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いよいよ還暦

2011. . 10
 なんと、住んでいる中央区から「還暦のつどい」の知らせが届いた。僕が還暦を迎えるのは来年であるが、こういうのは年度でやるらしい。小学校のクラス会の通知まで「還暦クラス会」ときた。とかく、周りから年齢を感じさせられることが多くなった。TVドラマでは、同世代の女優なら仕方ないが、自分よりだいぶ若いと思っていた、黒木瞳だの、宮崎美子だのといったひとたちが、もうママではなく、お祖母ちゃん役である。まったくね。
 さて自分が年齢を重ねたからか、それでなくてもアホな政治家たちがますます幼稚に思える。「菅降ろし」の結果、もしかしたら、僕からすると子供会のようだった安倍政権以来またも「自分より年下の総理」が登場するかもしれない。いやはや嫌な世の中である。

 このところずっとブログを書いていなかった。通常たいして忙しくも無い仕事が、色々重なって本当に忙しくなってしまったのが主たる理由であるが、この間の政治家たち、あるいは原発をめぐる官僚たちの動きに、怒っていたのがもうあきれ果てていよいよ言葉を失うといったところまできてしまったのが本音である。何を言っても空しいというか。

 民主党の「菅降ろし」をしたいらしい若手官僚たちは自民党や公明党と勝手に話し合って、政権交替の支えだったマニフェストを放棄してしまった。「子ども手当て」を廃止するそうだ。所得制限をもうけ、かつての「児童手当」に戻すのである。しかも、「子ども手当て」を支給するからといって廃止した「扶養控除」は廃止したままにするそうだ。マニフェストの柱でもあった政策を捨て去って、さらに野党と結託して増税し、人々の負担をさらに増やそうというのだから、これはもう詐欺である。「公務員人件費のカット」も、「天下り廃止」も、「事業仕分け」その他の見直しもすべて止めて、とにもかくにも負担は国民に押し付けてしまえばいいという、官僚たちだけには実に都合の良い政権になってしまったわけだ。
 「子ども手当て」はもともと「控除から給付へ」と、いわば民主党マニフェストの核といってもいい政策だったはずだ。それをなんと「所得制限」を設けるだって?それが年収850万とか1,000万とかだって!いったい、なんと想像力の無い連中なのだろう。子が中学生といえば親はだいたい30代後半から40代前半、俗に言う「厄年」のあたりである。ひとによって、世帯によって年収にものすごく開きがある年代である。それこそ「格差」があるのだ。子どもたちは何を思い、何を言い出すだろう。「君のところは年収が低いんだねえ、子ども手当てをもらえるんだから」、あるいは「君の家は年収が多いから子ども手当てなんかでないだろう」。要は親たちの「格差」が子どもたちにオープンになるということだ。「いじめ」だって起きるかもしれない。あるいは、夫婦のどちらかが年収1千万(これは僕はその年代で特に高いとは思わない)の世帯に子どもが3人いたとして手当ては無く、800万の世帯で一人っ子の場合手当てが出ることになるが、どちらが大変だろう。こんなことで「少子化対策」などになるはずがないではないか。所得の不平等はそれこそ所得税の累進性をもって考慮していけばよい筈で、「子ども手当て」で格差を子どもたちにオープンにしてどうするのだ。

 「原発賠償支援法」も通ってしまった。原発事故の責任はだれにあるのか。被害の補償はとにかく東電とその株主がやるべきではないのか。原発推進でカネをばらまき、それをはるかに上回るカネを儲けた連中はリスクをとる責任はないのか?
資本主義下で、私企業は当然リスク&リターンである。儲かったら自分たちで山分け、損害が出たら全国民に負担してもらおうという、こんな図々しい、盗人猛々しい理屈がまかり通って本当にいいのか?これで、東電は負担を軽減して生き残り、電気料金、税金というかたちで確実に原発事故の補償が国民に廻ってくる。この法案が「東電救済法案」と揶揄される所以である。「東電をつぶしたら電気がこなくなる」だって?JALをつぶしたら飛行機が飛ばなかったか?国鉄をつぶしたら電車が走らなかったか?
 東電を救済し、政-財‐官の鉄壁の原発利権を維持する、この強い意思に民主党も自・公も皆ひれふしてしまったのだ。「やらせ」、「増税」、何でもありだ。まさに、働く階級を嘲笑するかのようだ。

 政治家たちは、何故このように「オール与党」として、官僚支配に屈してしまうようになったのか。そんな政治家ばかりになったのか。
 
 最近政治家たちは皆とても小粒にみえる。
 かつて、保守政治家たちは、イデオロギーはともかく、政治家としてもっと大きかった。僕はもちろん反撥していたが、彼らは今の政治家のようにちゃちではなかった。これは僕が歳をとったからそう見えるのではない。
 佐藤栄作にしても中曽根康弘にしても、彼らは、総理になったからにはそれまでの「自民党総裁」から「日本の総理」にスタンスを変えることが出来た。つまり日本という国家全体を代表するリーダーとしての立場に立つことが出来た。実際の政治意思、内容は別である。佐藤はいうまでもなくベトナム戦争に対米協力、参戦国化の道を開こうとしたし、中曽根は核武装までにらんだ原発推進論者である。こんなことにもちろん僕は賛成できない。しかし、彼らは総理であった当時、それでも自分の政治主張と「日本の国家としての利害・立場」を区別しようとした。だから、佐藤は「密約」つきであれ沖縄返還を実現し、(僕は異論があるが)、中曽根は「軍国主義的」とまでいわれてきたそれまでの主張を総理になるや引っ込め、「先の戦争ではアジアの人々に迷惑をかけた」と、「アメリカとは『戦争』であったが、アジアの諸国に対しては明確に日本の『侵略』であった」とまで発言し、靖国公式参拝も中止したのである。

 こういうことは、本当は当たり前のことである。オバマは大統領になるや「民主党党首」でなく「合衆国大統領」としての責任を負う。合衆国とは敵党派の共和党も含むのである。かつてドゴールは自分を推したマシュ将軍と敵対してでも、アルジェリア独立を認めた。インドシナを体験していた彼は時代を読んだ上で「フランスの栄光」がどちらの道にあるか判断したのだ。(マシュ将軍とは68年5月の収束にあたって和解するが)。あるいはまた、敵対し批判を繰り返すサルトルを「あいつもフランスだ」として最後まで擁護した。
 リーダーはこうあるべきだ。
まあ、ここまで大きくなくてもいい。せめてその精神の一部だけでも学んで欲しい。


 僕は日本の政治家がここまで駄目になってしまった理由のひとつは、90年代はじめの「政治改革」という経世会の馬鹿騒ぎによる選挙制度改悪=小選挙区制であると思う。
 だんだんとこの害悪が効いてきた。狭い地域や業界の利害代表、大政党の幹部の命令に服従するだけの若手議員、はっきりいって、どこにでもいそうなお兄ちゃんたち、お姉ちゃんたちが国会議員になってしまう。政党の主力メンバーは、政権をとっても「日本のこと」など考えもせず、自分たちの「身の回り」や政党の利害優先、知識も乏しいから官僚の言いなりになるしかない。
 どうやら根本的には選挙制度から変えなくては駄目なようだ。「一票の格差」などすでに違憲判決が出てだいぶ経つのに改善される気配も無い。
 2大政党制がそんなにいいのなら、せめて合衆国なみに、大政党は「予備選」くらいやったらどうか。

 経世会は金権政治だけでなく色々な負の遺産を残してくれた。「政治改革」という「ちゃんちゃらおかしい(立花隆)」名のもとに行われたこの小選挙区制もそうだ。あのときこの「政治改革」に狂奔した連中が国会で、与党・野党とともに大きな顔をしているのが僕は気に入らない。当時これを持ち上げたマスコミも共犯である。

 歳をとって若い者が小さく見えるということでは決して無い。先日、僕は早稲田大学の大学院生たちと話をする機会があったが、彼らの考え深さ、真面目さに感心した。自分の同年代のときを思い恥ずかしくなったくらいだ。
 
 だが、長く生きてきた分、色々と見てきたこともある。僕の場合、この「政治改革」騒ぎは忘れられない事のひとつだ。とんでもない話だと当時も思っていた。案の定、ひどいことになってしまった。
 









 
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