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ブダペスト / イムレ・ナジ像

2010. . 24
 今年もまた、仕事で東欧を旅した。ブダペストの、美しい国会議事堂をみつめているイムレ・ナジの銅像には今も花束が絶えない。

                          IMG_0777_edited-1.jpg

 1956年のハンガリー革命を象徴するイムレ・ナジ。だが彼の復権は1989年まで待たねばならなかった。1955年、スターリニストたちによって首相を退陣させられ、当時のハンガリー勤労者党を除名されたナジは、1956年、改革派のいわば「ガス抜き」のように首相に返り咲いた。そして一党独裁の解体をはじめ民主化政策を次々と実行に移してゆくが、当時のソ連は戦車2,500、装甲車1,000をもってこれを圧殺、ナジは捕らえられ、58年に処刑される。

 現在、ハンガリーではこの1956年の学生、労働者の決起を正式に「ハンガリー革命」と呼び、最初の学生デモの日であり、ソ連の軍事介入が開始された10月23日を祝日としている。

 前にも書いたと思うが、僕はおよそどんな理屈をこじつけられても、この56年ハンガリー革命や、68年プラハの春、あるいは89年の一連の東欧革命を否定し、旧ソ連邦・東欧の体制を擁護するあらゆる思想、イデオロギーを絶対に信じない。
 30年以上前、旧体制下のソ連・東欧を訪れ、市民たちとともに仕事をし、わずかながら会話もし交流してきたから、当時と現在との比較も出来るのだ。
 旧体制は、単に「民主的でなかった」だけではない。何と言っても歴然とした「階級」が存在し「階級支配」があったのだ。マルクスだの「社会主義」だのどんな看板をつけてみたところで、その理想とは正反対の体制であったのである。当時も、何を勘違いしたのか「労働者国家無条件擁護」とか、ソ連・東欧の体制を奇妙に理想化して語る人間、「一応は」社会主義を実現したなどとさかしらげに語る人間がいたが、全部、宗教と言ってもいいほどの幻想であり、虚偽のイデオロギーであった。

  56年ハンガリー革命は、日本の非共産党左翼・新左翼も生んだ。当時の日本共産党がソ連共産党に追随するようにこのハンガリー革命、学生・市民・労働者の決起を「反革命」と決め付けたのに対する、それは当然の動きであった。
 だが、その「反スターリン主義」を掲げた新左翼もまた、実際は内部にスターリニストを抱え、あるいは「反スタ」という名の一党独裁を路線化するにいたり、現在までに何の説得力も持たないものに変わり果ててしまった。

 ナジの像はじっと国会議事堂をみつめている。マルクスの理想も社会主義も困難な道である。


 
 
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