルティエはじめ数々の名門ブランドが並び、真冬の屋外のスタンドには高価な毛皮と帽子で身を固めた女性たち、彼女達をエスコートするリッチな男達が座る。雪のグラウンドには、わかりやすく赤いボウルが飛び、ポロ・ポニーに跨ったプレーヤーがマレットでそれを追う。およそポロほど華やかなスポーツはないだろう。しかも、プレーヤーたちは7分のチャッカーごとにルール上馬を乗り換える。最低でも4頭の馬を普段から飼っていて試合に供するのだから、桁違いの金がかかる。要は、プレーヤーも、観客も、すべてが文字通りの「富裕層」で、それもかなり豊かであって、さらにビッグなスポンサーがついてはじめて成り立つ競技というわけだ。

           cartier-snow-polo 2011

 
 何といっても見栄えがするから、映画などでも富裕層のシンボルとして使われる。「グレート・ギャツビー」や「プリティ・ウーマン」を覚えている人も多いだろう。「記憶の鍵」というマニアックなのもあった。
 去年、ヨーロッパから帰ってくるとき、飛行機の中で「モンテ・カルロ」という軽い青春ドラマを観た。テキサスの田舎から憧れのパリへ来た主人公の女の子が、ヨーロッパの貴族の娘と瓜二つで間違えられて、モナコまで行って、彼女の替わりにポロをやる羽目になる。

      montecarlo.jpg

 観ていた本物の伯母さんが、彼女の乗馬スタイルがウェスタンで、姪のブリティッシュと違うので入れ替わっているのを見抜いてしまうという、なかなか凝ったオチもあった。

 まあ、とにかく、ポロは美しく、華やかで、映像で観ていても気分が良い。
 くだらない話だが、昔香港で、占い師に、僕は辰年で、馬と龍のモチーフが相性が良く縁起も良いと云われたことがある。以来、どこかにそのモチーフを置く。とはいっても、洋服や身につけるものに、馬のモチーフは嫌というほどあるが、龍はなかなかみつからない。ちなみに現在使っているこのPCのスクリーンも普段は季節ごとのポロ・シーンだ。

 一度、眼の前で本物をみてみたいと思っていたが、92年だったか93年だったか、日本でもポロのゲームがあって観に行ったことがある。。確か「第一回ドン・ペリニョンカップ」。主催者は毎年やるつもりのようなスピーチをしていたが、バブル崩壊の影響か一回だけで終わった。そのタイトルの通り、シャンパンの会社の主催だったのでさすがにシャンパンは飲めたが、売っている食べ物は海苔巻き弁当だけだったりした。船橋のあたりで開かれたのだが、会場もそれほど豊かな雰囲気にはなっていなかった。まあ、僕が行ったくらいだ。(笑) とにかくまったくインフラが整っていなかったわけだ。ただし、第2ピリオドのあと、観客がグラウンドに出て土をならしたり、尻尾を編みこんだポロ・ポニーにさわったりしつつプレーヤーたちと交流するという慣習は実行され、楽しめた。本物のポロの雰囲気の一端は味わったというわけだ。
 
 実は、スポーツとして考えたら、競技としてのポロはつまらない。走るのが馬だから、例えばボールが飛べば両チームのプレーヤーと馬が一斉にそちらへ走り、ラグビーでいう次々につながるパスとか、展開とか、ましてステップだとかはまったく不可能だからだ。ゲームの戦略・戦術も限られているのだろう。その意味では、ラグビーを観る方がずっと面白い。しかし、同じ理由で、つまり走るのが馬だから、スピードがあり、グラウンドが広い分、せいせいして気分は確かに良い。

 前回書いた通り、富裕層には、もっともっと贅沢にお金を使ってほしいものである。でも、日本でポロが普及する日が来る、というのは夢のまた夢か。 



                        cartier_polo.jpg          


 (写真 ; 上は昨年のカルティエ・スノウ・ポロ、ワールド・カップ、 中央は映画「モンテ・カルロ」のセレナ・ゴメス、下は以前のスノウ・ポロ)




 
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高橋良平
はじめまして。貴ブログのギリシャ危機に際するゴールドマンサックスの動き、とても勉強になりました。金融資本の暴走は資本主義全体に大きなダメージを与えることは必至で、国家がどのようにそれを規制するのか注目しています。ところで、ブログ主様は維新の会をどのように評価されていますか?興味があって質問させていただきました。維新の会が、どうも政局の争点を体現しているように、思えて、現実にそれが政局の主導権を握るかどうかは別にして、多くの識者が注目と支持を始めています。その中での論争は、恐らく、今の日本をどうするのか、という点においてかなり重要な議論がされていると思うのですが、そこは外部からは窺い知れないので、ざっばらんに、ブログ主様にはどのように映られているのかを教えていただければと思いました。
お暇な時にでも、ご簡単にで結構ですので。
自分は結局は、橋下氏の信条によって潰れると思っています。教育とか、日の丸とかで妥協しないで潰れると予測しています。
2012.02.11 13:50
alexis
高橋良平様
 コメントありがとうございます。
以前のものも読んでいただいているようで恐縮です。これからも宜しくお願い致します。
 さて、橋下氏と「維新の会」についてですが、今度機会があれば少し考えをまとめてブログに書こうと思っていたところです。
 現在、実際何のための政権交代だったのかと、裏切られた思いでいる人々はかなり多いのではないかと思います。とにかく、増税、年金改革、TPP,沖縄問題、原発の再推進、打ち出されてくることのすべてが、彼らのマニフェスト・政権公約と逆の、弱いものをいじめ、強いもの、大企業、官僚達を喜ばせるものでしかなくなってしまったからです。今言われている「年金改革案」にしても中間層の負担が増え、受け取る年金は減り、さらに増税が追い討ちをかけるというひどいものです。どうして「奪われたカネを返させる」という当然の発想が出ないのでしょうか。とことん官僚達に洗脳されてしまったのでしょう。で、かといって自・公政権に戻したほうが良いと短絡的に考えられるはずもなく、国民にやり場の無い不満・怒りはつのっているはずです。
 橋下氏はここを突いたので成功したのだと思います。とにかく「既得権」に切り込んでいこうという姿勢があるわけですから。小生も、TVなどでの彼の発言を聞き、いささか乱暴だとは思いますがこの部分は評価するものです。ただし、彼の人気に追随しようとする、「維新の会」だとか、彼にすり寄る民主党、自民党の政治家とかはまったく評価しません。愚かしく、滑稽なだけです。自分たちの政党の今守ろうとしている「既得権」やそれを代表する人々と対決することなく、どうやって「野合」を実現しようとするのでしょう。
 
 例えば、教育改革については、彼のやろうとしていることはとてつもなく乱暴です。教師の評価に生徒や保護者のそれも加えて、続けて悪い評価だったらクビだというのでは、まともな教育なんて出来ないでしょう。(また、「君が代」に不起立、というのは教師の思想からする「政治行動」などではなく、むしろ、強制的に「君が代」を押し付けるほうが特定の政治思想や国家神道という宗教の押し付けだと思います。不起立という抗議はむしろあって当然です。)
 ただし、これまで文科省や「教育委員会」が何をしてきたか。「ゆとり教育」だとか、それが駄目だったから今度は「進学校」を再建しようとか、さんざん無責任につまらないことだけをして振り回してきた。差別・選別を推し進めてきた。これに対して声を上げないほうがおかしかったのです。現在橋下氏を批判しようとする人々が、みなこれらの「教育界の既得権」にどっぷりとつかった「守旧勢力」なので、批判が批判にならず、すぐやりこめられてしまうのはそのためです。多くの人はそこにある種の「小気味良さ」を感じるのでしょう。
 小生は大きな事はいうつもりはありませんが、およそ、国家と政治にとって一番大事なのはまず外交、そして教育です。それがあってあじめて経済です。
 およそ「ゆとり教育」だとか、「身の丈にあった・・・」云々というのは格差、差別・選別教育を生む元凶ともいえる発想です。
 以前「経済成長」についてふれて、ブログで書きましたが、小生は幸福の要諦は「足るを知る」ことだと思っています。しかしそういうことは個人がそれぞれその人生で思うことであって他人に言うことではありません。言われたくもありません。僕が誰か知人に「そのくらいの生活で『足るを知った』ほうが幸せだろう」などと言ったら、彼は怒るでしょう。又僕が誰かそれこそ「富裕層」の人にでも「君は今の生活で幸せを実感すべきだ」と言われたら大きなお世話だと思います。まして、政治指導者が現状で幸福を実感し、満足しろと言ったら、それはファシズムかスターリニズムです。教育の世界で、例えば勉強の出来ない子に、「無理して頑張らなくていいよ」と、「君はそのくらいのところで人生設計しなさい」というのがいいことなのか、僕は違うと思っています。それは日本にあった階層の流動性を固定化してしまうものだと思うからです。
 
 亡くなったスティーブ・ジョブスは「愚かであれ。ハングリーであれ。」と言いました。味わい深い言葉です。いつでも原点に返って見つめなおし、努力する、という意味なら。ただし、これはジョブスがスタンフォードの卒業式でスピーチの最後に言った言葉です。実際に愚かだったり、ハングリーだったりする人々を前にしたら、彼は決して言わなかったでしょう。

 何だか、とりとめがなくなってしまいました。
取り急ぎコメント返信といたします。橋下氏、「維新の会」について、今度改めて、考えをまとめて書いてみたいと思います。

 ありがとうございました。



 

 
2012.02.13 13:45
高橋良平
無理言ってすいませんでした。そして返信ありがとうございました。
橋下の教育改革に対する批判を、これまでの教育を担ってきた人たちがしても説得力がない、というのは、なるほどと思いました。参考になります。
どのような主義であれ、努力を奨励し、そして努力が賞賛される社会であることが、社会において一番大切であると、あなたの主張を読んで思いました。そのための教育であり、政治なのであると思いました。
まずは自分から努力しなければと、改めて思いました。
失礼しました。

2012.02.14 20:07

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