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小人の大国

2010. . 27
 さて、何とか「小沢総理」は避けられた。その不潔感を世間はやはり許さなかったというべきだろう。もちろん菅総理が積極的に支持されたわけではない。「3ヶ月くらいで変えるべきではない」という、あるいは「いくらなんでも小沢は勘弁してくれ」という世論の消極的選択に民主党員たちは耳をかさないわけにはいかなかったのだろう。
 それにしても、やれ「剛腕」だとか「選挙に強い」とか神話を垂れ流してきたマスコミも、もうかばいようがないだろう。小沢の政治的影響力はこれでほぼなくなった、政治的に「死んだ」といえるだろう。一時も早く身を引いて欲しいものである。

 先日新聞でフランスの記事を読んで驚いた。「公共の場所でのブルカ、ニカブの禁止」とロマのキャンプの撤収、国外追放の話が同列に論じられているのだ。ともにイスラムなど、異教徒、異文化への排外主義であるとして、これを諌めるかのような口ぶりであった。
 これはとんでもない誤解である。以前、僕はこのブログに書いたが、ブルカ、ニカブの禁止は「ライシテ」(=政教分離)という共和国の知恵であり原則である。今回の「禁止」もこれを淵源としている。これも書いたが、ここでいう公共の場所、例えば公立の学校などでは十字架だっていけないのである。断じて排外主義ではない。むしろ、女性は顔を隠さなくてはならない、とか教育を受けてはいけない、とか、「音楽は人間を堕落させる」からCDを焼いてしまうとか主張するイスラム原理主義こそが、異文化を拒絶する排外主義なのである。ブルカ、ニカブの公共の場所での着用は明らかな女性差別である。だから、こちらの法案は9割以上の支持によって可決されたのである。別にサルコジの独断ではないのだ。それに対して、ロマの追放は明らかな差別であり、排外主義である。サルコジのやり過ぎに対して批判も多い。反対運動も様々な形で大衆的に組織されている。この2つを一緒くたにしてしまっては批判するべきことが見えなくなり、スタンスが混乱してしまう。差別、排外主義を批判するなら、公共の場所でのブルカ、ニカブの着用は禁止し、女性差別のイスラム原理主義に反対し、また、ロマ追放にも反対の意思表示をするというのが当然だろう。

 菅首相の夫人によれば、夫の菅は「どうしても首相の器にみえない」人間だそうである。ただし、見渡してみて他にも「首相の器」たる政治家は見当たらないとのこと。彼女によれば「首相」というイメージがしっくりしたのは吉田茂から中曽根までで、後はみんな「小粒」になってしまったというわけだ。みんなどうせ小粒なのだから菅でいいじゃないかという意味であればちょっと納得できないところもあるが、言いたいことはよくわかる。
 そしてさらに、政治や外交、世界を論評するマスコミのほうもずいぶんと「小粒」になってしまったのかもしれない。さきほどの、「一緒くた」の話も一応「社説」なのである。ほんのちょっと、バックグラウンドを調べればこんな論評にはならないはずである。

 
 まあ、政治家もジャーナリストも「小粒」のほうが、諸外国の指導者たちに安心していてもらうには良いのかもしれない。日本が経済的に豊かであるためには、本当はそれが一番という人もいて、実際に経済を支えている多くの国民は賢くそう考えているのかもしれない。



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円高に思うこと

2010. . 07
 9月になっても暑い夏が終わらない。この週末、知人の別荘に招かれて寛いできた。僕は貧乏性なのか、日本のリゾートというのは何となく落ち着かなくて苦手なのだが、この別荘は素晴らしくいつでも寛げる。長いこと、少年時代からつい最近まで,キャンプには何度と無く行っているので、屋外での焚き火やバーベキューなどになれば慣れたもので楽しい。コールマンのランタンに火をともす時など、マントルを確認しポンピングしているだけでうれしくなってくる。 
 さて、夏には何故だかわからないが懐メロ、オールディーズというのをよく聴く。往復の車内でも通販で買ったそんなCDなどをかけたりする。60年代に引き戻される気がしてなかなかよい。こんな音楽をラジオで聴いていた当時、小学生、中学生だった頃、メルセデスを走らせ、BGMに同じ曲をかけている現在の自分は想像も出来なかった。 


                                    20090530013119.jpg
 
 僕はPCのスキルが高くないし、ずいぶんおそく覚えたほうなので、使いこなしている人には笑われてしまうかもしれないが、このあたりのことについてもネット上の情報というのは本当にたいしたものだ。YOU TUBEを使うと、60年代のヒットソングは音源が画像とともにしっかり再生できる。往時はラジオで曲を聴き、レコードのジャケットなどを眺めるだけだったのが、鮮明なモノクロ映像で、ウィルマ・ゴイクやジリオラ・チンクエッティが歌っているのが観られるのだ。(当時、サンレモ音楽祭は僕たちにはグラミー賞に並ぶほどの価値があったものだ。デビューしたチンクエッティは妖精のようだった。) 歌だけではない。当時のTVドラマ、パティ・デューク・ショーやドナ・リード・ショー、ローハイドや拳銃無宿のイントロから当時の名画のシーンまで何でも取り出して楽しめる。画像をアップしてくれる人がいるということ、加えて再生回数は数十万回にも及んでいるから、僕と同じような人が沢山いるのだろう。ポピュラーにとどまらず、マイルスやコルトレーンももちろん、ビル・エヴァンスとその指先をみつめながらデリケートなベースを刻む夭折したスコット・ラファロも、屋外でドラムスとの掛け合いをやるアニタ・オデイまで、モダンジャズも思い切り楽しめる。便利で良い時代になったものだと思う。

 さて、そこで円高の話である。いうまでもないが60年代当時1ドルは360円であった。「舶来品」などという言葉があり、輸入品は概して高価であった。本国ではどうと言うこともない日用品まで高いものだったのである。日本が豊かになり、モノが手に入りやすくなった。円高によって輸入品も普通の人の手に届くものになったのである。僕がいつも感慨深く思うのは、システムの問題もあるだろうが、海外旅行と車、そしてレコードが桁違いに安くなったことである。当時、新卒の初任給がやっと1万円というとき、海外にでかけるのには100万円ほどかかるといわれていた。同じ頃、トヨタがクラウンを発売したがこれも100万だ。  
 僕は高校時代初めてのアルバイトをするが、その郵便局での時給は100円に満たなかった。その時、LPレコードが国内盤で2,000円、輸入盤は3,000円近くした。現在のCDと大差ないのである。
 夏、オールディーズを懐かしく楽しみつつ、日本は豊かになったと思うのである。

 円が高くなった。それは基本的には日本が豊かになった、日本の経済が強くなったということである。逆ではない。現在は特に、産業の全体を考えてみても、GDPの構成比で、輸入が8割、輸出が2割くらいの構成である。働く人間は消費者であり、そちらから考えてみれば、消費される商品は食品を含めてほとんどが輸入品なのだ。円が高いということは、働く人間にとってはその賃金の価値が高い、あるいは消費する、買う商品の価格が安いということなのである。また日本の場合、多くの人は貯金は円でしている。円高とはその資産価値が高いということでもある。
 今日、何か円高が「悪い」ことのように云われ、国家が為替に介入するべきだとするような主張まである。だがもっと大きな、乃至は長いスパンで考えてみればそれはとんでもないことだ。国の通貨の価値はその国の経済の信用である。円が自然に安くなってしまったら仕方ないが、作為的に安くしてどうするのだ。賃金が安くなり、物価が上がり、ひいては可処分所得が実質的に減り、資産は目減りするのである。そんなことを本当に働く多くの国民が望んでいるのか。政府・日銀は円安の局面でこそ国民の資産を守るために断固として為替介入すべきなのである。
 勿論輸出に依存し、円高で打撃を受け、大企業のように海外へシフトしたり出来ず、困っている中小の製造業もある。国はその経営者、働いている労働者をあらゆる方法で直接救う義務がある。だがそれは円安へのシフトなどではない。円の価値が下がれば、物価が上がり、賃金は減り、彼らだってさらに困るのだ。だいたい、円高で下請け・孫請けの製造業が困るから「税金を使って」円安にしろなどというのは、公共工事が減って下請け・孫請けの建設業が困るから税金を投入してどんどん赤字のハコ物やダムを造れというのと同じ類の脅迫である。それでなくても、円高でなくても、大きな輸出企業は「安い賃金の労働力」を求めてすでにどんどん生産拠点を海外へ移している。彼らが円高を「少しでも」小さくしたいのは売上に関わるからであって別に「日本経済の空洞化」や労働者が仕事を奪われることを心配したりしているわけではない。また、円安にしたら今度はそれによって打撃を受ける8割に及ぶ輸入に依存している経営者、労働者を救わねばならないのだ。 「円高対策」ならば、為替介入などでなく、円高を活かし、負担を気にしてエアコンを節約して熱中症で死んだ老人までいるのだから、例えば電気代を思い切り下げるとか、それこそ介護や医療の分野を改善するとか、あるいはガソリン代を下げるとか、いくらでもやることがあるはずだ。 そして何より円高が避けられないのなら円高にフィットするような産業構造にしていかなければならないのが当然である。「円安」誘導しようとしてカネをどんどんつぎ込むなど、(効果が無いという意味で)無駄であるばかりか、またもバブルとその崩壊を引き起こしかねないとんでもない愚策である。

 円高は基本的に日本の経済が強く、自国の通貨に信用があるということである。繰り返すが決して逆ではない。






 

民主党代表選

2010. . 06
 9月になっても暑い日が続く。
 どうもいよいよ僕たちは小沢総理が誕生するのを見なければならないのだろうか。
 民主党代表選は佳境に入ってきた。世論調査では数倍の差をつけて「菅のほうが総理にふさわしい」と出ているようだが、どうもただ「総理を3ヶ月で変えないほうがよい」というだけの、いわば「消極的支持」のようだ。もともと党の代表選であるから、世論は無関係ではないにせよ直接は影響しない。党員、特に国会議員の票を組織したほうが勝ち、代表になり、与党代表として総理になるわけだ。記者会見などでも「政治とカネ」の質問だけを集中し、ダーティな小沢を批判していたかのようだったマスコミも、ここへきて論調が少しずつ小沢支持に傾いてきているように僕にはみえる。世論も変わってくるのではないだろうか。要は、クリーンなイメージをもってはいるが、この3ヶ月間何にも出来ず、これからもたいしたことは出来そうに無い馬鹿で無能な菅よりも、ダーティであっても長い間政権与党の中枢にいて、それなりに「何かしてくれそうな」小沢のほうがましなのではないか、というわけだ。
 
 それにしてもひどいことになったものだ。ゾンビーのように復活してくる小沢についてはこのブログでも何度も書いてきた。今更いうまでもないが明確な政治信条などないただの「カネと権力の亡者」である。これまでの日本の政治を悪くしてきた金権政治の元凶、経世会を体現している男である。今回も菅を批判するに際して「さしあたって消費税は上げない」と言っているが、注意深く聴けば、「所得税減税・住民税減税」を主張し、逆に消費税は上げるつもりであることがわかる。小沢は自民党時代からこれだけは一貫して「消費税10%」論者なのである。「消費税なら、国民は買うか買わないか選べる」とずっと言ってきたのだ。普天間基地移設の問題についても鳩山、菅を表面的に批判しているが本人にもっともらしく言えるほどのアイデアや「腹案」などがあるわけではない。鳩山の悲喜劇を繰り返すだけであるのが目に見えている。
 だいたい彼が総理になったうえで、既に秘書3人が逮捕されている政治資金規正法違反で強制起訴されれば、僕たちは刑事被告人の総理を抱えることになるわけだ。その男が外交をやるのだから、僕たちはずいぶんと寛容なあるいは馬鹿な国民と諸外国から見られることになるだろう。本人にしても総理の激務をこなしながら法廷闘争を闘うことになる。ほんとうにそんなことで良いのだろうか。
 こんなゾンビー小沢を復活させてしまったのは勿論菅があまりにも情けないからだ。
 自らの権力維持の為財務省官僚の言いなりになり、法人税減税の穴埋めのための消費税増税を言い出し、参院選で負けて懲りたはずなのにまだ口を滑らせる。中学生のようなブレーンに何を吹き込まれたのか「1に雇用、2に雇用、3に雇用!」ときた。友人の長谷川氏がどこかで書いていたが彼の言う通りで雇用はとにかく「雇う」側の企業に体力がつかなければ生れない。逆はありえないのだ。「借金してまで人を雇い、結果として業績が伸びる」ことをこの不況下に誰が信じてやろうとするのか。だいたい自分が首相であったこの3ヶ月、何の経済対策も出せないでいて来月になると何故それが急に出来るようになってしまうといえるのか。この円高を背景に企業が生産拠点を海外にどんどん移しているのが連日報道されている。雇用の機会は減っているのだ。二言目には「介護だ、福祉だ」というのだが、そちらの情況にしてもここ数年ずっと変わっていないのだ。もちろんこの3ヶ月も変わらなかった。何故来月から急に変えられるなどといえるのか。急に雇用が生れるのか。
 結局、世論調査という漠然とした話の中では菅に「消極的支持」があっても、具体的な論戦になったら小沢のほうに分があり、党内の組織戦でも、早くから戦闘モードに入っていた小沢のほうが強いということなのだろう。

 と、いうわけでいよいよ小沢総理誕生を見せつけられることになるようだ。麻生とどっこいどっこいだろうか、海外へ行った時話題になると恥ずかしい。やはり、日本の元首は天皇と確定しなければおさまりがつかないということだろうか。






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