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たけしとジャズ

2011. . 29
 お彼岸を過ぎた。さして信心深いわけではないが、余程のことが無い限り、墓参りは欠かさない。そして、毎年、このお彼岸の週に、僕は「衣替え」をする。秋の彼岸には、夏物から冬物に着替えていくわけだ。毎日スーツを着て働いていたころは、日々、秋・冬のスーツを出して袖を通していくのが楽しいものだった。靴も濃い色のものに変えていく。現在、毎日スーツを着る必要はなくなったが、秋のジャケットを出したり、フラノのパンツをおろしたりするのはやはり楽しい。着道楽にはこの時期が一番楽しいのだと思う。

 休日、面白いCDを発見して聴いていた。「たけしとジャズ」。60年代にジャズ喫茶で働いたことがあるというビートたけしによる色々な名盤からのピックアップが収められている。ポピュラーなものばかりで、確かに、聴いていると60年代のジャズ喫茶にいるようで懐かしい気分になる。
 CD2枚が短く感じられる良い選曲。コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」(これは2テイク入っている)から始まり、マイルス、パウエル、エヴァンス、リー・モーガン、本当にヒットしたアルバムばかりからのピックアップである。ヴォーカルも、ビリー・ホリデイ、エラ、サラ、そしてメリル/クリブラ、ロレツ・アレキサンドリアまで入っている。
 これらの曲の元のアルバムを、ぼくはほとんどLPで持っている。が、こういう形で聴いてみると、ヒットしたアルバムはやはり良いものだと思う。
 実際、僕は今でも国内出張時などその地元のジャズ喫茶でかなり長い時間過ごすことがある。そんなとき、色々なLPをかけてくれて、ずいぶんとマイナーなアルバムにも新しい「発見」があったりするのだが、やはり、それはそれ、今になって、沢山聴いていると、「名盤」と呼ばれるアルバムが何故「名盤」なのか、ようくわかってくる。また、今回のたけしが選んだ、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、あるいはバド・パウエルといった人たちが、どれほど傑出した存在であったか、いやおう無く思い知らされる。
 ヴォーカルは、本来は、エラ、サラときたらもう1人はアニタだと思うのだが、この2枚組みにはアニタ・オデイは入っていない。日本ではここは、白人女性ヴォーカルといえばヘレン・メリルが人気だからだ。アニタびいきの僕でもこれは仕方ないと思う。何故かというと、ここに入っている「メリル/クリブラ」が圧倒的な名盤だと思うから。ヘレン・メリルのソフトでハスキーな声と、間に入るシャープなクリフォード・ブラウンのソロ、久しぶりに聴いたのだがやはり素晴らしい。これはジャズ喫茶でかかるヴォーカルの定番だったと思う。

 このCDの解説でも触れられている新宿の多くのジャズ喫茶、またたけしが働いたという「ヴィレッジ・ヴァンガード」も、僕は実は「行ったことがある」という程度しか知らない。僕が入り浸っていたのはもっぱら神保町の「響」であり、ときどき上野の「イトウ・コーヒー」、有楽町の「ママ」に出かけたが、新宿はほとんど行っていなかった。
 前に書いたかもしれないが、「響」ではコーヒーのあと、昼に弁当を出したら奥さんがお茶を持ってきてくれた。ずいぶん長い時間をしょっちゅう過ごしていた。
 有楽町「ママ」は、有楽町駅の丸の内側、今電気ビルのあるあたりだったと思う、小さなバーなどが密集している「スバル街」という古い一角があってその中にあった。店内は昔のこだわりのジャス喫茶がみなそうであったように、椅子が全部スピーカーに向かって教室のように並べられていた。2つ、忘れられないこと。ひとつは、夜も更けてきた頃、マスターが僕たちの前に出てきてしゃべり始めたことがある。「リクエストがどこにでもあるようなレコードばっかりだ」というのである。「せっかく銀座まで出てきて、ここへ来たのだから、そしてここには貴重な輸入盤が沢山そろっているのだから・・・」、そういうアルバムをリクエストしろ、と、つまり客に文句を言ったわけである。「昔のジャズファンというのは・・・」と、彼は言ったものだ。「両手を一杯に広げて、頭から足元まで、それでLPが1,000枚、1,000枚のコレクションを持って、はじめて一人前のジャズ・ファンといったものだ。」
へえ~、そんなものか、と高校生だった僕は素直に感心した。もう一つ、夕方、席をたって帰ろうとした僕をそのマスターが引きとめたことがあった。「お兄さん、ちょっと待って」と声をかけられて、はてなにか気に障ることでもしたかと心配したものだ。何しろ気難しいので有名な「ジャズ喫茶のオヤジ」である。だが、次の言葉は優しいものだった。「今度かかるレコードはいいよ、なかなか聴けない名盤だ。聴いてから帰ったほうがいい。」なるほど、と僕は座り直した。そのアルバムとは「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」。確かに良かった。「直立猿人」など、他のポピュラーなミンガスのLPは当時簡単に手に入ったが、それは入手困難なアルバムだった。

 秋の夜、そんな60年代を思い出しつつ、CDを聴く。冬物の衣類を出す。靴を磨き上げる。つまらない政治家たちや、どうしようもない社会のことを忘れる一瞬。平凡だが幸せなひとときである。





 
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野田政権誕生

2011. . 02
 誰がなっても嫌だなと思っていた民主党代表選に野田佳彦が勝利、野田政権の誕生となった。彼の政策の基本は何かといったら、このところの主張を整理すると、まず増税、原発推進、靖国参拝(A級戦犯無罪主張)、そして今回代表選勝利の瞬間「ノーサイド」などといってのけた通りの党内融和、いってみれば小沢との融和である。そして他党、自民党、公明党への秋波である。まったくとんでもない政権が誕生したものである。
 
 僕はラグビー観戦が趣味だから「ノーサイドの精神」は美しいと思う。だがあくまでそれはスポーツの話。それも全力で闘った試合が終わった時の話である。政治の話、特に敵対する政策や党派にノーサイドなどない。あっては困るのである。政治家がどさくさで妥協して国民不在で官僚と結託して「大連立」などと翼賛政治をやってもらっては困るのである。まさに日中戦争や太平洋戦争に突っ込んでいった軍部・官僚主導の翼賛政治と変わらないではないか。

 小沢は、前にも何度も書いたが、政策などというものは単に「看板」だと思っている。だからいつでも変える。もともと消費税10%論者だったのが最近は増税反対をいっているらしいし、筋金入りの新自由主義、アナーキーな資本の「規制緩和」を礼賛していたのがどうも最近は違えているようだ。すべてはその時々の様子を見て変えているのだ。政策実現のための政治ではなく、自分のカネと権力が欲しくて政治をやっているからだ。今回も、表面では海江田を支持し、裏では野田と取引し、自分の子分を幹事長にし、カネ(政党助成金)と権力(公認権)をしっかりと押さえた。野田は「ノーサイド」などといいつつせっかく実質的権力を失いかけてきた小沢を救い、利用するつもりで利用されているのだ。これで小沢を取り込んで増税を通したいのだろうが何のことは無い、小沢はもともと増税賛成なのだ、うけ狙いでちょっと反対のようなことをいうだけだから、これで野田に恩を売れれば安いものだろう。
 そしてまた、民主党は松下政経塾出身者を筆頭に皆「原発推進」派である。だから誰も「脱原発」を言わない。「脱原発依存」と言って問題を先延ばしにしてごまかしているのだ。海江田が馬鹿なことを言ったそうだ。「30~40年で脱原発」!こんな無責任な発言があるだろうか、本人は30~40年後はたぶんいない(死んでいる)のである。誰かが言ったそうだが、30年も40年も何も無い。原発が推進派のいうように「安全」ならば「脱」する必要などないのではないのか?危険ならば、数十年待つべきではない。直ちに廃止するべきなのだ。野田はもちろん原発推進派だが、小沢ももともと「原発利権」に絡んできた人間である。

 このように、増税、原発、そして安保、外交に至るまで、その歴史観や政策、イデオロギーも、この野田と今回一見対立したかのような小沢グループと、また自民党・公明党とも、実はまったく差、違いというものはない。ただただ国民に負担を押し付け、官僚主導の翼賛政治をやるということで完全に一致しているのである。
 我々には、先の「東電救済法」のように、増税、負担増が、そしてアジア諸国との緊張が押し付けられてくるわけである。
政権交替から2年のうちに3人の総理を迎え、国連総会では毎回ちがうトップのスピーチで諸国から馬鹿にされ、いよいよ良いこと無しになってきた。

 どこかの評論家が偉そうに新聞に書いていた。「国民の政治不信につながらなければいいが・・・」。馬鹿じゃないか。とっくに政治不信である。本気で直接訊いてみたらいい。

 
 


ニース

2011. . 02
   
                         ニース・ホテル

 夏の終りに、休暇で3年ぶりに南仏に行った。何回来ても天国であると思った。陽光、澄んだ空気、その中で映える色。ニースへ来たら、シャガール聖書美術館を観る。アンティーブのピカソ美術館と並ぶ、南仏の大好きな美術館。画家が亡くなるまで暮らし、愛した南仏の陽光の中で描き上げた大きな作品の数々が、そのまま豊かな自然光を活かして展示されている。
1947年、亡命していたアメリカからフランスに戻ったシャガールはそれからずっと南仏に住んでいるが、1966年、聖書のメッセージをテーマにした作品17点をフランス国家に寄贈する。時の文化大臣、アンドレ・マルローはそれらの作品を含むシャガール美術館の建設を命じ、1973年、シャガールが永住していた南仏の、ニース市が敷地を提供し、この「シャガール聖書美術館」が完成した。おかげで僕たちは南仏の明るい光の中で大きな「愛に」あふれたシャガールの作品群を鑑賞することが出来る。南仏時代のシャガールの色はとても明るい。油彩を厚く重ねているが、美しく、透明な明るさである。そして「聖書のメッセージ」と自らのユダヤという出自にこだわったこの作品群は深みがあり何度観ても、ゆっくり観ていても飽きるということがない。僕は名所旧跡の寺院などのたぐいは一回で充分という俗物であるが、こういう美術館は何度でも機会があれば訪れる。

                        シャガール

 この美術館には大きな油彩だけでなく、ステンドグラスや、中庭の壁のモザイクまで聖書のメッセージのシャガールの作品があり、またレプリカのチェンバロの蓋にまで絵が描いてあったりして楽しませてくれる。

                       
                       シャガール・ステンドグラス

 3年前はサント・マリー・ド・ラ・メールで過ごしたので、南仏にきてはいたがニースには来なかった。僕は20代、学生の頃初めてニースに来るが、その時こちらに詳しい人に「美味しいスズキ(LOUP) の丸焼きが食べられる」と教えてもらった店がまだある。LE SAFARI である。何回かかたちやオーナーが変わったのだろうが旧市街の一角にある場所と店の名は40年ちかくそのままだ。今回も美味しいシーフードをいただいた。

                       サファリ

 さて、どこへ行ってもワンパターンな人間であるが、今回新しい発見があった。海岸の目抜き通り(プロムナード・デ・ザングレ)、僕の泊まったホテルの1ブロック先くらいに、新しいブランドの店がオープンしていた。ALBERT・ARTS というもちろん男物専門。カジュアルからスーツからフォーマルまで、あるいは靴から皮小物に至るまでいいものがしっかり揃っている。雰囲気としてはブルネロ・クチネリにそっくり、というか相当意識しているようだ。色合いもグレー、ベージュ、白が基調、靴はトリッカーズ風といえば、好きな人には見当はつくだろう。ブランド名になっているアルベール氏は数十年前にやはり南仏であの「ファソナブル」を立ち上げた人である。彼が良い仕立て屋、靴屋などをパートナーにして新しいブランドを昨年立ち上げたようだ。お洒落な男性、着道楽の男性は要チェックといったところ。今のところ、ニースにしかないのかと思っていたら、パリではオールド・イングランドが提携店としてディスプレイしていた。
 まあ、僕もだいたい嫌いなほうではないのだが、いくら良いものだといっても、もう最近はこういう新しい店でしっかり買い物などする気分にもならない。広い店内の雰囲気だけ味わって終り。(昔なら買ってただろうなあ。)
 どうも、男のクラシックな良い服というのは、いつでもどこでも変わらないようだ。

 南仏で休日が過ごせるのも幸せなことである。僕は来年60になるが、さらに歳をとっても、ステッキでもついて、南仏の海岸を散歩していたいものだ。






 








 
 
 

 

 

山本義隆

2011. . 02
 
                                                  yamamoto.jpg 
  
 
 山本義隆の「評論」が店頭に並んだ。周知の通り、元東大全共闘議長であり、のちに全国全共闘議長であった彼は、当時の「知性の叛乱」以降、社会的な評論、政治的発言などはまったくしていない。「磁力と重力の発見」や「一六世紀文化革命」を発表して高い評価を得たが、政治的・社会的なことは発言しないことが責任の取り方であるかのように沈黙を守ってきた。
 そんな山本氏が沈黙を破って書き下ろしたのが、今回の評論「福島の原発事故をめぐって―いくつか学び考えたこと―」である。当初、雑誌「みすず」に載せる予定だったそうで、100ページ位の短い本だが、さすがに内容は豊かで、論理的で説得力がある。

 日本における原子力の導入は、実は当初から「核兵器技術の保有」を視野に入れ、「潜在的核保有国」として国際的に力を示すことにプライオリティがあった。これを著者は岸信介の回顧録や中曽根の発言などから明らかにしてゆく。原子炉を持ちさえすれば核兵器の原料を自動生産でき、いつでも兵器に転用することが可能なのは当然である。そこで、技術的安全性よりも、外交・安保政策が重視され、基本的に国家主導の下に原発導入が進められてきた。
 僕は以前、村上春樹のスピーチにケチをつけた寺島某が「核の平和利用」と言っていたのを思い出した。そんなことがいかに馬鹿げた子供だましの理屈なのか、この本を読むと一層よくわかる。
 
 以前東電の副社長を務めた人物の本も紹介されている。高レベル放射性物質の廃棄には「数万年以上というこれまでに経験のない超長期の安全性の確保がもとめられる」から、「各地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要が」あるといっている。「正気か?」と山本氏は怒っている。「数万年以上」といえば人類誕生にまで遡る。そんな「超長期の安全性」を誰がどのように「確保」できるのか、札束の力で理解させようというのか。
 原子力技術は他の技術と異なり、有害物質をその発生源で技術的に無害化することも、現実的なタイムスケールで保管しておくことも不可能である。そのような未熟な技術を試行錯誤しながら使い続けることは犯罪である。また、誰一人として「全体」を把握していない原発という巨大システムについては「技術神話」は成り立たない。

 国策としての原発推進が原子力ファシズムを生み、暴走に至った。原子力技術は人間の手によって制御できないものであることをまず認識しなければならない。
 日本は大気圏で原爆実験を行った米国や旧ソ連と並んで、放射性物質の大量放出の当事国になってしまった。こうなった上は、世界での教訓の共有、事故の経過と責任をすべて明らかにし、そのうえで脱原発・脱原爆のモデルを世界に示すべきだ。著者はこう結論付ける。
 
 「市場原理にゆだねたならばその収益性からもリスクの大きさからも忌避されるであろう原子力発電に対する異常なまでの国家の介入と電力会社にたいする手厚すぎる保護は、弱者保護の対極にあり、きわめて由々しい結果をもたらしている。実際、それでなくても強力な中央官庁と巨大な地域独専企業の二人三脚による、その危険性からも政治的視点からももともと問題が多く国民的合意も形成されていない原子力開発への突進は、ほとんど暴走状態をもたらしている。税金をもちいた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣伝を繰りかえし、寄附講座という形でボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作り上げていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している。」

 「・・・現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない。・・・むしろ本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。」

 
 山本義隆氏が、沈黙を破って、発言せざるを得なかった怒りが伝わってくる。原発の問題はやはり根が深い。
そしてまた、多くの文献をあたり、問題を深く歴史的に追求する彼の知性に頭が下がる。 僕も原発の廃止を訴えてきたが、彼ほど深く考えてのことではなかった。(もちろん、基本的には「わが意を得たり」と思う読書だった。)

 
 もともと、東大全共闘議長に推されたとき、自然に、「彼のいうことならば・・・」と、圧倒的に人望があったという。多くのセクト、ノンセクトをまとめられたのもその人望があればこそだった。また、湯川秀樹の弟子だった彼は物理学徒として、東大闘争が無ければ、将来はノーベル賞といわれるほど図抜けて優秀だったそうだ。
 その後、予備校での彼の物理の講義はアリストテレスからはじめる名講義だったそうである。

 今回の読書でも感じたのは、こういうすがすがしい人物こそが「本物の知性」であるということだ。彼の「知性の叛乱」のタイトルの受け売りのようだが、本物の知性は必ず権力に叛逆する。難しい東大の入試にパスして、卒業後、エリート官僚や大企業の幹部に、はたまた政治家になったとしても、ときの権力に媚びて「出世」しているだけであれば、それは単に「処世」の要領であり、知性ではない。

 
 さて、非力ながら、すべての原発の廃止を、さらに訴えていこう。

 (写真は69.9.5全国全共闘結成集会で逮捕される前、潜行中の山本義隆氏)



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