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円高に思うこと

2010. . 07
 9月になっても暑い夏が終わらない。この週末、知人の別荘に招かれて寛いできた。僕は貧乏性なのか、日本のリゾートというのは何となく落ち着かなくて苦手なのだが、この別荘は素晴らしくいつでも寛げる。長いこと、少年時代からつい最近まで,キャンプには何度と無く行っているので、屋外での焚き火やバーベキューなどになれば慣れたもので楽しい。コールマンのランタンに火をともす時など、マントルを確認しポンピングしているだけでうれしくなってくる。 
 さて、夏には何故だかわからないが懐メロ、オールディーズというのをよく聴く。往復の車内でも通販で買ったそんなCDなどをかけたりする。60年代に引き戻される気がしてなかなかよい。こんな音楽をラジオで聴いていた当時、小学生、中学生だった頃、メルセデスを走らせ、BGMに同じ曲をかけている現在の自分は想像も出来なかった。 


                                    20090530013119.jpg
 
 僕はPCのスキルが高くないし、ずいぶんおそく覚えたほうなので、使いこなしている人には笑われてしまうかもしれないが、このあたりのことについてもネット上の情報というのは本当にたいしたものだ。YOU TUBEを使うと、60年代のヒットソングは音源が画像とともにしっかり再生できる。往時はラジオで曲を聴き、レコードのジャケットなどを眺めるだけだったのが、鮮明なモノクロ映像で、ウィルマ・ゴイクやジリオラ・チンクエッティが歌っているのが観られるのだ。(当時、サンレモ音楽祭は僕たちにはグラミー賞に並ぶほどの価値があったものだ。デビューしたチンクエッティは妖精のようだった。) 歌だけではない。当時のTVドラマ、パティ・デューク・ショーやドナ・リード・ショー、ローハイドや拳銃無宿のイントロから当時の名画のシーンまで何でも取り出して楽しめる。画像をアップしてくれる人がいるということ、加えて再生回数は数十万回にも及んでいるから、僕と同じような人が沢山いるのだろう。ポピュラーにとどまらず、マイルスやコルトレーンももちろん、ビル・エヴァンスとその指先をみつめながらデリケートなベースを刻む夭折したスコット・ラファロも、屋外でドラムスとの掛け合いをやるアニタ・オデイまで、モダンジャズも思い切り楽しめる。便利で良い時代になったものだと思う。

 さて、そこで円高の話である。いうまでもないが60年代当時1ドルは360円であった。「舶来品」などという言葉があり、輸入品は概して高価であった。本国ではどうと言うこともない日用品まで高いものだったのである。日本が豊かになり、モノが手に入りやすくなった。円高によって輸入品も普通の人の手に届くものになったのである。僕がいつも感慨深く思うのは、システムの問題もあるだろうが、海外旅行と車、そしてレコードが桁違いに安くなったことである。当時、新卒の初任給がやっと1万円というとき、海外にでかけるのには100万円ほどかかるといわれていた。同じ頃、トヨタがクラウンを発売したがこれも100万だ。  
 僕は高校時代初めてのアルバイトをするが、その郵便局での時給は100円に満たなかった。その時、LPレコードが国内盤で2,000円、輸入盤は3,000円近くした。現在のCDと大差ないのである。
 夏、オールディーズを懐かしく楽しみつつ、日本は豊かになったと思うのである。

 円が高くなった。それは基本的には日本が豊かになった、日本の経済が強くなったということである。逆ではない。現在は特に、産業の全体を考えてみても、GDPの構成比で、輸入が8割、輸出が2割くらいの構成である。働く人間は消費者であり、そちらから考えてみれば、消費される商品は食品を含めてほとんどが輸入品なのだ。円が高いということは、働く人間にとってはその賃金の価値が高い、あるいは消費する、買う商品の価格が安いということなのである。また日本の場合、多くの人は貯金は円でしている。円高とはその資産価値が高いということでもある。
 今日、何か円高が「悪い」ことのように云われ、国家が為替に介入するべきだとするような主張まである。だがもっと大きな、乃至は長いスパンで考えてみればそれはとんでもないことだ。国の通貨の価値はその国の経済の信用である。円が自然に安くなってしまったら仕方ないが、作為的に安くしてどうするのだ。賃金が安くなり、物価が上がり、ひいては可処分所得が実質的に減り、資産は目減りするのである。そんなことを本当に働く多くの国民が望んでいるのか。政府・日銀は円安の局面でこそ国民の資産を守るために断固として為替介入すべきなのである。
 勿論輸出に依存し、円高で打撃を受け、大企業のように海外へシフトしたり出来ず、困っている中小の製造業もある。国はその経営者、働いている労働者をあらゆる方法で直接救う義務がある。だがそれは円安へのシフトなどではない。円の価値が下がれば、物価が上がり、賃金は減り、彼らだってさらに困るのだ。だいたい、円高で下請け・孫請けの製造業が困るから「税金を使って」円安にしろなどというのは、公共工事が減って下請け・孫請けの建設業が困るから税金を投入してどんどん赤字のハコ物やダムを造れというのと同じ類の脅迫である。それでなくても、円高でなくても、大きな輸出企業は「安い賃金の労働力」を求めてすでにどんどん生産拠点を海外へ移している。彼らが円高を「少しでも」小さくしたいのは売上に関わるからであって別に「日本経済の空洞化」や労働者が仕事を奪われることを心配したりしているわけではない。また、円安にしたら今度はそれによって打撃を受ける8割に及ぶ輸入に依存している経営者、労働者を救わねばならないのだ。 「円高対策」ならば、為替介入などでなく、円高を活かし、負担を気にしてエアコンを節約して熱中症で死んだ老人までいるのだから、例えば電気代を思い切り下げるとか、それこそ介護や医療の分野を改善するとか、あるいはガソリン代を下げるとか、いくらでもやることがあるはずだ。 そして何より円高が避けられないのなら円高にフィットするような産業構造にしていかなければならないのが当然である。「円安」誘導しようとしてカネをどんどんつぎ込むなど、(効果が無いという意味で)無駄であるばかりか、またもバブルとその崩壊を引き起こしかねないとんでもない愚策である。

 円高は基本的に日本の経済が強く、自国の通貨に信用があるということである。繰り返すが決して逆ではない。






 
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