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冬の都知事選

2014. . 10
 45年ぶりの大雪だったそうだ。東京でも寒い2月、僕は、多くの人がダウンを着ている中、流行おくれの昔買ったムートンのコートを引っ張り出して着ている。まあ、こうみえても結構着道楽なので、「安物買い」は嫌だし、かといって、以前のように、新しいコートを気に入ったらパッと買うほどの可処分所得もないわけで、昔大枚をはたいたものを出したわけだ。 
                                            img_496839_13016727_15.jpg                      
 その、もっと昔は、ムートンのコートなんか映画で見て憧れているだけだった。「男と女」で、ジャン・ルイ・トランティニアンや相手役のアヌーク・エーメが、いくつかのムートンのコートを着て出てくる。ちょっとだけ登場するピエール・バルーも着ていたと思う。「パリのめぐり逢い」のイヴ・モンタンも、忘れられない。スクリーンのこちら側では、高校生の僕たちはといえば、「コットンスエード」と呼ばれた木綿に裏ボアも綿という素材でできた名前だけの「シェアリングコート」なるものを(「ランチコート」だっけ)、お洒落な高校生がジーンズの上に羽織っていた。バブルを過ぎた若者には想像つかないだろうね。
 だから、やがて、本物の、英国製やイタリア製の、同じ形のメンズのコートが店頭に並ぶようになり、かつ、いっぱしに働いて、そうしたものに手が届くようになったときはうれしかった。当然僕も英国製のをひとつ買ったわけだ。もちろん、レインコートやウールのコートの何倍もした。それもカジュアルなものにその金額を使うのには、たかが給料取りには勇気のいることだったとおぼえている。
 ただね。袖口の折り返しとかが弱っていたり、襟の折り返しがさすがにちょっと焼けたかなと思うけれど、今でも十分現役で着られるわけだから、結果的にはいい買い物だったのだろう。世の中、楽なものが流行りで、そのほうがいいのだが、ムートンの欠点はとにかく重いこと。昔のものはなんでもそうだから多少は仕方ない。ダウンと革を比べても仕方ないね。

  都知事選が終わった。事前の予想、世論調査、などの通り、舛添が勝った。宇都宮、細川両氏のそれぞれの得票数は彼の半分にも達していない。脱原発への闘いはまだまだこれからだ。
 ただ、この選挙を振り返って真摯に考えておくべきことはある。この都知事選に際して、細川が「脱原発」、「ワンイシュー」で出馬するやいなや、脱原発で候補「一本化」という動きがあった。これは、実際には、前の都知事選で猪瀬に大敗した宇都宮では舛添に勝てない、知名度の高い細川なら勝てる、だから宇都宮に「降りろ」 というものだった。 直前の広瀬隆の文書が露骨にそれを語っていた。「勝つ可能性のある候補」と「泡沫候補」とまで言い切った。宇都宮は「泡沫候補」とされていたのだ。宇都宮支持者への「一本化」要請は、選挙直前にはかなりヒステリックになっていった。一例として広瀬隆の文章を入れておこう。
  

  都知事選について

 原発廃止を求める勢力は、投票先が二分されている、と言われるが、その思考法そのものが間違っている。その候補者の一人は、当選の可能性が高く、もう一人の候補者は、当選の可能性がゼロである。これは、前回の都知事選で、猪瀬直樹に敗北した大量の票差から歴然と した事実である。主権者は、 「一般の東京都民」なのである。東京都民の投票動向が、前回から大きく変ることはあり得ない。したがって、当選の可能性がゼロの候補者に投票することは、泡沫候補に投票して、それがすべて死に票になる、と いうことだ。

 したがって、二人の候補者がいるのではない。
 

 自民党支持の舛添要一を倒せる候補者は一人しかいない。重要なことは、今日まで私のもとに、再稼働目前の危険にさらされている全国の原発立地自治体の住民から寄せられる期待は、全員が、原発再稼働阻止を第一に掲げている細川護熙知事の誕生である。加えて細川氏 は、有力候補者の中で、唯一、知事をつとめた経験があり、地方行政にくわしい。
 

 一体、誰が、舛添要一知事の誕生(あってはならない事態)に手を貸しているのか、原発廃止を求める人は、胸に手を当てて考えるべきである。舛添当選のニュースを見たいのか? ぞっとする。


 結果はどうだったか。ダブルスコアに近いとはいえ、舛添の次は細川ではなく、宇都宮だった。選挙直前、僕はFBにどこかでコメントしたが、宇都宮は「泡沫候補」ではすでになかった。
 TV討論などをみていると、細川は政策についてはしどろもどろ、肝心の「脱原発」も含めて、理論的、思想的バックグラウンドが感じられない。今回の敗北について、彼は「準備不足」とか言っているが、それはあまりにも都民有権者をバカにしている。準備期間にかかわらず、細川のことも、その「主張」も、知ったうえで都民は投票したのだ。はっきり言おう。都民はさらにもっと知っている。というか、覚えている。かつて「政治改革」騒ぎで、小選挙区制を導入し、今日の政治家の劣化を招き、あるいは、小沢の傀儡として「国民福祉税」と称して消費税増税をはかり、駄目押しに、税率の根拠を聞かれて「腰だめの数字」という世迷言を言って国民の不信を買った、それはそうだ、生活に直接かかわる大事な増税・率の話に、そんないい加減で適当なのかと誰でも思った。まあ、撤回せざるを得ず、そんなこんなで、短期間ですぐ政権を投げ出した。
 要は、細川には人間として、政治家として、乃至はその主張に「信頼感」がなかったのだ。宇都宮は「一本化」を言われたとき、すぐ「公開討論」を呼びかけたそうだが、細川はこれを断わった。討論でかなうわけがないと踏んだのだ。     
 さて、宇都宮にも、僕は投票しなかった。もちろん、細川支持者の一部が言ったような「共産党アレルギー」などではない。それを言えば、僕には共産党アレルギーだけでなく社民党アレルギーも、さらにずっと強く民主党アレルギー、自民党アレルギー、そして旧経世会アレルギーがある。 (そういえば、今回、民主党指導部は酷かった。はじめ、「舛添さん支持」と言っていた。確かに。そしてすぐ次には、今度は「細川さんが出てきたから」という。こうなってくるともう、政党のていをなしていない。)
 細かくは書かないが、宇都宮の「やってきたこと」に、政治家としてではなく、法曹界で、ということになるのだが、不信感があったからである。 要は、言っていることは確かに立派だけれど、実際はどうか、という疑念が最後まで払拭出来なかった というわけだ。 
 だが、もし、今となっては結果論だが、「脱原発」候補一本化の動きが、宇都宮候補一本化で動き、細川・小泉がこれを支持する 強力な運動になっていたら さすがに投票したと思う。 
 一本化が実現せず、文字通り脱原発の「票が割れ」、予測がついた段階で、自分の意思を少数意見でも示しておきたい と思ったわけだ。こういう都民もいるのだ、と。  
 最後に、もちろん警戒はしなければならないが、舛添は田母神よりまし、というかこれは比較にもならない。敵はみんな同じようなものだ というのは乱暴である。その舛添も、一方で自・公の支持や連合の支持をとりつけながら、田母神のように積極的に「原発再稼働」などとは言えなかった。「段階的に原発依存度を減らす」、これは民主党の主張と一緒だが、選挙戦でそういわざるを得なかった。それだけ「脱原発」票のプレッシャーがあったということである。
 で、安倍は、今回自民党として舛添支持をしたが、これは「勝ち馬に乗りたかった」だけで、イデオロギー的にも、原発政策も舛添より田母神にずっと近い、むしろ親和性がある。
 今回、宇都宮、細川両候補でこれだけ得票したこと、自民党は田母神でなく、舛添に乗らざるを得なかったこと は今後、彼らが、いくつかの「景気対策」以外には、そう簡単には「やりたい放題」が出来ないことを意味する。  
 
 また、宇都宮、細川に「脱原発」の票が「割れた」ことは、実は、現在起こっている「脱原発運動」を中心とする新しい「社会運動」が、現在の格差、貧困、派遣労働などの不安定な雇用、などを含む様々な社会的矛盾に、あるいは安倍政権の露骨で幼稚な右傾化に対決してゆく運動を孕んでいることの証左でもあった。「新自由主義」の小泉とその応援する細川 という構図では、いくら「脱原発」を唱えようと、どうしても逆行と考えられ、取り込めない人々が数多くいたのだ。新旧の左翼からノンポリの若者まで、幅広い参加者がいる「脱原発」デモ、毎週金曜・国会前抗議行動も、掲げられている「脱原発」ワンイシューでは実際にはとらえきれない、様々な社会的不満の表現、不公平への怒り、右傾化への危機感を含んでいたのだ。
 

 都知事選が終わって、僕はこんなことを考えていた。

 それにしても、かつての、美濃部都知事誕生のころを考えると、政治家がみんな「軽く」なった気がする。これは仕方ないのか。
 ムートンやウールがダウンに、防寒着の流行も軽いものに変わってきたように。







 
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