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更に闘いは続く

2010. . 26
 ずっとフランスの年金改革反対の闘いをフォローしているのだが、驚くほどTVにも新聞にも報道がない。さすがに22日、改革法案が上院を通過したという小さな記事が翌日載ったが、2006年、CPEをつぶしたとき以来の多数の厚い支持を得た今回のストやデモについて、ほとんど報道されないのは何故だろう。中国のあちこちで散発的に起こる「半官製」反日デモよりも、よほど重要だと僕は思っているのだが。

 重要だと思う理由は簡単だ。この闘いが、「緊縮財政」という、金融危機のツケを一気に弱者や働く階級に押し付け、これまで何とか支えてきた社会福祉システムを根本的に破壊しようとする、政治権力と大資本の結束した動きに対して、言い換えればネオ・リベラル、新自由主義的「改革」に対して、はっきりとノーを突きつけて闘われているからである。
 従って、まったく同じ性格の闘いがつい先般スペインでも、最近では公務員45万人削減を宣言した連合政権に対して英国でも闘われているのである。

 フランスでの、サルコジ「年金改革」は、この間のデモやストを含む闘いの爆発によってその内実が国民全体に知られるようになり、現在の調査では国民の70%がストライキ支持(=年金改革反対)、55%がゼネストの必要性を認識しているといわれている。
 特に、年金支払いに要する就業年数の延長(37,5年から40年)を「定年延長」などとして、「平均寿命が伸びたのだからもっと働け」というキャンペーンに対しては怒りが湧き上がったようだ。だいたいヨーロッパではブルーカラーの平均寿命はホワイトカラーのそれより短いのが良く知られているし、失業を余儀なくされたものや、パート労働者(特に女性)にとっては、この就業年数の件はみずからの生存を直接脅かす「不公正」ととらえられている。今回、交通労働者や石油精製所の労働者の闘いが注目されているがけだし当然であろう。就職機会を奪われ、また将来の年金もあてにできなくなる高校生たちも闘いに起ちあがるのが当然だろう。日本ではなぜか、この年金支払い年齢の引き上げ、(年金需給に)必要な就業年数の長期化を「定年の延長」という側面からだけ単純にとらえ、「どうして反対するのか」となどと労働者を批判する人間がいるがとんでもないことである。年金支払いを遅くするのも、必要な就業年数を長くするのも、働く人間の当然の権利の実質的な収奪である。


                                   パリ、高校生10.21 
                                                           

 
 サルコジも、どこかの国の政府と同じで二言目には「国庫の赤字」を言う。だが、銀行には高額の援助金を惜しみなく注ぎ込み、高所得者は彼らに有利な税制改革で徹底的に優遇するという「ネオ・リベラル」政策、それもその強権的な進め方に対して、大きな怒りが噴き出しているのだ。
 この7月にも、今回の直接の担当相、ヴルト労働大臣のスキャンダルが暴露されたばかりであった。大蔵大臣と与党UMPの財政担当を兼務していた彼は、なんと自分の夫人をロレアルの大株主ベタンクール夫人に雇ってもらっていたのである。そのベタンクール夫人に対し、サルコジ政権は2007年の減税法によって3年間で1億ユーロの金を返済していたという。それでなくても収入の1%以下しか納税する必要の無い、富裕階級に手厚い優遇税制があってのうえのことである。このスキャンダルはサルコジ政権のあからさまな「カネと権力」の結びつきを暴露し、ネオ・リベラル、「新自由主義」改革なるものが、結局、富裕層を優遇し、弱者にツケをまわすだけのものであることを白日のもとにさらしたのである。
 今回の年金改革反対の闘いでも、このヴルトは散々叩かれている。だが、さらに激しく叩かれているのは、やはりサルコジ大統領本人、その強権的な政治手法である。
 まだまだこの大統領は強気で、冬季の休暇に入る前に闘いを終息させ、この問題にかたをつけたいようだ。

 CGTはじめ6大労組に「労働者の力」、「連帯」など全国の労働組合、そして学生、高校生たちは10月28日、11月6日の、第7波、第8波の全国のデモ、ストライキを宣言した。更に闘いは続く。

    ( 写真は10月21日、パリの高校生、ロイター。ロイターは今回、フランスの闘いの写真を沢山発表しているがみな大変できがよくて素晴らしい。またブログに使わせて頂く次第。)








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闘いは続く 「聞け、人民の怒りを!」

2010. . 21
             上院前            
 
 前回、フランスの年金改革反対の闘いについて書いたが、もちろんさらに闘いは続いている。16日の第5波に続けて、この19日、第6波の全国的なストライキとデモが打ち抜かれた。今回も350万人の参加があり、12ヶ所に及ぶ石油精製所のストも1週間を超え、20ヶ所以上の備蓄基地のストやTGVのストとあわせて、飛行機を含む全国の交通網に深刻なインパクトを与えている。

            製油所スト、正門封鎖
 

 学生、特に高校生の闘いへの参加はさらに増え、全国の高校4,300校のうち12日の時点で350校、今週に入って900校がバリケード封鎖・授業放棄に至ったという。もちろん、高校生は独自のデモも組織、パリでは凱旋門からシャンゼリゼを行進し、ナンテールでは200名が警官隊と衝突、またリヨンでも警官隊との衝突、トゥールーズ、マルセイユ、ボルドーなど各地、各都市で15万人以上が決起し、逮捕者も100名近いという。


            パリ、高校バリ封
 
 
 これら高校生の決起を含む全国の闘いは政権側に深刻な危機意識を与えているようで、16日過ぎから政府側は一気に挑発的ともいえる強行策に出た。各地のデモは警官隊と衝突、多くの高校生や労働者が逮捕され、ジャーナリストへの暴行まで伝えられている。パリ郊外、モントルイユでは警官の放ったフラッシュボールで16歳の高校生が顔面を負傷した。重傷で手術されているそうだが眼球摘出のおそれもあるという。この事件は当然ながら大きな問題になっていて、政府は、警官が多数の高校生に包囲されたうえでの正当防衛であったと発表したが、携帯ヴィデオで撮影された映像がネットやメディアに公表され、高校をバリ封するために、ゴミ箱を運んでいた彼が狙い打ちされたことが暴露されている。フラッシュボールは直径4センチほどの大型ゴム弾で、身体を貫通する事は無いが、顔面に当たった場合の危険はよく認識されている。2年前にも失明者が出ているのだ。許せない権力の暴力である。政府・権力側も高校生の闘いに手を焼き、追い詰められていることがわかる。


            CRSと対決する高校生10.19

 サルコジは強気である。理由は2つあるようだ。ひとつは自分の「緊縮財政政策」が、本当は大資本の利益追求のためであるのに、それを隠し通し、「このままだと財政赤字がふくらんで大変だ」というキャンペーンを続けてきた効果を信じていること。確かに、フランスの労働者は恵まれているのにこの程度の「痛み」に耐えられないのは我儘だ、とする、どこかで聞いたようなキャンペーンが繰り広げられ、市民の一部には浸透しているようだ。もうひとつは、2年前から、(確かこれは数年前郊外暴動が盛んだったときに発案されたのだったと記憶しているが)、大統領が議会の承認を得ずとも、合法的に国内に軍隊を展開できるようになったからである。陸・海・空の兵士1万人を「騒乱」鎮圧のために動員する準備を整えているともいわれている
 闘いが続き、ゼネストにまで発展した場合、サルコジが交渉のテーブルにつくのか、それとも軍隊を動員してまで、市民・労働者から高校生までの闘いを圧殺し、自らの「新自由主義」、「グローバリズム」にかぶれたこの「改革」を強行し、大資本と利益を山分けしようとするのか、眼が離せない。
 
 日本でも政府、財界によって「財政赤字」の危機が叫ばれ、「国際競争力のための法人税減税」と消費税増税がセットで提案され、「痛みに耐えろ」とか、あるいは口調だけは変えて「ご負担をお願いする」とか、大資本を優遇し、官僚たちの既得権を守り、働くものに負担を押し付けようとする動きは進んでいる。そもそも「財政赤字で大変だから増税する」というのは、国債の90%以上を国内で保有している日本にあっては、「富裕層が儲かったら山分け、損をしたら税金で貧困層から補填させる」ということである。さらに「法人税減税」で大企業優遇するとは「盗人に追いゼニ」というものである。フランスもギリシャも、その意味で他人事ではないのだ。 一方で、尖閣諸島の問題などを機に、排外主義・ナショナリズムを煽りたて、働くものの怒りを外部の「敵」に向けてそらしてゆく動きもある。本当に闘うべき敵は何処にいるのか、しっかりと見極めなくてはいけないだろう。


            船員スト10.15 

 世界の働く階級は団結して闘うべきだろう。これは、旧ソ連邦や中国によって失敗が明らかになった前世紀の古いスローガンではない。現在のグローバルな「強欲」とそれを守る権力に対して闘う唯一の道である。 フランスでもギリシャでも、あるいは中国でも、本来働く階級の利害は日本と共通しているのだ。


            
        Manifestations-retraites-marseille-19-octobre.jpg


 (写真は, 上院前の抗議行動・「聞け、人民の怒り」のプラカード、ストの精油所前封鎖、高校正門バリケード封鎖、警官隊と対峙する高校生たち、船員スト、大規模デモ。ロイター、パリ・マッチより)









フランスの闘い 「社会正義は秩序に優先する」

2010. . 15
   フランスで「年金改革」に対する大規模な闘いが組織されている。3年前から、サルコジの緊縮財政=年金改革に対する闘いは続いているが、いよいよここへきて、支給年齢を60歳から62歳に、全額支給年齢は65歳から67歳に引き上げるという「改革」に対して、多数の働く人々、のみならず、すでに年金を受け取っている世代から高校生にまで、闘いの輪が拡がっているのだ。
 サルコジおよび与党側は強気である。「多くの国は定年が65歳だ」とか、「このままだと財政が破綻する」とか、どこでも聞かれるようなことを言い募り、何としても今回の案を通す気のようである。


                  manifestation-retraites.jpg

 まったく、どこでもこの種のことを言いたがる政治家はいるもので、日本でもそうだが、彼らは一方で「法人税減税」などをたくらみ、大資本とタッグを組みつつ、「企業の競争力」とか、「国際競争」とかとってつけたような理屈を並べ立て、庶民の年金や資産を奪い取ろうとしているのだ。日本で菅がつい最近も「法人税減税」に言及し、一方でその穴埋めに「消費税増税」を主張して、財界のパペットに成り果てたことを自己暴露した。

 
 僕は、前にも何回かこのブログに書いた覚えがあるが、フランスに何度も旅行していつも感じるのは老人たちが幸せそうにしていることである。もちろんこれは年金を含む社会福祉の充実によるもので、年金支給前の市民は老後のそれを前提として現在の生活を営んでいる。これは偉大な文化なのであって一部の政治家が言うように「怠惰」なわけではない。
 他の国が、フランスより年金支給が遅いというのであれば、他の国にフランスが合わせるのでなく、フランスに他国が合わせるべき話である。
 何十年もかかって獲得してきた「働く階級の権利」を、またその文化にまでなったライフスタイルを、そう簡単に奪われてはたまらない。

 9月の2波にわたるストライキとデモに続いて、この10月14日まで数派にわたって、全国300万の決起があり、パリ市内では10万人を超すデモが行われた。
 ストライキは新幹線を含む鉄道、公共交通から製油所やタンカーまでを巻き込み、デモには、「年金改革によって職を奪われる」高校生まで参加した。

                  
                 
               Greve-retraites-CGT.jpg

 
 先日のギリシャでの闘いも、直近のスペインでの闘いも、基本的に政府が働く階級からの収奪と大資本の利益向上を「緊縮財政」の名のもとに行おうとしていることに対する当然の闘いである。今回のフランスの闘いも、多数のストとデモによって、サルコジを交渉のテーブルに引き寄せ、「改革法案」を撤回させて勝利するよう、心から願ってやまない。

        
                
               Rennes-Retraites-lyceens_.jpg


 
 日本においても、政権党党首によって、「法人税減税」と「消費税増税」がセットで提案され、「緊縮財政」が政府、財界一体となって主張されている以上、これらは他人事ではない。
 菅はかつて「(消費税を上げないと)日本がギリシャのようになる」と発言した。ギリシャは法人税減税をやったのが巨大な財政赤字の一因でもあるのに。そして、すでに充分税において優遇されている大企業の税負担をさらに下げ、消費税という形でその負担を一般の「働く階級」に押し付けようとしているのだ。
 フランスに学ぶべきは、サルコジの「緊縮財政」などではなく、もともと働く階級が獲得した年金を含む手厚い社会福祉であり、また何よりもその権利が奪われようとする時には、街頭デモ(マニフ)とストライキ(グレーヴ)を含む創意溢れる戦術で断固としてこれを阻止せんと闘う「働く階級」の強い意思である。
 
 僕の愛読書の受け売りであるが、フランスではいつも、
「社会正義は秩序に優先する」のである。


  (街頭デモ、鉄道スト、高校生デモ、 写真はすべて「パリ・マッチ」による)


 

困難な状況とは

2010. . 05
 小沢がついに強制起訴されることになった。しっかりと「刑事被告人」になったわけである。本人も、まだいる支持者も「無罪を勝ち取る」と言っている。確かに、検察が2度にわたって不起訴としたのだから、無罪になる可能性は高いのかもしれない。
 だが、前にも書いたが、「無罪」とはこの場合「罪に問えるだけの証拠が揃わない」というだけのことであって、小沢の胡散臭い何億という土地購入資金の不透明が晴れて皆が納得できるようになったということではない。政治家は法のラインぎりぎりで罪に問われなければ不透明なカネを蓄財したり、不動産を買い漁ったりしていても良いということではない。当然、政治家としての国会での説明も求められるべきだし、説明のつかないようなカネを出し入れしているのなら、議員辞職を求められるのも当然である。僕は一時も早く、この小沢には政治の世界から身を引いて欲しい。田中のような「闇将軍」になどもちろんなってもらっては困る。もっともそんな影響力も、少なくとも田中にはあった人間的魅力も、この男には無いと思うが。
 この段階で、いまだに、なんと大阪地検特捜部の「証拠改ざん」事件と一緒くたにしてこれを論じ、「検察が横暴だ」などという馬鹿がいる。検察は小沢については2度も「不起訴」にしているではないか。
 
 前のブログで書いたが、このように何でも一緒くたにしてはいけない。当たり前だがひとつひとつ違うのだ。大阪地検の話はもちろんとんでもない話である。検察特捜部の人間が「証拠」を改ざんしたり、恣意的にいじれるのならば、何だって出来てしまう。無罪のものを有罪にも、有罪のものを無罪にも、思うがままである。
 僕がさらにとんでもないと思ったのは、この事件をめぐってマスコミに登場した検察OBの何人かが「(こんなことは)あり得ない」と発言したことだ。だって、はっきりと「あった」のである。これも、この証拠改ざん事件も、「でっち上げ」だとでも言うのか、そうまで身内をかばいたいのか。今回、証拠改ざんははっきりと「あった」のである。「あり得なく」などないのだ。むしろ、今回たまたま明らかになってしまったので、過去、他にもあったのではないか、今後もばれさえしなければ彼らはやるのではないか、と考えるのが自然な疑いだろう。特に、今回の村木厚子さんの時のように、相手が「弱い」と観るや、こんなにひどいことでもする、言い換えれば、相手が権力者、「強いもの」であれば、やらないか、有利になるようにする、ということかもしれない。以前も「三井環」の騒ぎで問題になったが、この大阪地検というところは特にそういうところなのかもしれない。一度解体したらどうかと思う。他の地検の大阪支部でも作ればいいではないか。

 ブログをつけていると、最近では、例の尖閣諸島、漁船船長逮捕・釈放をめぐる政府の対応について、書く事を薦められたりする。が、僕にそれほど強いモチベーションがない。ここぞとばかり、やれ核武装しかないとか、自衛隊を送れとか、戦争をものともしないつもりなのか、右派がはしゃいでいるが、そんなことに拍手する気はさらさらない。もちろん中国の対応は今回非道としか言いようの無いものであった。だが、あの調子で日本に例えば「輸出禁止」だとかの「圧力」をかけ続けてゆけば、実は困るのは中国のほうであったと思う。日本は中国以外からも輸入元を求めることができるものが多いが、中国側は日本からしか買えないものが沢山あるからである。また外交上も、国際的に孤立してゆくのは中国のほうだったと思う。だが、日本では財界は「中国との貿易額がすごく多い」ということで、中国と一緒になって政府にプレッシャーをかけた。
 結果は誰でも知る通り、船長釈放となり、「中国の圧力に屈した」かたちになった。それも、検察が「政治的判断」や「外交上の方針」をもって結論を出すという、これはこれでとんでもないことになった。検察が「政治的判断」で法的措置を決めてよいはずが無い。これを許せば、検察が逮捕者を「政治的に」選別し、例えばこいつは反権力だから起訴、こいつは権力サイドだから釈放とやってもよいことになる。超法規的ともいうべき政治的判断は政府当局者がその責任を持って判断をくだし、それによってもたらされる結果も含めて責任を取るというのが当然である。
 今回は、官邸も、検察も、とんでもないことをしてくれたのだと思う。
 しかし、付け加えていいたいが、僕は実は釈放自体は他に選択肢は無かったと思う。せいぜい、逮捕してすぐというタイミングで強制送還するぐらいのことしか出来ることは無かったと思う。このまま、「圧力に屈せず」という原則で引っ張っていって、現地で捕らえられた4人がどうなったことか、あるいは戦争にまでなったか、実際誰にもわからない。もちろん今回の一連の事態は明らかに中国のほうが悪い、だがそれを言って突っ張ってみたところで、失うものに比して、得るものはほとんど何も無かった。大事なのは今回「中国側が悪い」ことを国際的に認知させ、孤立させることであった。同じ土俵で争って中国と戦争状態にしても、例えばアメリカはそんなことのために軍を出したりはしない。実際今回も船長を釈放したことに対して「歓迎の声明」を出したのはアメリカであった。
 口先で「突っ張って」ただ原則論を言っているだけなら気楽なものだ。僕は菅も仙谷もおよそ評価しないが、今回当事者としてはそれなりに大変だったと思う。だがとにかく検察に責任を押し付けたのはひどかった。責任を持って政治的判断を示すべきだったと思う。同時に、政府批判がそのまま「尖閣諸島に自衛隊を」とか、日本も「核武装しないとなめられる」とか極端なナショナリズムになだれ込むのは危険だと思っている。
 妙なナショナリズムが盛り上がるほど怖いものは無い。簡単に排外主義になるからだ。これは中国国内も、日本国内も実は同じことだ。

 まあ、何でもかんでも、一緒くたに論じるのはやめるべきだ。ひとつひとつ事情があるのだから。
 許せないこと、怒るべきことと、そうでないこととは、ポイントを整理して、自分の中ではしっかりと区別しておきたいものである。

 困難な状況はいつもそれほど複雑にはみえない。明るく、わかりやすくみえるものだ。そんな中で、マスコミなどに危機意識を煽られる時は、警戒してむしろ努めて楽観的でなければならない。 かつて日本が戦争への道を進んだとき、今の日本人はそれを愚かというようだが、当時は多くの国民がその愚かな道を支持したのである。それもマスコミに煽られてのことであった。困難な状況の中で、しっかりと世界をみつめ「冷静でいること」は案外難しいことのようだ。
 現在、書き連ねてきたように、政治にどうしようもない閉塞感があり、民間給与所得は下がり続け、生活も苦しい。「国力」そのものが落ちているのだろう。沖縄問題ではアメリカに、北方領土ではロシアに、そして尖閣諸島では中国に、思い切りなめられることになった。 いわばナショナリズムに煽られやすい環境になったわけである。
 困難な中を考えながら生きていかねばならない。








 


 
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