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ブラッドベリの夏に

2012. . 11
 いつだったか書いた覚えがあるが、夏はどうも「懐メロ」シーズンのようだ。BSでは懐かしいモノクロの映画をやっている。例の「高校紛争69-70『闘争』の歴史と証言」の出版記念の会が今月末に開かれる予定だ。打ち合わせに行ったり、懐かしい顔に会ったりして、何だか60年代にタイムスリップした気分である。
 この夏、佐藤賢一「フランス革命」Ⅶ 『ジロンド派の興亡』を読み終わり、小池真理子の新刊「二重生活」もすぐ読み終わり、トートバックの中には、先日6月5日に亡くなったレイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」を入れてある。時々取り出して短編を読み直して思い出している。
 読書好きなら、特にSF好きでなくても、高校生くらいまでにこの「10月はたそがれの国」は必ず読んでいるだろう。特にはじめの「こびと」や名編「みずうみ」などは。
 何だかアメリカ中西部の乾ききった郊外の街や家にいるような気分になってくる、独特の肌合いの読書体験。僕にとってはこれも60年代の思い出のひとつだ。SFマニアの友人に薦められて読んだら思いのほか夢中になった。
 文庫本を読み直しながら、物語の世界と、読んでいた頃と2重のタイムスリップだ。

 そして、ここ数日、靴オタクの僕が実に30年ぶりくらいに日本の靴を時々履いている。去年売っていた「リーガル50周年記念」の刻印つきのコブラヴァンプ。シェイプがあまりにも懐かしくて、国産なので当然価格も実に気に入って入手したものだ。僕はこのタイプのローファーをこれも60年代の終わりごろ、2足ほど履きつぶした。昔は今のようにメンテナンスしながら同じ靴を10年以上履くなどということはなかった。1足をずっと履いて駄目にしたら新しいのを履いたのだ。今よりずっと貧しかったのにおかしな話だが、そんな靴しかなかったのだろう。ともかく、初めてBass-Weejunのローファーを入手するまで、僕はローファーといえばこのリーガルのヴァンプを履いた覚えがある。
 この通称「コブラ・ヴァンプ」が流行ったのは、たぶん当時のお洒落な高校生の「コン・ポラ」スタイルに合ったからだろう。細い襟、浅いサイドベンツの上着、細くて短めのパンツにぴったりだったのだ。もっとも僕自身はそんな子たちを横目で見ているだけだった。お洒落着のジャケットやスーツを揃える余裕など無かったからだ。靴だけは「必需品」の選択の問題だったから何とか好みのものを入手できただけだったのだろう。

 60年代は男子の着るものがどんどん変わって行った時代だった。60年安保闘争の学生達は学生服を着てデモに参加している。あるいは白いシャツと黒いズボンだ。60年代後半になると学生達はコットンパンツやジーンズをはいて、チェックやストライプのシャツを着ている。大変な変化だ。
 記憶では、僕が高校1、2年の時までは、学校の帰り、夜のデモに行く時、ハイカットのバスケットシューズなどはまだまだ贅沢品で、足を取られないように、黒い革の通学用の短靴を紐で縛って(足裏と甲を)出かけたものだったから、高校生みんなも、あるいは僕自身も変わり目だったのだろう。そういえば当時、高校生の反戦集会に入っていく我が校の隊列だけ全員学生服という写真が昔の「朝日ジャーナル」に載っている。一般的に高校生の着るものも変わっていく頃だったのだ。69年に「制服廃止」が闘争課題になるのも実は象徴的で、それ以前は、「左翼的」な高校生はむしろ、修学旅行などで、私服は貧富の差が歴然とするということで制服を支持したのである。

 さて、そんなわけで懐かしい靴を履いて、懐かしい本を読み、懐かしい顔をみて、月末の「同窓会」を楽しみにしている。まったく我ながら爺さんになったものだ。
 
 会の打ち合わせで名言があった。当日のスピーチでは、「病気の話と孫の話は絶対禁止だ!」
それから「『伝統芸能』やる奴はいないだろうな!」 ああ、同世代だ。
この「伝統芸能」とは、最近は聞かれなくなった絶叫調・新左翼風アジテーションを指す。












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紫陽花革命へ

2012. . 06
 以前、蜂須賀礼子委員は、ただの一度も福島を訪れない東電の勝俣に鋭く詰め寄っていた。「勝俣さんは『僕には関係ない、責任がない』と言うばかりだ。どうして僕が責任者ですと言えないのか。どこの会社の社長なのか。」
 5日、国会事故調は核心的な報告を提出した。原発事故は対策を先延ばしにした東電と国による「人災」であると断言した。今回特に核心を突いたのは、事故の原因が東電によって言われてきたように津波にあるものと言いきれず、地震による可能性を指摘したことだ。証言によれば、原発の「電源喪失」がすでに15時35分に始まっていたという。被害をもたらした第2波の大きな津波がその後なのだから、津波の前に、地震によってすでに電源喪失していたということになる。
 大飯原発再稼動にあたって、「日本海側だから津波の心配はない」とか「地震には大丈夫」とか言っていた連中はこの報告をどう受け止めるのか? 

                                      官邸前 
                                     

 意識的にか、この国会事故調報告を待たずに、野田らは大飯原発再稼動を宣言し、踏み切った。6月29日、首相官邸に迫ったデモ隊は20万に達したといわれる。再稼動の当日、現地では夜まで反対の意思表示が続いた。

 今回の事故調報告によって、野田、東電らの「安全性確認」による「再稼動」は、完全に論理的に破産した。これでも強行するのは暴挙を通り越している。自分達の利権だけのためになりふりかまわず押し通そうとする暴力的な開き直りを許してはならない。

 今回の一連の反原発の抗議行動が「紫陽花革命」と名づけられたそうだ。6月という季節と、小さな花びらが集まって大輪の花となる紫陽花に希望を託す意味を込めたのだろう。
 だが、民衆の力で権力を倒してこその「革命」である。闘いはこれからだ。


           ( 写真は「レイバーネット」から)

    
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