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山本義隆

2011. . 02
 
                                                  yamamoto.jpg 
  
 
 山本義隆の「評論」が店頭に並んだ。周知の通り、元東大全共闘議長であり、のちに全国全共闘議長であった彼は、当時の「知性の叛乱」以降、社会的な評論、政治的発言などはまったくしていない。「磁力と重力の発見」や「一六世紀文化革命」を発表して高い評価を得たが、政治的・社会的なことは発言しないことが責任の取り方であるかのように沈黙を守ってきた。
 そんな山本氏が沈黙を破って書き下ろしたのが、今回の評論「福島の原発事故をめぐって―いくつか学び考えたこと―」である。当初、雑誌「みすず」に載せる予定だったそうで、100ページ位の短い本だが、さすがに内容は豊かで、論理的で説得力がある。

 日本における原子力の導入は、実は当初から「核兵器技術の保有」を視野に入れ、「潜在的核保有国」として国際的に力を示すことにプライオリティがあった。これを著者は岸信介の回顧録や中曽根の発言などから明らかにしてゆく。原子炉を持ちさえすれば核兵器の原料を自動生産でき、いつでも兵器に転用することが可能なのは当然である。そこで、技術的安全性よりも、外交・安保政策が重視され、基本的に国家主導の下に原発導入が進められてきた。
 僕は以前、村上春樹のスピーチにケチをつけた寺島某が「核の平和利用」と言っていたのを思い出した。そんなことがいかに馬鹿げた子供だましの理屈なのか、この本を読むと一層よくわかる。
 
 以前東電の副社長を務めた人物の本も紹介されている。高レベル放射性物質の廃棄には「数万年以上というこれまでに経験のない超長期の安全性の確保がもとめられる」から、「各地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要が」あるといっている。「正気か?」と山本氏は怒っている。「数万年以上」といえば人類誕生にまで遡る。そんな「超長期の安全性」を誰がどのように「確保」できるのか、札束の力で理解させようというのか。
 原子力技術は他の技術と異なり、有害物質をその発生源で技術的に無害化することも、現実的なタイムスケールで保管しておくことも不可能である。そのような未熟な技術を試行錯誤しながら使い続けることは犯罪である。また、誰一人として「全体」を把握していない原発という巨大システムについては「技術神話」は成り立たない。

 国策としての原発推進が原子力ファシズムを生み、暴走に至った。原子力技術は人間の手によって制御できないものであることをまず認識しなければならない。
 日本は大気圏で原爆実験を行った米国や旧ソ連と並んで、放射性物質の大量放出の当事国になってしまった。こうなった上は、世界での教訓の共有、事故の経過と責任をすべて明らかにし、そのうえで脱原発・脱原爆のモデルを世界に示すべきだ。著者はこう結論付ける。
 
 「市場原理にゆだねたならばその収益性からもリスクの大きさからも忌避されるであろう原子力発電に対する異常なまでの国家の介入と電力会社にたいする手厚すぎる保護は、弱者保護の対極にあり、きわめて由々しい結果をもたらしている。実際、それでなくても強力な中央官庁と巨大な地域独専企業の二人三脚による、その危険性からも政治的視点からももともと問題が多く国民的合意も形成されていない原子力開発への突進は、ほとんど暴走状態をもたらしている。税金をもちいた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣伝を繰りかえし、寄附講座という形でボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作り上げていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している。」

 「・・・現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない。・・・むしろ本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。」

 
 山本義隆氏が、沈黙を破って、発言せざるを得なかった怒りが伝わってくる。原発の問題はやはり根が深い。
そしてまた、多くの文献をあたり、問題を深く歴史的に追求する彼の知性に頭が下がる。 僕も原発の廃止を訴えてきたが、彼ほど深く考えてのことではなかった。(もちろん、基本的には「わが意を得たり」と思う読書だった。)

 
 もともと、東大全共闘議長に推されたとき、自然に、「彼のいうことならば・・・」と、圧倒的に人望があったという。多くのセクト、ノンセクトをまとめられたのもその人望があればこそだった。また、湯川秀樹の弟子だった彼は物理学徒として、東大闘争が無ければ、将来はノーベル賞といわれるほど図抜けて優秀だったそうだ。
 その後、予備校での彼の物理の講義はアリストテレスからはじめる名講義だったそうである。

 今回の読書でも感じたのは、こういうすがすがしい人物こそが「本物の知性」であるということだ。彼の「知性の叛乱」のタイトルの受け売りのようだが、本物の知性は必ず権力に叛逆する。難しい東大の入試にパスして、卒業後、エリート官僚や大企業の幹部に、はたまた政治家になったとしても、ときの権力に媚びて「出世」しているだけであれば、それは単に「処世」の要領であり、知性ではない。

 
 さて、非力ながら、すべての原発の廃止を、さらに訴えていこう。

 (写真は69.9.5全国全共闘結成集会で逮捕される前、潜行中の山本義隆氏)



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