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アニー・ジラルド

2011. . 02
                             アニー・ジラルド
 
 リビアで、カダフィがしぶとく権力に固執している。1人1日2,000ドルといわれる傭兵を動員して、自国民を6,000人以上も虐殺し、何としても、アラブ世界に広がる「革命」を押しつぶそうとしている。僕は先日のブログに「アラブ世界のベルリンの壁崩壊」と書いたが、カダフィはルーマニアの独裁者・チャウシェスクと同じ末路をたどるのが怖いのだろう。あのとき、蜂起した民衆はチャウシェスク夫妻を逮捕し、「宮殿」の裏で銃殺した。この銃殺を含む、駅構内での戦闘や放送局占拠などの多数の映像が「チャウシェスク政権の崩壊」としてNHKドキュメントとして後に放映された。

 インターネットで繋がった情報を共有し、かたやアラブ世界では若者たちの蜂起があり、わが国ではなんと入試のカンニングに使った若者が出た。今回明らかになり、こんなことが可能だったということは、これはたぶん氷山の一角なのだろう。実際はもっと多くのものが以前からやっていたことなのだろう。
 なんともいえない「日本的」な風景ではある。

 さて、そんな記事をみていたら、アニー・ジラルド死す、の報が載っていた。晩年はアルツハイマー病との闘いだったそうだ。79歳だった。もう彼女くらいの身近だった女優が「歴史」になってしまうわけだ。いやはや。

 もちろん沢山の名画に出演した女優であるが、僕に思い入れが強いのは、ヴィスコンティの「若者のすべて」(1960)とルルーッシュの「パリのめぐり逢い」 "Vivre pour vivre" (1967) である。まあ自分の年齢で妥当というところか。もちろん「若者のすべて」のほうは公開時には観ていない。TVとリバイバル上映(ヴィスコンティ特集)とで観たわけだ。
 アニー・ジラルドは、この「若者のすべて」で共演したレナート・サルヴァトーリと結婚し、死別するまで一緒に暮らす。そして、映画でこのサルヴァトーリの弟を演じて、ともにボクシングに挑戦するのが、当時若々しく登場したアラン・ドロンであった。ミラノのドゥオモの屋根の上でドロンとアニー・ジラルドが語り合うシーンは忘れられない。僕は90年代にミラノを何回か訪れるが、ドゥオモの屋根の上には簡単に出られることを知り、ああここがあのシーンの屋根かと納得したものだ。
 学生時代、雑誌編集のアルバイトをしたが、対談に出てもらった寺山修司が「家出」の話が好きで(笑)、この映画のことを話していたのも憶えている。まあ映画のほうは「家出」というよりも、一家全員でミラノに出てくる話だったが。
 
 そして、何といっても「パリのめぐり逢い」は、ルルーシュの「脂ののりきった」頃の名作だ。あの「男と女」の次の作品だから世間の期待も大きく、ルルーシュも気合が入っていたのだろう。ニュース・キャスター(こんな言葉はまだ当時なかったが) のイヴ・モンタン( 彼も今は亡い) の本妻がアニー・ジラルド、愛人がアメリカから来たモデルのキャンディス・バーゲン、という豪華な顔合わせ。モンタンは愛人と仲間と連れ立ってアフリカにサファリ・ツァーに行ったり、取材に行ったベトナムで行方不明になったりする。本妻のアニー・ジラルドとアムステルダムへ旅行するのだが、宿泊先の向かいのホテルに愛人のキャンディス・バーゲンも来てしまい、妻をごまかしながら2つのホテルを行ったりきたりする。帰りの寝台車で愛人が出来たことを告げ、本妻とは別れる。最後には、アニー・ジラルドが若い仲間と行ったスキー場まで会いに行き、若い集団に馴染めず、帰るとき、車のフロントグラスの雪をはらうと、助手席に彼女が座っている。ちなみに、愛人のキャンディス・バーゲンはアメリカに帰っている。この映画の、全部いわば「元の鞘」に戻るエンディングを、映画評論家・淀川長冶は「さすがに、フランスの、大人の映画の貫禄がございましたねえ・・・。」と評した。
 僕はルルーシュが好きなので、この映画も何度も観ていて、色々なシーンをよく憶えている。アニー・ジラルドは夫と別れた後、ウィンドウ・ディスプレイの仕事をしている。今で言うコーディネーターだ。そのウィンドウはサントノレのエルメス本店である。僕は映画を観たずっと後、75年に初めてパリへ行ってエルメスを訪れてその大きくて美しいディスプレイに感心したものだ。 (そもそも映画をはじめて観た頃、エルメスの何たるかも僕は知らなかった。それが世界の「一流ブランド」であることを知るのはちょっと後のことだ。確か伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を読んだ頃だった。ただ、パリへ行った時は買い物の目的を持って、手帳agendaが欲しくて訪れていたから、そのときは何とか知ってはいたのだろう。まあ当時は自分もまだまだ若かったわけだ。)  映画に登場する服の着こなしも皆良かった。当時、キャンディス・バーゲンが着こなすサンローランばかりが話題であったが、アニー・ジラルドのシックな装いも良かった。そして、男からしてみると、イヴ・モンタンの様々なカジュアルな着こなしが特に記憶に残る。タートルネックのセーターに重ねるツイードのジャケット、何度も出てくるゆったりしたシープスキンのコート、スエードのブルゾン (当時はジャンパーと言っていた。)、空港に着いてタラップを降りてくる時に着ていたトレンチコート、みな味があった。映画というのは、はじめの2度くらいはストーリーを追っている方が忙しいが、何度も観ていると、細かいシーンのひとつひとつがよく見えてきて楽しいものだ。僕は「男と女」とともにこの映画のサウンドトラックも車に積んであっていまだに車内でかけることがある。 

 アニー・ジラルドを映画で観てから40年以上経つ。60年代のこんな素晴らしい映画は今はもう出来ないのだろう。アニー・ジラルドのような小粋な女優ももう登場しないのだろうか。
 
                     (写真;パリ・マッチ)








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