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特定秘密保護法

2013. . 17
 先月、自民党、公明党、みんなの党! の賛成多数で、特定秘密保護法案は強行可決された。さらに、参院でも、民主党のアリバイ的「反対」を事前の「打ち合わせ」通り、踏み潰して、この法案は「案」ではなくなったわけだ。
 今でも、世論調査によれば、8割におよぶ多くの国民が疑問視、乃至は反対しているこの時代に逆行する悪法も、成立してしまえば法は法である。
 今更のように、安倍が、「知る権利に配慮する」とか、「国民の生活に不安を与えない」とか記者会見で発言しても、あるいは、国会答弁で、いくら「秘密の範囲」を限定しようとも、いつ交代するかわからないときの政権に責任などもてるはずもない。法の適用・運用はそのときの司法権力が行うのだ。言い換えれば、ひとたび、この法によって罪に問われれば、あのとき国会答弁で政府はこれが罪にならないと言ったじゃないか などと言っても、「それはそのときの政府見解、国会答弁にすぎない」ということになるわけである。現に、「国旗・国歌制定」のとき、国会答弁では「強制しない」と明確に言っていたにもかかわらず、現在教育現場で行われていることは「強制」以外の何物でもない。「口元の動きをチェックする」管理職がいて、処分対象にする、こういうことを普通 「強制」という。

 国際社会からも「人権問題」として批判され、国家公務員や自衛官の、あるい何が秘密かわからない「秘密」にかかわったすべての市民の内部告発や情報公開を封じ、逆に個々の「知られたくない情報」まで権力に集中され、「思想・信条の自由」という憲法にもかかわる根本的な人間の権利が制約される、この悪法が、かつて1年で政権を投げ出して、また返り咲いた総理や、あるいは数々の失言と、「漢字も読めない」無教養で、国民をあきれさせた元総理がいつのまにか復権して副総理として大きな顔をしている、そんな者たちの手によって、国民の多くがもうやめようと思っていたはずの、公共工事への予算のばらまきと、利権政治、その補填のための増税、という悪循環とともに、成立してしまった。

 
 もちろん、心ある多くの人は「反対」を表明した。だが、影響力のある知識人、マスコミ、その他の人々の動きは、僕に言わせればあまりにも遅すぎた。
 敵は、安倍たちは、その背後にいる「改憲勢力」とともに、キャンペーンを展開し、周到に準備し、根回しを重ねてきた。「強行採決」の前に、野党各党にも、「修正」で手を打とうと協議を重ねてきた。民主党もそれに完全に乗っていた。「反対」していたわけではなかったのだ。自分たちの「修正」意見でなく、みんなの党のそれと自民党が組んでしまったので、拗ねた子供のようになっただけだ。ここでも彼ら民主党は、消費税増税の時と同じように自民党、公明党と手を組んでこの悪法を成立させようと動いていたのである。だから、「強行採決」で行く、と決めた時も、彼らは当然「民主党には話はつけてある」と発言していた。民主党は「反対した」というアリバイだけ作って協力したわけである。衆院で「議長席に詰め寄った」渡辺周、参院で「怒りのポーズ」をみせた福山など、みんな裏では話がついたうえでの猿芝居であった。
 つまり、今回の「秘密保護法」からNSC,そして「集団的自衛権」、彼らの目標たる改憲まで、敵はしっかり準備し、マスコミも利用し、キャンペーンも張り、一方では「在特会」などの跳ね上がりを含めて適度にアドバルーンを上げ、野党には根回しを済ませ、万全の態勢で臨んでいるのだ。

 強行採決されたあとになって、「法案」の危険性を国民に説いて回るのでは遅すぎるのは当然である。
 僕の周囲では、あんなの、一部の「アタマいいと思ってるひとたちだけの問題でしょ・・・」という声まであった。言いえて妙とはこのことである。自民党内では、「これは、消費税増税のハナシとは違う、とにかく通してしまえば、国民はみんな忘れてしまう」と言われていたそうだ。そして一方、反対するマスコミも、知識人たちも、現代のこの時代にあってなお、啓蒙主義的なスタンスが、言い換えれば勘違いの大衆蔑視が抜けていない。自分たちの反応が遅かった、鈍かったのを棚に上げて、今更ながら国民に「秘密保護法の危険」を説明しようとしている。国民はとっくに見抜いて疑問視し、反対していたのだ。だから、デモもあり、集会もあり、そうした表現に慣れていないひとびとは、野党の反対を、あるいは影響力のある人々の反対の声を待っていたのだ。彼らはそれらすべてを裏切った。今頃になって、安全圏から、「声明」など出したりしても遅い。それならもう半年前にやっていなければいけなかった。今からはもうやることが違うだろう。これからはもっとリスクを覚悟して闘わねばならないはずだからだ。

 安全圏からしかモノを言えない、リスクのある行動ができない、それでは周到に準備してきた敵の思うつぼなのだ。ついにそんな嫌な時代が深まってくる。「戦前のようになる」と、歴史を知る者は語る。だが、その戦争責任は戦争指導者だけにあるわけではない。あとになって、「実は反対だった」などと言い出したものたち、そのときは戦争を礼賛していたマスコミにも、発言し、闘うことをしなかった「情報を持っていた」はずの知識人たちにも、責任はあるのである。間違っても、犠牲になった国民のせいにしてはならない。

 今回も同じことだ。野党、オピニオンリーダーたちの責任は重い。 ただし、戦争の話と違うのは、これからがまだ問題だということだ。僕たちもあきらめてはいけない。闘いはこれからだ。







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黄金の60年代

2013. . 16
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 昨日、ピーター・オトゥールが亡くなったそうだ。もちろん「アラビアのロレンス」の名演を観た人には一生忘れられない俳優だろう。
 
 
 僕は、彼とデヴィッド・リーン監督とのアイルランド人としての愉快な逸話を、伊丹十三のエッセイで読んで、この超ハンサムで188センチの長身な俳優に、つまりは自分と正反対のルックスのスターになんだか親しみがわいてとても好きになった。
 「アラビアのロレンス」はもちろん、若きウディ・アレンまで出てくる「何かいいことないか、子猫ちゃん」とか、オードリー・ヘップバーンと共演した「おしゃれ泥棒」とか、軽妙洒脱な役どころは、60年代の、僕たちの憧れそのものだったといっていい。だから、ずっと後になって、あの「ラスト・エンペラー」で、ジョン・ローンが世の中で話題だった時も、僕は教師役のピーター・オトゥールのほうをしっかり観ていたものだ。この自らの経験をもとに「紫禁城の黄昏」を書くことになる渋いインテリ英国紳士を演じて、彼ならではの名演だったと思う。

 「おしゃれ泥棒」で共演したオードリー・ヘップバーンは、今年、没後20周年だそうで、いくつもの映画をBSでやっていた。彼より2歳ほど年上だった。50・60年代の彼女は本当に綺麗だ。つい記念に新刊の写真集を買ってしまった。” Audrey in Rome "  特に60年代の洗練されたスタイルは観ていて飽きない。彼女もまたクラシックバレーをあきらめねばならなかったくらいの長身だった。着こなしが当然美しい。また、芸能界を離れ、ひとりの妻・母親として生活しているローマでの彼女の日常の姿の、まあ綺麗なこと。

 ピーター・オトゥールも、オードリー・ヘップバーンも、60年代に本当に輝いていたスターだった。映画でみる彼らの着ているもの、食べているもの、部屋、ライフスタイルのすべてが、縁遠く、まだ憧れの対象にしかならなかった。そもそも、そのいくつものものが、後になるまで何であるかも知られていなかったのだ。知られていたのは車くらいだろう。オードリーがテラスで飲んでいるボトルのエヴィアン、スキーから帰るとき、車に沢山積み込むルイ・ヴィトン、みんな、後になってから、僕たちはそれが何であるか知ることになるのである。60年代半ば、映画の中のその「記号」を日本で理解できた人はほとんどいなかったと思う。50年代はなおさらだ。僕の年代は60年代の彼らの映画はリアルタイムで観ているが、ヘップバーンの有名な映画、例えば「サブリナ」や「昼下がりの情事」といった50年代の映画は、逆にそのあとから観ているはずである。実は「ワイルダーの名作」として観たのだ。「昼下がりの情事」は57年か8年くらいの映画だったと思うが、ゲイリー・クーパーのホテルの廊下に積まれている、オードリーがかげに身を隠すくらい大きなトランクはみんなルイヴィトンだった。あのモノクロの映画をリアルタイムで観た日本人のどれくらいのひとが、当時そのブランドを認識していただろうか。

 
 60年代のシンボルともいうべき一人の名優が死んで、また、同じくそんな美しい女優が亡くなって20年経ったことを知り、つくづく、60年代が遠くなったのだと思う。それでも、60年代は輝いていた。スクリーンの中でも。憧れて観ているだけの、こちら側でも。

 まあ、年寄りの繰り言だね。






 
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