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吉本隆明死去

2012. . 22
 その日、3月16日、僕は関西出張中だった。朝、新幹線を待っているところへ、新聞社に勤めている親友から「吉本死す」とのメールが入った。
 少し前に、このブログに書いた覚えがあるが、TV画像に映った彼の所作などをみて、齢をとられたものだと思っていた。従って失礼ながら急だというような感覚は無い。ヘビースモーカーであったようだから、肺炎なら大往生かもしれない。次女、ばななも「父はよく頑張りました」とコメントしているそうだ。

 夜、夕刊でも大きく取り上げられた。これには実はびっくりした。僕達の世代でも、その上の世代でも吉本の名前くらいは有名であっただろうが実際に著作を読んでいた人は少ないのではないかと思っていたからだ。ちょうど「団塊の世代」の中で、実際に「全共闘運動」に参加したものが少数派であったのと同じように、である。でも、きっと彼の本はしっかり売れていたのだろう。

 新幹線の車中、ずっと吉本との出会いから読書歴を思い出していた。僕は団塊のちょっと後の世代なので、高校時代から彼の著作に触れた。
 一番初めが「自立の思想的拠点」、それから「言語にとって美とはなにか」、高校3年の頃、勁草書房の全著作集の刊行がはじまり、僕は全巻揃えようと決心し、配本されるすべてを順次買ってゆくことになる。およそ「全著作集」などというものを買い揃えることを考えること自体、なみなみならず彼に「かぶれていた」のだと思う。全著作集の初めのころの配本「定本詩集」や「初期詩篇」から『転向論』を冒頭に収めた「政治思想評論集」など、とにかくむさぼるように読んだ。「試行」もその頃からずっと出るたびに買って読んだ。

 僕はかなりの読書家であると思っているが、これほど影響を受けたひとは他にいない。

 「吉本フリーク」、「吉本かぶれ」は当時も今もネガティブに使われることが多い。が、僕はまったく恥ずかしくもなんともない。世の中には、どうも「見当はずれの」吉本ファンや、僕に言わせれば間違って読んで批判する「敵」が数多くいる。これも昔から変わらない。吉本の文章にも癖があるからなのだろうが、とにかく読者の「読み方」によってかなり異なった「吉本像」や「吉本思想」が現れるようだ。

 僕の場合、吉本の何処に、何がポイントになって、これほどの影響を受けたのだろう。ちょっと荒っぽいかもしれないが、この機会に書いておきたい。


 吉本は僕が読み始めた頃すでに、様々な「敵」たちと激しい論戦を繰り広げていた。その罵り方も激しかった。読者はここで誤解もするし、あるいはある種の痛快な気分を味わう。何と言っても吉本は絶対にこの種の論争に負けないのだ。時の経過もこわいもので、現在ふりかえってみれば、圧倒的に吉本が正しく論敵たちが理論的に彼の水準に追いついてもいなかったことが明らかになってしまった。歴史的に審判が下されてしまっているのだ。
 昔、呉智英が「吉本隆明は何故強いか」として、こういうたとえ話を書いていた。「神の無謬性」が前提の「神学論争」をやっている「神を信仰する」人々のなかに「まったく神の存在自体を信じていない」人間が入っていって論争したら、強いのは当たり前だと。いまどき「神学論争」でもないだろう、が、そうではなく、今でもあるのだ、「マルクス主義」とか「レーニン主義」とかいう「神学」が、というわけだ。つまり、マルクスやレーニンを「無謬」として「信仰」している連中には、乃至は本人は主観的には気づかなくてもそうした「無謬性」の神話の中にいるものには、吉本はとにかく「強い」。当たり前である。前提が違うのだから。初めから「信仰」などないのだから。
 現代になって、「天動説」を唱える「神学者」に対して、「地球のほうが動いているんだ、馬鹿!」と言っているのと同じだ。

 さて、こうまで単純化してしまうと申し訳ないくらいなのだが、僕は実際にかなりこれで吉本にかぶれた。自分がまだ十代のガキにすぎないのに彼の「論敵」が馬鹿に思えた。
 最初に読んだ「自立の思想的拠点」に収められた『日本のナショナリズム』では、確か「『上げ底』化されたナショナリズム」という表現だったと思うが、戦中の(著者自身が経験した)、いわば「うわべだけ」の浅はかなナショナリズムを歌謡や唱歌や軍歌までとりあげながら批判しつくした。「上げ底」の様々な態様とそれが何故「上げ底」に過ぎないかを解明してみせたのである。彼の文章のこうしたスタイルは実は変わらない。
 「転向論」もそうだ。中野重治の小説と佐野・鍋山の「転向」を例にとりあげて批判したこの文章は、当時「転向」を倫理的に批判したかのように捉えられて論争を呼んだ。が、内容はまったく「倫理的なこと」など問題にしていない。要は「転向した」といわれているものたちのそのもともとの「思想」、「転向」する前の「思想」がそもそも「上げ底」にすぎなかったのだと言っているのだ。日本の知識層に無理に「移殖」された「マルクス主義」自体が「上げ底」でもともと思想と呼べるレベルではなかったのだと、だから日本の当時の天皇制イデオロギーに簡単に取り込まれることになり、そもそも「転向」などではなかったのだと吉本は言っているのだ。

 当時、僕の場合60年代の終りだが、反戦運動から一定のマルクス主義の文献を読み、それなりに影響をうけはじめたとき、この視点は新鮮だった。そして「眼からうろこが落ちる」とはこれだと思ったものだ。マルクスの思想の最良のものは吸収したいものだ。(吉本も「千人にひとりの歴史的にも最重要の思想家」と言っている。) だが、「マルクス主義者」などと「信仰者」になってしまうのでは駄目だ。上っ面で革命思想に「かぶれ」たところで、これも吉本の言葉だが、「自分達が『解放』するつもりだった大衆に見放され、敵対し」てしまうのが関の山だ、と悟ることになる。
 あらゆるものを疑え、特に「神話化」されるものは必ず嘘だ、そんなものにだまされるのは似非インテリだけだ。普通の生活感覚を失わなければこれは当たり前のことなのだ。吉本の「大衆の原像」とはこれである。たえず、観念的になっていく思考をここへ戻して考え直す。「大衆の原像の繰り込み」もそういうことだと思った。本人も実はわかっていないような政治思想を語るものは皆信用できない。自分の生活感覚から考え直してみて、本当に信じられることしか信じない。これは若いとき案外難しいものだ。
 どうもまわりくどくなったようだが、とにかく、昔も今も、どの著作についても、ここは吉本を読むときの核である。

 「共同幻想論」では吉本は「共同幻想」の様々な態様を語っている。「国家」は共同の幻想のひとつの在り様である。ここでも、国家が「共同性の幻想形態」であることは前提である。だが、案外これが理解されていない。特に日本の左翼の多くは、新左翼も50年代に形成された「後進国革命」型のセクトは、レーニンの機能主義的国家論にアクセントを置くから、どうしても国家=暴力装置というイデオロギーで固まっている。レーニンがその現実の革命の実現のために、ロシアの民衆の前に描きださねばならなかった「国家廃絶」のプランを固定化してしまったら、旧ソ連邦や東欧諸国の失敗を繰り返すだけではないか。マルクスの思想では、もちろんヘーゲル的契機から国家は共同の幻想であり、「プロレタリア独裁」も「国家の死滅」もレーニンとは概念が違う。吉本はこちらの側から、というより、そのオリジンから、国家とはそもそも何かという本質論からはじめたのだ。ここでも、あらゆる「思い込み」から自由な彼の展開がある。

 「言語にとって美とはなにか」では、当時話題になった「自己表出」と「指示表出」の概念の提示があった。これも「自己表出」が「自我の表出」のように誤解されることが多い。これは、吉本が「自働表出」に近いと言っているように、あるいはこの著作のはじめの有名なくだり、「原始人が海に行き当たって海(う)とつぶやいたとき・・・」の「沈黙の言語」のように、言語の本質に迫っているのである。前にも書いたが、この「言語にとって美とはなにか」の展開は、当時若干無理をして現象学の本に触れていたので、僕は案外わかりやすく読めたものである。だから、当時、「国語学者」や「言語学者」の多くが、この「自己表出」を、「まだ言語になっていない」として批判していたのを、ずいぶんと薄っぺらなものだ思ったものだ。
 文学史をこの「自己表出」史としてたどってみる。ここにこの著作の流れがある。また、僕からすると、この著作の白眉は「喩」に関する章であった。これは日本語や日本の文学のそれこそ本質に迫ったと思えた。

 
 彼の政治的な発言はもちろん注意深くフォローしてきた。いつもいちいち頷ける内容ばかりだった。新左翼に対しても容赦なかった。少しでもスターリン主義の残滓、マオイズム、文革の影響などがみえれば、取り上げて根底から批判した。「アジア的なもの」、「アジア的専制(デスポット)」を憎んだ。それは「軍国少年」だったという彼の戦争体験、また、戦後あっという間に180度思想を転換した日本の知識人たちをみてしまった経験に根ざしていた。「上げ底」の思想や表現は絶対に許さないとする強い意志があったのである。

 後年、「重層的な非決定」として語られる思想も、もちろんフロイトやアルチュセールの「重層的決定」の「非」ではない。むしろその「重層的決定」をさらに突き詰めたコンセプトである。だから、あの埴谷雄高に着ているもの(コム・デ・ギャルソン)や撮影された自室(シャンデリアがある)にケチをつけられたとき、反論したのである。これは、「くだらない話」などではなく本質的な話だった。日本の大衆が「豊かになった」こと、あるいは吉本が「高価な」衣服を身につけていたこと、などがアジアの民衆の収奪によっている、と云われたのだからたまらない。僕が考えてもこれはファシズムかスターリニズムの発想である。日本の大衆が豊かになったのは大衆にとって喜ぶべきことであり、別に「悪い」ことではない。「貧しい」アジアの民衆が存在することの責任はその国家の政治指導者や彼らを「貧しく」しておかねば存在し得ない独占資本の責任であって、「豊かな」大衆の責任ではない。ましてや、ひとの着ているものや、住んでいる部屋を、文革よろしく「贅沢」だから悪いとか言い始めるのに至っては、戦争中の「贅沢は敵だ」あるいは「戦地の兵隊さんが苦労しているのになんだ」という言いがかりと同じである。最低の思想というべきだろう。上部構造が下部構造(経済)に100%規定されるというのはスターリニストの独断である。実際には言うまでも無く、様々な文化、経済、政治過程が折り重なって、「重層的」に歴史を決定したり、しなかったり(非決定)するのである。
 吉本がこの種のケチツケにいつも言う言葉がある。「昔きいたことがある。(だから許せない。)」というものだ。戦中の体験を言っているのである。

 「反核」異論もそうだった。一般的にそれ自体として正しいことを政治主張とするものを、党派性とするものを、決して信じてはいけない。「とにかく『核兵器』は悪い」といいながら、一方で、昔の原水協(共産党)のように、アメリカの核実験は悪いがソ連のは良いなどという「反核」運動など決して信じてはいけなかったのだ。
 
 吉本はこの頃から一貫して、原発についても発言している。彼はもとが科学をやったひとらしく、「反科学」、「反文明」を決定的に駄目だと言っているのだ。「原子力エネルギーの解放」は人類の進歩であり、これは逆進させるべきでない、と。
 現在問題になっている原発についても「安全性を確保し」て「開発を進める」べきで、「反原発」では駄目だ、と発言している。

 僕は、基本的には吉本の言う通りだと思う。だが結論は違う。今すぐすべての原発を廃炉にすべきだと思う。
 科学の進歩はかけがえがない。原子力の解放も原発の開発も「研究」をつづけたら良いと思う。僕は当たり前だが「反科学・反文明」の立場はとらない。飛行機が危険だから飛行機の開発をやめろとはいわない。だが、嵐の中をとにかく飛んでゆけともいわない。原発は安全が確認されていないし、その確認も、事故が起きたときのスケールに見合ったもので無ければならないと思うからだ。飛行機の場合、僕達は一定のリスクと引き換えに安全性をはかって乗っている。原発はリスクが桁違いだ。
 3.11を過ぎて、いろいろなことが暴露された。東電やそこに巣食う連中のカネ儲け、そしてもともと「平和利用」などではなく核兵器転用を前提にした日本の原発開発。この段階でなお原発推進をいうのは、みなそうした利権がらみの連中だ。科学の発展一般の問題ではもはやない。すぐ原発は止めさせねばならない。

 最晩年の原発に対する直接の発言以外は、吉本の発言は僕にはすべて納得できるものだった。こういうひとも珍しい。原発に関しても一般的には「反科学」になってはならないという内容として納得できるものだ。


 「大衆の原像」といい、「関係の絶対性」といい、「共同の幻想」という。あるいは「自己表出」といい、また「重層的な非決定」という。すべて吉本の「造語」などと呼ばれる。だが、これらすべて決して勝手な「造語」ではない。しっかりした根拠と背景があり、実は世界の先人たちの思想が積み重なっている。
 
 「大衆の原像」を繰り込む、とは、「神学論争」の世界に「神を信じない」で切り込むことである。「上げ底」化された観念と決別し、神話を疑い、自ら考えることである。
 吉本が沢山の著書で挑戦したこと。
 「全幻想領域の止揚」とはそういうことだ。

 今回は亡くなった直後、いささか荒っぽく振り返ったが、今後必ず彼の著作ごとにきちんといくつか文章をまとめよう。

 戦後世界の思想的巨人が倒れた。オーバーではないだろう。
 合掌。
 
 そして、僕は自分の人生で彼の著作に出会えたことに感謝している。
 Thanks!


 




 


 

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もっと怒りを

2012. . 12
 あの3.11から1年である。ニュースはみな特集を組んでいた。

 首相の野田はここへ来て、いっそう原発再稼動と消費税増税に遮二無二突き進んでいる。およそ他の意見とか、考え方とかには一切聴く耳は持たず、藤井や与謝野という財務省の傀儡と財界の意のままに洗脳され、どうやらこの2つに政治生命を賭けるようだ。野党自民党の谷垣らも、与党反対派のアリバイ作りをしている小沢らも、もともと消費税増税も原発も推進したい口だ。どこまで日本の政治指導者というのは腐り果てているのだろう。
 現在の経済状況で、一律の消費税増税などとんでもないことである。社会保障は「削る」と言っているのだから、また年金も受給は減らされるのだから、国民の実質所得、生活費は削られる一方ではないか。一方で、さんざん天下りをし、ハコものをつくり、ノーパンしゃぶしゃぶなどに通い、無駄遣いのし放題をしてきた役人達には7,8%のアリバイ的な減給で済ませようなどという。あるいは共済年金の優遇にも手はつけられないという。 
 僕は何度でも言うが、「国が赤字だ」というが、無駄遣いして赤字にしたのは国民・納税者ではない。「奴ら」である。これは犯罪なのである。どうして責任者を公表しないのか?カネを返させないのか?社会的に糾弾しないのか?
 それらの過程を経ずして増税だの年金受給減だの一方的に負担を押し付けるのはおかしいではないか。
 日本の国民はもっと怒ってよいはずである。

  最近、「資産課税」までが取り沙汰されているという。こうなるともう政府とは泥棒である。庶民はすでに充分税金を払っている。その残りを貯蓄しているのだ。そこからさらに強引に奪い取っていこうというのならそれは文字通り泥棒である。課税という名の収奪である。高額所得者に課税するのなら、僕が以前書いた事があるが、贅沢品に課税するなり、「金融取引課税」を導入して、「カネでカネを生む」取引にほんのわずかな率を課税すればよい。弱者のわずかな貯蓄に手をつっこむとは何事であるか。

 東電は開き直り、野田たちは、一回の「ストレステスト」をアリバイにして何が何でも原発を再稼動する気だ。事故があろうと、放射能被害があろうと、財界のカネ儲けのためにはどうでもいいと言わんばかりである。彼らには実はテストも何も無い。「再稼動ありき」ですべてを進めているのだ。先日の大飯原発のときの強引な有無を言わせぬ再開をみればいい。

 まったく、卑しい政治屋たちはどいつもこいつもろくな事を考えない。

 原発を止めよう。
 増税をやめさせよう。

 野田を打倒しよう。
 
 日本の働く階級は怒りを爆発させよう。
 
 もっと怒りを。





 

高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言

2012. . 01

 「高校紛争19691970(中公新書)を読んだ。一昨年から取材に協力し、インタビューにも応えたので著者の小林哲夫氏から送って頂いた。
 誠実で丁寧な著者の人柄の通り、高校生運動の歴史的背景と実態が、高知の勤評闘争、60年安保闘争からずっとフォローされ、6970年の最盛期はもちろん、コザ暴動のころを含む沖縄の運動まで、まさに北から南まで全国的に取材されている。僕は当事者でもあり、他校のことも歴史的なこともかなり「知っている」つもりだったが、それでもここに書かれている広い取材からすれば、東京のほんの一部分の出来事にすぎなかった。ずいぶん色々なことがあったのだと改めて思う。前にも書いたが、高校生運動の活動家の層というのは学生運動のそれよりけっこう広い。ただ、やはり若さゆえの甘えだの粋がりだのがあって、今から思えばもっと「こうあるべき」運動の姿というものも考えられ、限界だらけである。だがそんな「後付け」に何の意味もない。とにかく、生意気ながら、一部ではあっても我が世代の高校生は闘った。確かにそれは叛乱であった。そして、本に書かれている通り、背景には戦後民主主義、その「民主主義」教育、そしてベトナム戦争と反戦運動、学生運動の昂揚があった。

 大学生、反戦の労働者に混じっての街頭デモへの参加があり、高校生独自の集会やデモもあった。学校ではさまざまな「要求」が学校側に出され、構内集会、バリケード封鎖、ハンスト、色々な闘いがあった。バリ封がやりたくて、「要求」を整理せず、あるいは安保粉砕とかベトナム反戦とか、政治課題を直接つきつけてバリケードを作った活動家達もいた。

 「紛争」の終焉のかたちも様々だった。退学処分、警官導入を含む徹底的な弾圧で臨んだ学校から、「要求」に応じて、何らかの教育改革や自由化(制服撤廃など)をもって、処分なしで柔軟に対処された学校まで様々なヴァリエーションがあった。当時の僕達は、それは運動の徹底性、あるいは影響力によるものだと信じていたが、後になって考えてみれば、戦争や60年安保を経験してきた教師達が、どのくらい知的にコトを受け止められたか、考えられたかという差によるものだった。当時の高校教師というのは今の僕達よりずっと若いのだ。警察にカオを指差して生徒を「売り渡す」教師もいれば、自らも反戦運動に参加し、あるいは教育改革に乗り出す教師もいたわけだ。どんな教師とどの高校で出会うかによって、高校生側の運命が大きく変わったのだ。

 

 この本を読んで昔のことを思い出した。僕が高校に入った年の秋、10.8羽田闘争があった。社会部の部室では、現地に行った上級生の話を聴いた。そんな高校だった。三一新書の「人知れず微笑まん」や今回の本でもとりあげられる「高知の高校生」は必読書だった。羽田闘争についてはすぐクラスでも討論された。もちろん多数は「(三派全学連の)学生の暴力」を批判したものだった。だが、翌年にはもうベトナム反戦運動は確実に拡がっていった。3月の王子闘争には高校生独自の集会やデモが組織された。校内で僕はベ平連の「殺すな」という反戦バッジを売りまくった。2年生の僕のクラスでは半数以上の生徒が胸に反戦バッジをつけて登校した。その翌年、僕の1年上の卒業生は卒業式を討論集会に切り替えた。「卒闘」である。何人かは大学へ行かず、そのまま党派の専従活動家になり、国鉄や郵便局に入っていった。そしてその秋、僕達の学園闘争、バリケード封鎖があったのだ。
 僕の高校の教師達は、つまらない教師もいたが、大部分は良い意味でリベラルで知的な教師達だった。若く、世間知らずの僕達の、今思えば小生意気な話に、放課後の研究室や喫茶店でいつまでもつきあってくれるような教師達がいた。皆戦争や50年代の闘争を経験した人々だから、話の重みが違う。僕の担任だった国語の教師は戦後の混乱期、やはり教育者だった父親を「人民裁判」で失っていた。過酷な経験である。僕は理系は苦手だったが、地学の教師は科学の基本として唯物論の考え方の説明に最後の授業を割いた。数学の教師はフッサールを紹介し、世界を「根底的に」見直すことを教えた。尊敬していた世界史の教師は大学のような階段教室で、ヨーロッパ帝国主義の発展史、ドイツ統一から第1次、第2次大戦まで何回か特別講義をやった。東大に進学していた卒業生までが、こちらのほうが大学の講義よりよほどためになる本物の歴史の勉強だといって聴きにきたものだ。彼は当時既に、アジア、アフリカの植民地からの収奪を前提にした先進帝国主義国の経済発展について講義し、大学へいって、「西洋史」を分けて学ぶようになっても、歴史をグローバルに視る眼を持ち続けるようにと僕達に語って聞かせた。
 そして、バリ封のときの校長は、あとで知ったのだが、沖縄戦に参加し、彼の所属した部隊は民間人を殺している。戦後、その反省と償いの思想を根底に教育者として生きた。間違っても「高校生の政治活動禁止」などとは言わなかったわけだ。そんな教師達だったのだ。

 

 今の高校生は、あるいは高校教師たちは、現在の支配の暴力が透けて見える社会で、どんな日々を送っているのだろう。反原発のデモなどで高校生の姿をみるととても嬉しい。僕達も高校生の時、年上の大人たちが、「昔俺達は闘った、それにひきかえ今の世代は・・」などと言われるのに無性に腹が立ったものだ。そんな昔話を語るオトナになりたくなかった。闘いの場はいつでも今・そこにあるのだ。

 

 このブログで触れたが、先般フランスでCPEがつぶされたときも、「年金改革」にすさまじい抵抗闘争が組織されたときも中心に高校生たちの姿があった。

 世界の「働く階級」の利害はひとつ。高校生はいつでも闘う権利を持っている。「高校生の政治活動の禁止」などと一方的に自らの「政治的」主張を押し付ける輩には世代を超えて怒りをたたきつけよう。

 

 現在の問題にまでふみこんで考えさせられる良い読書だった。


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