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さらに言う、すべての原発の停止を!

2011. . 25
 5月7日の反原発デモに参加した。ジグザグ・デモやフランス・デモが禁止されているのは知っていたが、最近のデモというのはスクラムもなく、ただ歩いて発声するだけだ。小雨の中、梯団ごとに距離を置いて細かく分けられるために、みすぼらしい隊列にみえただろうが、全体では15,000人ほどだったそうだ。僕自身も、表参道と青山通りを、途中から入ってまた途中で出るというゆるい参加だったが、今の若者たちの雰囲気はわかった。参加者は高校生も含めた若い人が多かったが、子連れの女性、妊婦、外人などもいてなかなか愉快だった。東電まで抗議に行こうとか言う声もなかった。本当にのんびりした、デモなどと呼べないようなデモであった。ただ、直前に、浜岡原発停止のニュースが入っていたので、これは参加者の気分を盛り上げていたようだ。「原発いらない」の声の中に、時折「浜岡止めたぞ~」という大きな声が上がった。拍手がわいた。

 さて、遅れ遅れに、今更ながらというべきか、実は1号機も2号機も「メルトダウン」していた、などというニュースが流れる。後になって、だんだんと事故の深刻さが小出しに発表されてくる。
 ゴールデンウィークののんびりした気分を今年はこのニュースがぶち壊した。
 この段になって、まだ原発を擁護する人間たちがいる。「電気が足りなくなる」などと悪質なキャンペーンをふりまくものがいる。皆、「金のなる木」と呼ばれた原発からのカネをたっぷりつかまされた連中なのだろう。
 
 聞き捨てならないのは、原発に反対するのが、「反文明」論だとする言い分である。文明、科学の発達にはリスクがともなう。飛行機が発明され、空を飛ぶようになれば墜落のリスクがあるだろうと、しかし飛行機を廃止するというのはナンセンスだろうと、原発推進論の中曽根はこんな例えをあげた。人間をなめないで欲しい。飛行機事故と原発の事故では事故の起きたときの被害が桁違いなのだ。また、そもそも、飛行機に例えるならば、まだ安全性を確認されていないレベルの飛行機を嵐の空に、台風のなかへ飛ばすかどうかと例えてみなければ、地震国日本の原発という話はみえないだろう。
 
 およそ、原発推進派の人間のいうことはワンパターンである。彼らはずっと、わざわざ「原発は安全だ、安全だ」と繰り返し言ってきた。誰かが言っていたが、「新幹線は安全です」と、例えばJRはああまでしつこくキャンペーンするだろうか、しない。事故の確率、そして規模において、そこまで言う必要がないのだ。逆に言えば原発の場合、そのどちらにおいても深刻な、桁外れの事故が「想定」されているということである。それをごまかすために大金を使って(もとをただせば国民のカネである)悪質なキャンペーンと買収工作が行われてきたのだ。
 あるいはまた、「電気が足りなくなる」という。だが、東電は独占企業である。自社の都合で、原発推進のために都合よく何でもコントロールしてきたのだ。電力需要のピーク時でも、火力発電所の運転を一部停止して原発だけでやってきたそうだ。そうやって原発への依存度を無理やり高めてきただけなのだ。現在、原発を停止しても、今ある発電設備だけでも必ず間に合う。「節電」などもほんのちょっとの我慢だ。原発の危険をかけてまで全国民が彼らにカネ儲けさせても仕方ないのである。
 
 そういえば先般、浜岡原発停止の報に接して、経団連の米倉某は「事前にお伺いがなかった」といって大変立腹し、記者会見で政権批判をやった。いかに原発利権と財界が結びついているかを自分から示してしまった。自民党政権時代は何でも事前に経団連にお伺いがあったのだろう。
 これは本当はひどい話だ。管は総理大臣である。公選でこそないが、一応民意の負託をうけた一国の総理である。対して米倉というのは経団連という財界団体、どんなに大きくても所詮金儲けのためのプライヴェートな企業の集まりの代表にすぎない。どうして政治の側がお伺いを立てねばならないのか、もし今までいちいちお伺いをたてていたのなら、そのことの方がはるかに問題ではないか。

 こうしている間にも放射能が垂れ流されていく。すべて「原子力ムラ」と呼ばれた連中のカネ儲けのために引き起こされた事故の犠牲である。
 そういえばあの与謝野は今回の福島原発事故を「神の仕業」と呼んだそうだ。この前の「エネルギー政策にぶれがあってはならない」という発言といい、「予測不可能な大きな天変地異」だったから、「東電は免責されるべき」という発言といい、このオトコはどこまでも「原発マネー」に漬かっているようだ。その挙句に「増税」を叫んでやまないのだから始末が悪い。

 改めて、浜岡だけでなく、すべての原発の停止を訴えたい。






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靴磨きと音楽と

2011. . 02
 例年の長い神戸出張から帰ってきたらゴールデンウィークになってしまった。
 特に遠出する予定もないし、自宅でのんびり音楽を聴き、靴磨きでもしよう。 

 関西でももちろん地震の被害の深刻さが話題になった。それでも、被害にあった人々は気の毒だが、地震と津波だけであれば、あとは立ち直っていくだけだ。神戸の人々はあの阪神淡路大震災を経験している。だが、まだまだこれからもずっと尾を引いていくだろうと、もっともっと深刻になってゆくだろうと人々がやりきれない思いと怒りをいだいているのは原発の問題である。浮かび上がってきた政府―東電―御用学者―マスコミによる原発推進の利権構造、「電機が足りない」という実は根拠のない脅し文句と「安全な原発」と言う神話、これらすべてに本気で人々は怒っている。
 とりあえずは、一刻も早い地震被害の復旧と今回の原発事故の影響を最小限にし、未来に禍根を残さぬよう、すべての原発を停止、廃炉にすることを切に願う。
 東電に対する散発的なデモなどもあるようだがまだまだ影響力を持つには至っていないようだ。自分の力の無さも恥じるが、とにもかくにも、権力と東電に対しては力強い戦闘的なデモンストレーションをやろう。「人民の怒り」を示そう。僕はもう60歳になろうとしているが、こういうデモくらいは行くつもりでいる。

 
 さて、そんな日本の原発の事故と政府―東電の対応のまずさによって、危機感をもたれたのか、アーティストの来日公演キャンセルが相次いだそうだ。日本側の情報開示不足があるので、誰もこれは責められない。そんな中、ジェーン・バーキンはわざわざ予定を作って日本にやってきてチャリティ・コンサートを開いたそうだ。あるいは、プラシド・ドミンゴは予定通り日本公演を行い、日本語で「ふるさと」を熱唱し、聴衆は立ち上がって唱和したそうだ。それぞれ、会場にいた人々には忘れられない時間になっただろう。日本びいきのアーティストというのはありがたいものだ。そして、歌、音楽には確かに力がある。 

 
 僕がブログの自己紹介で「音楽を聴きながら靴磨き・・・」と書いたので、そんな時何を聴くのか時々訊かれる。まあ、ただスピーカーに向かって聴く時と、靴磨きのいわばBGMとはちょっと違う。で、そのBGMのほうを今日は紹介。僕の場合、基本はジャズなのだが、ヴォーカルだと、聴き入ってしまって靴磨きにならない。で、演奏だけのもの、それもよく馴染んでしまったもの、軽く聴けるもの、ということになる。
 マイルス・デイヴィスのプレスティッジの最後の4枚、俗に「マラソン・セッション」という、マイルスがプレスティッジとの契約を終え、次のコロンビアからアルバムを出すために、大急ぎでプレスティッジで録音したという 「クッキン」、「リラクシン」、「ワーキン」、「スティーミン」の4枚、これは良いねえ。気分よく流せる。同じようにジャズファンが皆知っているビル・エヴァンスがスコット・ラファロのベースと演った4枚、「ポートレイト・イン・ジャズ」、「エクスプロレイションズ」、「ワルツ・フォー・デビー」、「サンデイ・アット・ヴィレッジヴァンガード」、これも良い。
 ピアノトリオに通常の管でなく、ステファン・グラッペリのヴァイオリンやトゥーツ・シールマンスのハーモニカを加えたアルバムなんかも良いねえ。
 ドナルド・バードがパリでライヴ録音した2枚のアルバム、パリジャンたちが熱狂した当時のハードバップ、そして、何と言ってもフルバンドではベイシー。
  だいたいパターンが決まってしまうのだが、僕には、そんな音楽とともに休日には靴磨き、というのが、実にリラックスした良い時間である。
 
 今年のゴールデンウィークはワンパターンだがこれで過ごし、提案されているデモにでも出かけよう。


 
 



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