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菅、トロントへ

2010. . 28
  カナダで開かれたG8,G20 に菅が出かけていった。オバマは彼の名前を呼ばず、“New Prime Minister” (新首相)で終始通しているそうである。日本から行く首相はサミットごとに顔が変わるのだから仕方ないのだろう。まあそんなことはどうでもよいとしても、菅が張り切って出発前に「各国に訴えてくる」と言っていた「財政再建と経済成長は矛盾しない、両方やる、増税して・・・」云々の主張も、もちろん誰も相手にしなかった。当然である。そんな話に何のリアリティも無いからである。だいたいまだまだ経済成長が足りず、緊縮財政に踏み込めないアメリカと今まさにユーロの危機にあって財政引き締めに走らざるを得ないドイツ、すでに付加価値税増税を決めた英国などの真剣な討議の渦中に、こんなノーテンキな馬鹿げた議論を持ち出して取り合ってもらえると思うほうが愚かなのである。
 ちょうどこの週末、菅のブレーンで、この「増税と景気回復」という珍説を彼に吹き込んだという小野善康という「経済学者」がTVに出てきた。子供だましのようなフリップをみせつつその珍妙な自説を展開した。ほんとうに中学生の研究発表のような議論であった。彼は大阪大の教授であるそうだが不思議で仕方ない。増税した分を、その金額をそのまま国民に「返す」のだという。「雇用を作り出す」という。そして職を得た人間が今度はモノを「買う」から増税した金が「戻る」のだという。「介護などの分野」に金を廻して「雇用を生み出す」という。そこに金額やパーセンテージといった最低限度の数字の裏付けもない。出てくるのはただ、「貴女から僕に100万、(その分野に廻したとして)渡します。」「その100万を、ほら、仕事を持ったらお金使いますよね、ほら戻ります。」と模造紙幣の束を示すだけである。さすがに女子アナからコメンテーターまで一同呆れ顔であった。
 だいたい、「戻す」のであれば、そもそも税金というかたちで徴収などしなければ良いではないか(笑)。そもそも一度役人の懐にいれるところから不信を招いているのだ。この男の議論も基本は「役人が税金という形で金を集めて」使ってやるのだということに尽きる。どうも「再配分」を言っているようなのだが、それも「クリアーに全額戻す」というのだが、税が一度徴収されるのには役人たちの手間も金もかかっているのだ。それがストレートに「全額を戻す」などと云う議論がまず信じられるはずが無い。そして、そもそもいくら位集めて、いくら位「雇用に」廻すというのか、それによってどのくらいの失業が減らせるというのか、この男は、「失業者がいます」それから「介護の分野に(税金で集めた金を)廻し」て「働いてもらいます」などとおよそ手で数えられる数人分のイメージを語るだけで何の目標も値も示さない。現実の「介護の分野」では既に人が足りない。給料が安く、重労働で、失業者にすら人気がないのだ。いったいどうやれば、どのくらいの増税分を投入すれば、どのくらいの雇用が生れ、なおそのお金がどのくらい「消費に廻って戻ってくる」というのだろう。まだまだ公共事業で道路を作ろうというよりたちの悪い暴論である。そしてこれが決定的だったが、さすがにコメンテーターのひとり藤原帰一が聴いていたのだが、そもそも何故「消費税増税」なのかがまったく示されない。回答は「僕は所得税でもいいと思うのですが、消費税でもかまわない・・・」というひどいものであった。要するに話はただ「税収が増えたら・・・」というだけのものに過ぎない。単純に、法人税減税をやって消費税増税をしても、その穴埋めにも足りないのだ。どうやって「金を戻し」たり、「雇用を作りだし」たり出来るのだ。一方、菅ははっきりと「消費税の増税」を、そして自民党の出した10%という数値を「参考にする」とまで発言しているし、それを「公約と受け取ってもらって結構」と言っているのだ。
 あげくのはてにこの馬鹿は「子供手当ては無駄だからすぐやめて欲しいと菅さんに言っておきました」ときた。どうやら総理のブレーンであることが自慢らしい。
 菅はいまや内閣府参与であるというこんな男のアドヴァイスを真剣に聞き、なお財務省におだてられ、取り込まれ、権力の座に着いたとたん経団連に媚を売り、法人税の更なる減税とセットで消費税増税を主張しだしたのだ。さらに「超党派」の財政健全化会議の座長にはもともとの増税論者与謝野馨を据えようとまでしている。基本的に財政赤字といっても日本の国債は日本国民が買っている。つまり「貸している」のだ。税金で奪われるより「貸している」ほうがましというものであろう。法人税が諸外国に比べて高いなどと云うのもでたらめである。日本の大企業は様々な減税措置を享受しているのだ。「海外に行ってしまう」などという。行くものか、それに本当にそうなら行ってもらったらよいのだ。ただし、先進国は団結して金融規制し、銀行税を課税するからそれ以外の国へだ。菅が以前と180度変えて言い出したことはすべて破綻した「 新自由主義」の方向を明らかにしたキャンペーンなのだ。
 つまり、この小野善康という男の説は、完全に「当て馬」であり、菅のアリバイ作りであろうと僕は思う。こんな珍妙な議論を本気で信じているとしたらそれこそ馬鹿だ。そうではなくて、この「説」を利用して、法人税減税―消費税増税をやりぬき、財務省の役人と財界に媚を売り、自らの権力を安泰にしたいのだろう。
 だが、もはや、トロントで示されたようにそんな路線は欧米で相手にもされない。彼らは既に少なくとも「新自由主義・市場原理主義」からは脱却したうえで、現状打開の道を探っているからだ。金融規制の方向をはっきり打ち出しているからだ。菅はいわば古い破綻した方法で権力維持を考えているのだ。
  




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 今回も、トロントのサミットは1万人以上の抗議のデモにあった。商店が破壊され、警察車両が焼かれたそうである。警察はトロント大学の家宅捜索を行い,旗竿、石、レンガなどを押収したそうだ。逮捕者は600人に及んだと聞く。
 僕は一部をTVなどの映像で観ただけだが、デモ隊には赤旗が林立し、「G8 打倒」 「強欲(GREED)集団粉砕」のプラカードがみえた。
 
 前回のブログでも書いたが、「新自由主義」と「市場原理主義」への反省に基いて、英・仏・独は今回はっきりと「金融規制」を打ち出し、「銀行税」を課すことを提案した。現段階では経済成長を優先せざるを得ず、一般的には緊縮財政について欧州に同調できないオバマも、国内での金融機関への国民の厳しい反撥と警戒を背景にし、(税金を投入して、なおかつ高額な報酬を得ている金融機関トップへの反撥も記憶に新しい。)この案には当然理解を示してすばやく動いた。反対したのは日本とカナダだけである。日本は、(菅政権は)、どこまでも税金は消費税増税で弱いものから巻き上げ、法人税はさらに減税し、ましてやあれだけ世界が懲りているにもかかわらず、「儲かったら自分のポケットに、損が出たら税金で穴埋め」の金融業界には規制など考えられず、ましてや課税などもってのほかということなのである。いまだ「新自由主義」であり、何の反省も無く、珍妙な「増税と景気回復」という議論で役人と金融を中軸にした大企業だけがハッピーな世の中を押し付けようとしている。

 トロントで抗議に起ち上がった若者たちのデモは、本当は日本でも、日本の若者たちによって、これら日本の支配者たちに対してこそ向けられるべきものであった。









  
 
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谷中BOSSA

2010. . 22
 さて、今月、嫌になってしまうようなことばかりブログに書いてきたが、勿論世の中嫌なことばかりではたまらない。僕は特に週末色々とエンジョイしている。
 
 今年は特に、月初から、大学教授をしている高校時代の友人に、若い学生たちとともにご馳走になり、幸福な時を過ごせた。
またある心豊かなお客様のおかげで、ヒルトンホテルの「王朝」でチャイニーズとワインの組み合わせという贅沢な楽しみもあった。横浜インターコンチの「アジュール」ではフレンチのディナーも食した。軽井沢の「アマンダンリーフ」でオーガニックなフレンチのちょっと贅沢なランチもドライヴとともに楽しんだ。また、夜の銀座で、学生時代からの気のおけない友人同士でテーブルを囲んだ。どれも貴重なひとときであった。

 そして、ある週末の午後、お馴染みの「谷中BOSSA」で、行川さおりさんのボサノヴァ・ライヴをひとりで楽しんだ。
 
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 古い木造家屋を改装したこのお店では、マイクは一切使わない。高田泰久氏の7弦ギターの伴奏だけで、彼女は3ステージ、全曲ポルトガル語で歌いきった。
 考えようによってはこんなに贅沢なことはない。マイクなしのギターとヴォーカルが眼の前だ。自宅に来て聴かせて貰っているような気分である。冷たいビールを味わいつつ、快く、癒される週末の午後であった。

 前にも書いたが、どうも僕にはこうしたボサノヴァ・ライヴというのがこたえられない。だいぶ前になるが、ワンダ・サーとメネスカルのコンビが来日した時、青山のライヴハウスへ駆けつけた。同じ店で、翌年ミウシャが歌った時も出かけていった。アンコールで「想いあふれて」~Chega de Saudade が歌われたとき、聴衆のかなりの数の女性がポルトガル語の歌詞を一緒に口ずさんでいたのに驚いたものだ。ボサノヴァはやはり人の心を捉えるのだろう。

 
 これも前に書いたが、本当はこんなことばかり考えて、のんびり快く生きていけたらどんなにいいだろうと思う。だが人間の幸福であるべき私生活に、薄汚い政治家や権力は、あるいは強欲な資本は、土足で踏み込んで来てそれを脅かす。

 
 SFCGの大島健伸なる男が逮捕された。この金の亡者は破産する会社の資産を債務の返済に廻さず自分の親族などへどんどん移していたらしい。それも巨額の金である。そして、卑しくふてぶてしいこの男とつるんでいたのが、この前に一斉に捜索を受けた日本振興銀行の前会長木村剛である。この振興銀は木村銀行といわれ、大島SFCGとは誰もが知る深い関係である。木村も逮捕が近いといわれている。そしてさらに、今はどうも知らん顔をしているようだが、例の「小泉構造改革」の際、この木村剛を片腕として重用したのがあの竹中平蔵である。そう、彼らはみ~んなグルなのである。自分の金儲けのため、一般国民の資産を掠め取ってゆくことを何とも思っていない連中である。

 僕たちはこんな連中から自分たちの「幸福な私生活」と財産を守らなければならない。そしてこんな連中と利害を共にする政治権力とは闘ってこれを倒さなければならない。菅政権はすでに官僚たちに屈し、小泉ー竹中と同じ「新自由主義」路線に舵を切ってしまった。

 まったく。ただ気持ちよく日々を過ごしたいだけなのだが。  なかなか思うにまかせない。

 先日、TVをみていて驚いたことがあった。僕は映画鑑賞も趣味の一つなのだが、その映画の上映を「デリヴァティヴ」にして、金融商品化して売ろうとしている連中がいるそうだ。つまり、映画がヒットすることが固ければその確率を、ヒットしなさそうであればやはりその確率・リスクを組み込んで金利を算出し、金融商品化するのだそうだ。「サブプライム・ローン」の証券化の映画版にもみえる。それにしても次から次へと懲りずに「強欲」なことである。当然映画製作に関わっている人々は反対の声をあげ、「金融取引規制」の方向に動いているオバマ政権はこれを「禁止」しようと、法的に規制をかけようとしている。
 この話は今ちょうど僕が言おうとしていることの典型である。人間が実際に働くこと、そして働いて創り上げたものは「守られなければ」いけない。「金で金を儲ける」ことは規制されるか、厳しく課税されなければならない。「新自由主義」による「市場原理」とか「規制緩和」などというのはそれによって儲けようとしている人間のたくらみにすぎない。

 ヨーロッパでもアメリカでも、このように「新自由主義」と「金融取引規制」の方向とが今まさにせめぎあっている。しかし 日本では「金融取引規制」の動きはまったくない。そうした企業に課税するどころか減税し、一般の国民から消費税増税で金を奪おうというのだ。 「ギリシャの闘い」も教訓とするならば、各国の働く階級にとって、「幸福な生活」を守る道はひとつである。 国際的に団結し、金融取引規制、課税を強化させてゆくことである。「強欲」な資本を規制し、奪われたものを取り返し、生活に還元させること。それは働く人間の当然の権利だ。増税など本当は語られる余地は無いのだ。 
 












早くも正体を現した菅政権

2010. . 21
 さて「戦後最悪の政党」がその馬脚を現した。結局は財務省をはじめとする官僚たちと財界の利害のもとにある、自民党の補完勢力にすぎないことが明らかになってしまった。
 いうまでもないが菅の「消費税増税」発言である。「鼻血も出なくなるまで無駄を削ってからでなければ増税など出来ない」とか「官僚は成績が良かっただけの馬鹿」とまで云ってきた男が、「自民党の消費税10%案を参考にする・・・」と云い、「増税したら景気回復する・・・」などと珍妙な自説まで披瀝するにいたったのだから、税金で「役人天国」を守りたい財務省の官僚たちは笑いが止まらなかっただろう。
 「出世主義者」で権力欲にとりつかれた男が、実質的な支配権力を握っているものたちについにひれ伏したのだ。いまや誰もが認める財務官僚のパペット(傀儡)である。取り巻きのものたちも千石はじめ増税論者、また財務省と息を通じている松下政経塾出身者などで固めた。
 およそ「税政」ほど政権の本質・属性、階級性が鮮明になるものは無い。彼らは自ら、労働者階級の敵であることを明らかにしたのだ。実際、消費税増税とセットで企業の法人税減税まで言い出した。「福祉目的税」などとよく恥ずかしげも無く云えたものだ。既に減税されている法人税をさらに減税してしまったら、消費税増税分はその穴埋めにも足りないのだ。
 
 彼らは都合よくヨーロッパの例などと云う。だが、ヨーロッパの付加価値税はその名の通り生活必需品や食料品にはかからない。すべてに均一な税率でかかっている消費税とはもともと違う。今更ながら、通常の労働者の年収分の宝飾品から食料品まで同じ税率で課税されているのが日本の消費税なのである。またヨーロッパの法人税のほうが安いなどとそこだけとりあげるのもおかしい。企業の福祉負担、社会的負担がまったくちがうからだ。
 だいたいヨーロッパだろうとどこだろうと、「増税して景気回復」などと云う馬鹿はいないだろう。よくもまあそこまで財務官僚に媚びたものだ。増税すれば消費は冷え、消費に依存している経済は停滞する。「景気回復」するのは官僚の懐だけだ。 
 消費税が5%上がれば、可処分所得が5%低くなるのだ。年金生活者であれば年金が5%減額されるのと同じだ。また中小企業であれば、決算期に消費税分を払い込むのがどれほどの負担になるか経営者は身体で知っている。それが倍になるのだ。景気回復するはずなどない。

 
 また、日本が「ギリシャのように」なったらどうする、などと脅し文句のように言う。おかしな話だ。(ギリシャと日本と状況がまったくちがうのは云うまでもないが、) 僕は2月以来何回かこのブログに書いたが、緊縮財政だの増税だので国民に負担を押し付けることのほうが間違っているということを、ギリシャの状況は示しているのだ。国家をも相手に姑息な手段でぼろ儲けをして国民の資産を奪い取っていった金融機関のほうから「金を返して」もらうべきなのだ。パパンドレウはEUにもオバマにも働きかけて金融取引規制に動いたではないか。ギリシャの轍を踏みたくなければ、増税などで国民に負担を押し付けるのではなく、一時も早く金融取引課税に、金融取引の規制に動くべきなのだ。法人税減税などと言っていられるはずは無い。
 日本でもリーマン・ショック以後、逆に利益を上げてきた企業、金融資本家達は、例えば野村ホールディングスであれば報酬を3倍以上に伸ばし、1億4千万以上の報酬を得る役員が何人もいるという。どうして彼らに「減税」してやり、消費税という弱いものにより負担のかかる税を「増税」するのか。


 結局、彼らの言っていることはすべて、増税して「役人天国」を守りたい財務官僚たち、ぼろ儲けしたい金融機関をはじめとする大企業の利益に奉仕するための、様々な一方的な理屈付けを編み出しているにすぎない。
 自民党時代と同じ「政ー官ー財」の鉄壁の団結である。増税のために大政翼賛会なみの民・自連立までしかねない。国民は彼らにとっては、資産を奪い企業に儲けさせ、さらに税を払わせる道具でしかない。これをやめさせる為の「政権交代」であったはずなのが、とんだ勘違いであったわけである。







シンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」―6.15安田講堂

2010. . 16
 50年目の6.15、何かしたくて考えていたところに、このシンポジウムの情報があったので申し込んで入場券がわりの返信メールをもらった。「声なき声の会」の集会、南通用門での献花というのとどちらに行くか迷っていたがこちらにした。

 安田講堂は満杯であった。
 司会の女子アナに呼ばれて壇上に上がったコーディネーターの上野千鶴子が「この安田講堂の定員1,000人を上回る参加」と発表した。上野の冒頭の発言。60年安保闘争は、「失敗に終わった」とはいえ戦後最大の大衆運動であった。そこで問われた日米安保条約は、例えば普天間基地の問題で一つの政権が倒れるくらいの、今日まで続く重要な意味を持っている。この60年安保闘争の「何を」記録し、記憶するのか、また「いかに」記録し記憶するのか、パネラーたちとともに考えていきたい。
 本日は云うまでも無く、樺美智子さんの50周忌である。仏教では50周忌で「忘れよう」ということになっているが、私たちは「忘れず」、記憶を新たにし、この記念日に彼女の出身校である東大の安田講堂で、このシンポジウムを開こうと、思い入れを持ってこのシンポジウムを企画した。
 これら、上野の発言とリードで会は始まった。
 
 そして、映画“ANPO”の製作・監督にあたったリンダ・ホーグランドは、この夏公開されるこの映画を、6月15日に、安田講堂で「封切り」をしたかったというやはり思い入れがあったそうだ。彼女の発言に続けて、映画“ANPO”のダイジェスト上映がある。
 日本で育った彼女は黒澤明や宮崎駿の英語字幕を作る仕事をしていたそうだ。数々の日本映画の名作に接する中で、日本には60年安保闘争という「トラウマ」があるようだと気がついた。濱谷浩の写真集、中村宏の絵画作品などに触れ、60年安保闘争にあった日本人の希望、明るさ、そして敗北後の怒りや悲しみ、そうしたものに打たれ、また現在まで続く日米関係の基本がこの時築かれたことを思い、この映画を作ったと語った。
 映画は、主に安保闘争に参加したアーティストたちへのインタビュー、当時のフィルムを混ぜ、現在の基地の街も訪ねたりしてドキュメント風に仕上がっている。中村宏、朝倉摂、加藤登紀子ほか色々な写真家、映像作家などが出てくる。それぞれがそれぞれの思いで現在の、あるいは過去の「安保」について語る。本編も見たいと思った。

 映画のあと、「60年安保闘争の真実」を書いた人、これが私の「ネタ本」です、という上野の紹介で保阪正康の発言。60年安保闘争時20歳。初めて聴いたが、「ブントのシンパだった」そうだ。「日帝自立論」について散々議論した末のことだったというからリアリティがある。共産党は対米従属論だったはずだから。6.15当日は京都では普通3,000~6,000人のデモが、女子大生や高校生まで含めて4万人集まっていたそうだ。普段は学生デモに批判的なタクシー運転手たちまでが応援してくれていたのを良く覚えているそうだ。時々は東京のデモにも動員されて参加していたそうだ。そんなときは、東京では国家権力が目の前にある気がして、東京までの電車(新幹線は無いから朝から夜までだ)の間中なかなか興奮したそうだ。どうも関西の新左翼が過激化するのはこの辺に理由があるのではないかという。全国的な大きな運動の盛り上がりと幅広い支持、この理由はよく語られることだが、彼もまた、太平洋戦争の戦犯(当時の商工大臣で開戦の閣議決定に署名している)岸が暴力的な議会運営をし、再び日本を戦争への道に引きずりこんでいくことへの強い反感が全国民的にあったと指摘した。安保条約そのものについては知らない人が多かったそうだが、ただ吉田茂の時代の(改定前の)安保条約は日満条約と酷似していてこれは屈辱的だと彼自身は思っていたそうだ。いずれにせよ、戦後民主主義(アメリカンデモクラシー)の教育を受け始め、先の戦争への嫌悪感を持っていた自分たちに、岸は恐ろしく「不潔感」があったという。

 続けて、完全に「レイト・カマー」(上野の言)である小熊英二の発言。彼は「〈民主〉と〈愛国〉」で敗戦から安保闘争時の日本人の姿を描いている。彼もまた「戦争を繰り返さない」あるいは「民主主義を守る」というテーマで60年安保闘争が盛り上がった前提で、何故それが(その理由だけで?)あれほどの動員になったのか、国民的広がりをもったのかについて分析して発言した。
 とにかく敗戦からまだ15年しか経っていないこと、これは現在から考えれば1995年、オウム真理教事件、阪神大震災の年に当たるのだが、今の20代の学生に聴いてみると、20代初めだとほとんど覚えていない、かろうじて「知っている」ことになるそうで、つまり、60年に戦争(第2次大戦)というのは記憶と記録(歴史)のぎりぎりのところだったことになる。で、その戦争が何故嫌なのか。いうまでもなく第一に死と恐怖である。沖縄で4人に1人、(本島では3人に1人)内地では人口の4%、25人に1人が亡くなっている。家族、親戚、知人の誰かが確実に死んでいるのだ。そして1,500万人が家を失っている。5人に1人だ。さらに敗戦翌年1946年には物価が16倍になっている。これは資産・所得が16分の1になったのと同じ意味である。第二にこれらを含めた不幸が実は平等には降りかかってこないということに人々は気がついていたこと。軍隊で階級が下の人間ほど多く死ぬように、軍隊化した大衆も下級ほど被害が大きかったのだ。例えば小熊は「疎開」の例を挙げたが、疎開先での物資の分け方も教師を筆頭に、班長から下部へという風に、あるいは「おべっかを使う奴」を優先にされたという。こうした大衆のなかで「いじめ」もあれば、物資不足のなか「盗み」もある。「お嬢さん学校」といわれた私立女子高で弁当の盗難まであったそうだ。密告も多かった。ちょっとでも子供の出征に反撥のような態度があっただけで密告されたという。「敗戦」が「終戦」と言い換えられたことのなかには、こうした暗い、嫌な時代が終り開放感があったことも示していた。
 この、やっと嫌な時代から解放されたところに、保守勢力が復権し、あの戦争を主導した高級官僚であった岸が戻ってきた。そして5月19日強行採決というかたちで「民主主義」を踏み潰した。また暗い時代へ、嫌な時代に日本を引き戻そうとしているのだ。これに対する反撥、怒りが共通の国民感情だったろう。安保闘争時、百貨店のOLが集まって疎開の時代の思い出を話し合い、「もうあんな時代は嫌だよね」だけで意思一致してデモに出かけたという。「共通の記憶」である。
 
 そして、この「安保」は当然現在の我々を規定している。国民的に昂揚した安保闘争の結果として、本土の米軍基地は4分の1になったが、一方沖縄の基地は2倍に増えている。「安保の棘」として沖縄に象徴されている現実の日米関係から目を背けることは許されることではない。
 ちなみに小熊はそのあとの発言でも沖縄の米軍基地に触れる。

 さて、次の段階では上野の質問に3人が答える。短い時間だが、リンダ・ホークランドは「何故、アーティストに集中したのか」の質問に対して「それが私の原点だから」と答え、「今後も国家が誤っている時はアメリカだろうと日本だろうと個人が団結してそれを正す闘いをする」と言って拍手を受けた。保阪正康は「何故、(著書のインタビュー中存命だった)岸を含む政府側の人間にインタビューをとらなかったのか」という問いに、さすがに岸は嫌だったしたぶん本当のことは云わないだろうと思った、と答え、さらに3人の政府側の人間へのインタビューについて語った。当時自治大臣だった後藤田正晴は安保闘争に接して「これは大変なことになる、この学生たちに就職先を用意しなければ」と思ったそうだ。伊藤昌哉は「このエネルギーを経済へむけなければ」と下村治とともに語り合っていたそうだ。保阪氏はどうも日本の支配階級は磐石だと、余裕があると思ったと語った。小熊英二は突然「1968」で当事者インタビューを採らなかったことに触れられ、他の著書でもとっていないのに、どうも団塊の世代は妙なことに拘りますといって、ただ当事者インタビューというのはどうしても「いいこと」しか云わない、「嫌なこと」については大事でも云わないことが多い、例えば、戦争で仲間が死んだとは云っても、仲間を捨てて逃げたとはなかなか語られないという、当事者インタビューの限界について語り、上野をかわしていた。

 最後に、ゲストの加藤登紀子が登場、60年安保時、高校生だった彼女は国会突入こそしなかったもののデモに行き、帰ってから樺さんがなくなったのをニュースで知ったという。
 「お登紀さん」のは話というよりはかなりノーテンキなアジテーションに近く、「時間制限なんてまったくもう、ちょっと前にはここは学生が占拠してたのよ・・・」「60年安保や68年の闘いを失敗とか敗北とか言われたけれど、私たちは負けていない、歴史に勝ち負けなんか無い、まだまだ闘う・・・」と色々語った。まあなかなか良かった。
彼女による樺さんの詩「ブリュメール」の一節の朗読、そして彼女の号令で全員による樺さんへの長い黙祷。


 こうして8:30ぴったりに会は終了。上野「本日私たちは8時30分まで安田講堂を占拠いたしました。(笑)」


 
 僕は自分なりに今年の6.15に意味を見出している。会で語られたように、普天間問題で鳩山が迷走し、(上野は「パンドラの箱を開けた」と表現した。)菅は「日米合意に基いて」と語り、沖縄問題という「安保の棘」はそのままだ。
 このシンポジウムのような安保闘争総括を、あるいはここで語られたような内容を、例えばすが秀実ならば「リベラル・デモクラシー」と呼び、「市民主義」と批判するだろう。それは68年当時散々と批判され、乗り越えられたのではなかったかと。上野や鶴見俊輔はそう批判されてきた。正直言って、昔の僕なら、やはりそうした視点でこのような会自体ネガティヴに捉えただろう。
 だが、先日長崎浩の発言を引いたが、また参加した人間の多くが今も語っているように、何と言っても60年安保闘争は「戦後民主主義」の運動として闘われ、その最左翼としてブントが学生指導部として存在したのである。まさに始まったばかりの「市民主義」、リベラル・デモクラシーそのものである。だからこそ「革命」であり、時の政権を倒したのである。これは当時のブント同盟員がイデオロギー的に「戦後民主主義」でなく「共産主義」や「革命」を信じて闘っていたとしてもである。また、「市民主義」という批判は、それでも68年当時のように新左翼運動が健在だったときには、そちらの方に期待が持てたわけだからまだまだ説得力があった。だが結局、その対置された新左翼運動が「自分の党派以外は敵」という論理に染まって自滅していったあとになっては、批判されていた「市民主義」、リベラル・デモクラシーのほうに歩があったことにならざるを得ない。

 冒頭に書いたが「声なき声の会」は予定通り、南通用門での献花を行った。それに先立つ集会ではその「市民主義者」鶴見俊輔のメッセージが読み上げられたそうである。

 このシンポジウムも、「声なき声の会」の集会も見ようによっては空しく無意味に見えることだろう。だが、「安保の棘」沖縄の怒りがいっそう高まっている現在の、この日、6.15記念日に、東京ではここにしか、このような形でしか「安保闘争」が存在していないようであった。いつかも書いたが、口先だけ「左から」他人を批判するのは簡単である。だが国家との闘いはいつも困難である。








菅新内閣誕生

2010. . 10
 とうとう鳩山が辞任した。一国のリーダーとしてそもそも無理があったと思うのは何度も書いてきた通りだ。で、民主党代表選があり、菅が代表になった。対立候補に、僕は知らなかったが樽床という、声もイントネーションも何だか気持ちの悪い男が登場した。こちらに129票入ったということが恐ろしい。小沢たちの根回しがあったようだが、日本の総理になる代表を選ぶのにである。何を考えているのだろう。
 まあ、とにかく菅が代表になり首相になった。もともと権力志向の強い男である。待ちに待った座であろう。僕たちにしてみれば、それでも鳩山より、まして麻生よりはましというところだろう。
 麻生と安倍は新政権を「本格的な左翼政権」と云った。もともとの自民党保守というより、昔の赤尾敏・愛国党などに近い無知な右翼イデオロギーの彼らからみれば、菅ですら「左」に見えるのだと苦笑してしまう。2人とも、偏差値の低い私立大に下から行っている。これは偶然ではない。僕も私立大にいたのでよくわかるのだが、下から、つまり付属高からの大学進学者というのは、本来育ちもよく、偏った受験などを経ていない分、のびのびした、本質的にすごく優秀なひとも多いものだが、反面、一部極端に幼稚な反共イデオロギーに染まる人間がいる。彼らは世界や社会について「考える」こと、あるいは「理屈っぽい」ことそれ自体を生理的に忌み嫌う。「アカだ」という。基本的に反知性主義なのである。こういう人たちに政治をやってもらっては困るのだが、そして以前はそういうことは無かったのだが、安部も麻生も代替わりしていくうちに、恵まれた環境に居ながら祖父や父の行った大学にも行けなかったのに、総理にまでかつがれてしまった。自民党内でも野中などが云ったように、「日本の悲劇」であった。とにかく早く政治の世界から身を引いてほしいものだ。
 
 今回政権発足にあたって、良かったのはとにかくしっかり小沢を切ったことだ。僕は2月のこのブログでも、その前にも、とにかく民主党は小沢を早く切るべきだと書いてきた。そうすれば「見直される」と。実際、支持率はV字回復しているそうだ。昨年の政権交代は民主党の中でいわれていたような小沢の手柄でもなんでもない。麻生自民党に国民が愛想を尽かしたのだ。
 そして、鳩山が本人のラストメッセージで語ったように、「政治とカネ」、「普天間基地移転」の問題で迷走を重ね、鳩山、小沢の2人の辞任しか道がなくなったというわけだ。
 だが、まだまだどうも変だ。小沢は辞任しただけではすまない。政治家として国会での証人喚問などもう必要なくなったというわけにはいくまい。菅や枝野も小沢をかばうわけにもいくまい。確かにもう政治力はなくなるだろう。何しろこの7月には再び「起訴相当」の宣告がなされるかもしれないのだ。そうなれば強制起訴である。「小沢神話」の崩壊である。菅は徹底的に小沢を追及しなければ自民党に足元をすくわれるだろう。
 こちらのほうはそれでも新政権の「良かった」ほうだ。
 だが、鳩山辞任のもうひとつの契機となった沖縄問題のほうはそうはいかない。
 菅は、「日米合意に基いて」と発言し、「沖縄の負担軽減を」と、とってつけたように付け加えた。こんなことで沖縄の人々が「説得」されるはずが無い。本当に、鳩山は辞任するのなら何故あのような自民党時代の案そのものの「日米合意」を結んでしまったのだろう。これも以前書いたが、何の交渉もした形跡が無いのだ。「辺野古以外に選択肢が無い」などというのは、自民党でそれを進めた連中の言い分であり、当時の,つまり自民党・辺野古沖案で交渉を担当した外務省の役人たちが鳩山のもとで今更他の選択肢を検討することなどありえなかった。アメリカ側は充分「聴く耳」は持っていたはずなのにだ。これも、さかしらげに「(辺野古以外であれば)対米関係が悪くなる」などと云う人間がいるが、そんなものは日米の「ネオコン」の一部に過ぎない。彼らは自分たちの利害が脅かされるのをおそれているだけだ。この種の人々のいうことはいつも同じだ。曰く、「イラク戦争に汗をかかなければ、対米関係が悪くなる」「インド洋の給油をやめたら、対米関係は決定的に悪くなる」。政権交代して、海上自衛隊のインド洋での給油は止めたわけだが、それで対米関係が決定的に悪くなっただろうか。この沖縄の基地の話も同じことである。アメリカ政府は、基地の移転にさいして何度も「地元を説得できるのか」聞いている。基地が住民の悪意に包囲されるのを望まないからである。とにかくこれだけの反対を踏み潰して「辺野古移転」を強行しようとすれば、何が起こるかわからないだろう。かつての三里塚闘争のように、双方に死者が出る事態になっても不思議は無いと僕は思う。アメリカ人も日本人もそんなことは望まないはずだ。
 菅氏は昔「石垣島空港建設反対」運動に参加したそうである。「海の汚染」に怒りを感じたからだそうであるが、辺野古沖は汚染されてもかまわないのだろうか。
 
 菅新政権はすぐにこの沖縄問題に取り組むべきである。アメリカと交渉し「合意」を見直すのだ。首相が変わった今しかチャンスはない。

 内政については、先日の長谷川氏の本ではないが、どうも菅政権もまた、財務省の意のままのようである。「脱官僚」の道は遠のいてしまったようだ。本当は消費税増税など言い出す前にやらねばならないことは沢山あるのに。
 こちらについてはまた書くつもりだ。

 だが、前回の鳩山政権誕生の時と同じく、ただ「どうせだめだ」とか、「だって」とか「でも」とか駄目OLの繰り言のようなことを言っていても始まらないからとりあえず応援しようか。






江刺昭子「樺美智子 聖少女伝説」

2010. . 02
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 「最後に」

誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と

でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ

ただ許されるものなら
最後に
人知れず ほほえみたいものだ

 
 今月、もうすぐ50年目の6.15を迎える。およそ日本で反戦運動や新左翼運動に関わった人間で、樺美智子さんの名を知らない人間はいないだろう。またその名を知るほとんどの人は、彼女の遺稿集「人しれず微笑まん」を読んだであろう。そしてお母さん、樺光子さんのあいさつをどこかの集会で聞いているだろう。僕もその一人である。
 
 著者がこの本のはじめから語っているように、その後、運動の中で命を落とした人は多い。だが彼女ほど「神話化」された人もいない。まさに「聖少女伝説」である。一昨年12月、僕は安保ブンド結成50周年記念集会に参加したが、その時ブログに記したとおり、演壇向かって左に11.27に国会構内に入った紫紺の全学連旗、中央に共産主義者同盟の赤旗、そしてその上に島成郎、唐牛健太郎とともに、樺美智子さんの遺影がきっちりと飾られていたものだ。
 
 著者が好意的に書いている通り、「神話化」されたということのなかには多くの誤解もある。そもそも、22歳6ヶ月の彼女は「少女」ではない。そして折に触れ、お母さんの光子さんが謙虚に語ったような「平凡な」娘でもない。当時の時代を考えれば、女子が大学へ、それも東大へ入っているというだけでも「非凡」な女性である。両親も豊かでインテリである。そして、早くから「反戦平和」と「民主主義」を志向し、20歳の誕生日に共産党に入党し、その後、駒場時代に仲間とともにブント(共産主義者同盟)に結成時から参加し、本郷でも細胞の中心的人物として公安にもマークされ、1.16羽田闘争で逮捕され、釈放されてすぐ戦列に復帰するのだから、もちろん「普通の女子学生」でもなく、はっきりした政治意思を持ったブントの幹部活動家だったといえるだろう。
 それでも、彼女がこれほど「純粋な少女」として「神話化」されるのは、彼女の遺稿集の文章や、実際に彼女に触れた人々の回想に示されるように、その豊かな知性、論理的な思考力、そして何より運動へのひたむきな情熱が、やはり人を感動させるからだろう。

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 僕の高校時代、社研の部室では、三一新書の「人しれず微笑まん」は、いくつもの傍線が引かれ、何人にも学年を継いで廻し読みされていた。上の学年にはこの一冊で活動家になったものもいたという。

 著者は本当に丁寧に、好意的に、彼女を知る人や関係者へのインタビューをとり、当時の時代背景も描写し、樺さんの実像と60年安保闘争の実態を浮かび上がらせる。
 特に後半しっかりと描かれているのは、彼女が「神話化」されてゆくのが、結局彼女が政治的プロパガンダに利用されてゆくのと重なっていったところである。彼女を含めた全学連の行動をさんざん罵倒しておきながら、「国民葬」を組織した国民会議、そしてまたその葬儀やそれに続く様々な機会に、気恥ずかしくなるような弔いの詩や歌を捧げたり発表したりした「進歩的」知識人たち。こうした欺瞞に満ちた構図は後々まで続く。想像するに、樺さんもご家族も随分と迷惑だったことだろう。
 そして、当時のブントもまた、良くも悪くもそうした戦後左翼の最左派として闘い敗れていったことになる。
 
 ただ、いずれにせよ、僕も何度か書いてきたが、60年安保ブントに及ぶだけの運動を、その後の新左翼も創り上げることは出来なかった。先の50周年記念集会で、この本にも登場する長崎浩は「60年安保闘争は革命であった」と言い切った。よく言われることだが、1次ブントと2次ブントとでは、指導者、活動家の質・量ともに大変な差があるようだ。僕もまた「神話」に浸リ過ぎているのだろうか。樺さんのような活動家ももう現れることは無かったしこれからも無いと思う。



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