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ベラ・チャスラフスカ

2011. . 29
  また、ちょっと長いヨーロッパ出張だった。いつもどおりのスケジュールをこなし、仕事も含めてエンジョイしたが、今回もちょっとしたサプライズがあった。プラハで、コントラクトのある女性アーティストの個展オープニングに出かけたのだが、何とチャスラフスカさんと会った。1964年、東京オリンピックで僕達を魅了したゴールド・メダリスト、あのチェコの名花である。
 思ったより小柄な人だったが、美しい眼は鋭く、握手した手が大きいのが印象的だった。日本びいきの彼女と楽しくすごした。
 僕は東京オリンピックの頃を思い出して話していた。彼女の体操の演技は本当に日本中を魅了した。当時、リアルタイムで東京オリンピックを観た人々は、TV他様々な画像で、チャスラフスカの名前と美しい姿を記憶しているだろう。
 オリンピックの期間中、前に書いたかもしれないが、僕は中学校の遅刻・早退を文部省から許され、各国の国旗掲揚をやっていた。僕と同じ、当時の東京のボーイスカウトはこれも記憶しているはずだ。まだ中学一年だった僕は、片隅のほうでオリンピックに協力しているようでそれなりに誇らしかったものだ。
 そんな当時の金メダリスト、で、子供達にも評判の飛びぬけた美人、ということでチャスラフスカはよく記憶されていた。

                  チャスラフスカ


 その後、体操の名花として世界で活躍する彼女は68年「プラハの春」の運動を支持し、2千語宣言にも署名する。当時、ソ連、ブレジネフによって「反革命」と決め付けられたこの宣言への署名の「撤回」を、彼女は何度も強要され、そのたびに断固として拒否し続けた。本物の思想の持ち主であり、意思の強い人である。
 同68年、ソ連・ワルシャワ機構軍のチェコ侵攻、プラハに戦車が入った直後に開催されたメキシコ・オリンピックでは、抗議の意味を込めて濃紺のレオタードで演技し、金メダルを取り続けた。ただひとつ、ソ連のクチンスカヤに金メダルを奪われた平均台の表彰式ではソ連の国旗掲揚・国家演奏、クチンスカヤの金メダル授与に眼を背けた。
 スターリニスト・共産党政権下、いわば監視下におかれた彼女の立場は辛いものだったと思う。

 89年、友人の反体制活動家であり、ビロード革命後、初代大統領となったバーツラフ・ハヴェルと彼女はともに「復権」を果たす。長く、暗い日々を送らざるを得なかった彼女は少し身体も弱っていたそうだ。ここ数年、積極的に公的な場に姿を現してくれるようになった。東京オリンピックで活躍した彼女は日本びいきだ。福島の地震被害者への募金活動もチェコで行っている。

 
 さて、翌日午後、空いた時間に、プラハ最古のカフェ、「カフェ・スラヴィア」でのんびりとすごした。


                 
                       カフェ・スラヴィア

 
 かつてスメタナが住み、多くの作家、詩人、アーティストたちが集ったこのカフェは、バーツラフ・ハヴェルもまた愛した場所だということだ。ビロード革命後、リモデルされ、昔の華やかさを取り戻したこのカフェは天井が高く、広い。大変な貫禄で本当に落ち着ける。国民劇場の前、ブルタヴァ川(モルダウ)河畔という最高のロケーションもあって観光客の姿も多い。
 パリ、サンジェルマン・デ・プレの「ドゥ・マゴ」を思い出すようなところだがあれより大きくて広い。

 まったく東京でもどこでもカフェが好きなものだ。どこでも同じなのかもしれない。

 長い出張、さいわい仕事自体もエンジョイできるが、合間にこんな時間が続くと、さらになかなか良いものだ。











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