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長谷川幸洋「官邸敗北」

2010. . 30
 前著「日本国の正体」に続く本である。鳩山政権が「政治主導」をかかげながら、官邸が無内容で指導力をもたず、結局官僚の手の内にはまってゆく実態が描き出されている。タイムリーな著作であり、今回は特に面白く、すぐ読み終えた。前の書評でも書いた通り、著者は僕の友人である。努力家であり、なかなか「しつこい」男である。今回も、官僚にも政治家たちにも、キーマンたちにはしっかりとインタビューをとり、取材の裏もとっていて文章に厚味がある。
 経済を学んだ新聞社の論説委員でもあるからかもしれないが、「ドーナツ化」し、官僚に絡めとられて駄目になった民主党政権を描くのが、安っぽい政局論議や官僚叩きに終わっていない。

 僕が共感したポイントを書いておきたい。それはそのままこの本の全体にわたる著者のスタンスともいえる。互いに連関している3つのポイントがある。
 第一に、著者は官僚支配、乃至は政治家の官僚依存といった現状を徹底して批判する。民主主義の根本に関わる問題としてこれを捉え、本当の「政治主導」を主張し、「脱官僚」を目指す。第二に、安易な「増税」への批判である。わけ知り顔で、「日本が借金大国だから」とか、「社会保障費の増加に対応する必要がある」とか云って、最近消費税増税などを口にする輩が多いが、著者は違う。「まず天下りにはじまる官僚組織の無駄遣いを徹底的に省くことがなければ増税など国民は受け付けないだろう」とまともに言い切っている。そして第三に経済成長へのこだわり、政治家に「成長戦略」を求め続ける信念である。

 一については、これまでの著書でも基本は同じである。ただ今回は「脱官僚」を掲げた政党による政権交代という期待があっただけに、実際に現場を取材し、民主党の政治家たちが財務官僚などの思い通りになってゆくさまを見せ付けられ、著者は相当失望したようである。「脱官僚」のわかりやすいシンボルとして、唯一多くの支持を得た「事業仕分け」にしても、実際は財務省のイニシアティヴのもとに行われたことが明らかにされている。また、(政治主導で無く)民間の諮問機関が予算を「仕分け」することにも、民主主義の原則から著者は疑問を投げかけている。いずれにせよ、「脱官僚」への著者の思いは強い。
 二の増税はそれこそ財務官僚たちがすきあれば政治家をリードしてやりたいことのようである。天下り先を確保し、「役人天国」を造るためにはどこまでも税収が必要だからである。彼ら自身が「減税のために無駄を省く」ことなど生理としてありえないと著者は「しつこく」語っている。「政治主導」が必要な所以である。現在、民主党のかなりの人間たちまでが「消費税増税」について主張し始めた。いい加減なものである。「子供手当てを出す。」「4年間増税はしない。」と主張して、選挙に勝って政権に就いたら今度は増税を語るのである。「増税されるくらいなら子供手当てなど要らない」と思う国民がどれほど多いか。だいたい「事業仕分け」などまだまだほんの手をつけたばかりではないか。独法も天下りも、税金の無駄遣いはまだまだ計り知れない。彼らの増税論議は、自分たちが「政治主導」に失敗し官僚に依存せざるを得なくなったつけを国民に廻そうとしているだけだ。

 そして第三だが、著者は、民主党の予算編成のはじめから「成長戦略」についての疑問をぶつけている。また、経済成長の無いところに国民の幸福はないと断言している。「分け合うパイ自体を大きくしなければ、格差の解消も出来ない」からである。
 そもそも昔から、「お金では幸福になれない」などというのは、金持ちの言い分である。貧しさに苦労したことのある人は、お金が無くては幸福になどなれないと考えているはずだ。
 「経済成長だけが国民を幸福にするのか?」などと世迷言をいう馬鹿がいる。「国民の幸福度1位の国はブータン」といった奴もいた。そういうアンケート結果があるそうだ。だが、先日僕はTVドキュメントで観たが、ブータンでは子供たちに「今の暮らし」が「幸福」なのだと教え込んでいた。貧しい暮らしを強いられている国民に、それでも現状が「幸福」なのだと言い聞かせ、「幸福」という言葉の意味をそう教えていたのだ。そんな「アンケート」に何の意味があるのだろう。
 実は僕自身は、幸福の要諦は「足るを知る」ことだと思っている。だが、そういうことは人に対して言うことではない。政治家やオピニオンリーダーが、特に国家のリーダーが国民に対してそう云ったら、それはファシズムかスターリニズムである。「貧しくても幸福」などというイデオロギーの押し付けは、個人の私生活上の価値観にまで国家が入り込んで管理しようということだからだ。
 著者の言うとおり、政治に経済成長戦略は不可欠なのである。

 昔、田中派のなかで、田中角栄が「自分は1億国民が美味しい食事が出来、幸福な生活ができるように政治をやる、これが政治の要諦だ」と語り、子分の鳩山に「君にとって政治の要諦は何か?」と尋ねた。
 鳩山は「愛です。」と答えたそうである。馬鹿につける薬は無い。およそ政治に精神論を持ち出すのは無内容な人間と決まっている。
 


 以上、いささか我田引水になったが僕なりに著者のスタンスを整理してみた。
 友人である著者の本は、僕は必ず読んできたが、今回は最も面白く読めた。
 
 今日、普天間基地移設問題でその指導力の無さを全世界に見せつけ、支持率も地に落ちた鳩山は、なんと自分自身が語っていた主張(沖縄県内移設NO)を続けている社民党党首を罷免し、連立政権瓦解の道筋をつけてしまった。「史上最悪の政党」の化けの皮がどんどん剥がれてゆく。(先の経済成長にしても「雇用なき景気回復」が示すとおり、民主党の経済成長戦略は、もともと骨組みが無いので場当たり的になり、結局自民党時代と変わらない特定の財界の利益を目指すだけのものとなった。儲かる企業が全体を引っ張ればよいという発想である。彼らが言っていた「国民の生活」は一顧だにされない。)

 実に、タイムリーな良い読書であった。









 
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ギリシャの闘い

2010. . 07
 パパンドレウは何とかドイツ、フランスをはじめEU各国の支援を引き出した。ユーロそのものの危機に対するそれは回答を迫るものであった。自らは当初反対していたIMFの介入もやむをえないものとして、こちらの支援も引き出した。前政権の尻拭いを、あるいはゴルドマン・サックスと前政権がタッグを組んで国家を相手にぼろ儲けをした、そのつけを廻されたのだ。
 だが、その支援の代償としての「緊縮案」はとてつもないものだ。年金の支払い年齢引き上げ、賃金のカットはもとより、付加価値税のアップ、つまりは実質可処分所得のダウンまで、もとより財政赤字に何の責任も無い国民に強いるものであった。議会にかけられた財政緊縮法案に「反対」してみせた前政権・現野党にはパパンドレウとしては怒りが収まらないであろう。
 そして、何より、前政権と「強欲」な一部投機筋にぼろ儲けされただけで、財政赤字に責任が無いのに、「負担」だけを押し付けられる国民の怒りはあまりにも当然である。
 
 日本のマスコミはどうも、やたらに「経済危機」とその連鎖に比重を置いて報道し、ストやデモに起ち上がった労働者を、債務を負った国の労働者の我儘であるかのように言ったり、酷いのになると公務員労働者のストライキを日本の「役人叩き」と同じように非難したりするが、とんでもない話である。確かに労働人口に占める公務員の割合は多いようだが、特権に胡坐をかいている「官僚」など一部に過ぎない。ギリシャ労働者の平均賃金は日本円にして20万に満たない。10万円に満たない「700ユーロ世代」と呼ばれる若者も、またそれにも届かない職の不安定な若者も数多い。特権的官僚やよく言われる脱税している高所得者などごくわずかである。今回の「負担」はすべての労働者に課せられる。不安定な低い収入に絶えている労働者や貧しい高齢者の年金をさらに減額され、増税までされようというのだ。また何度でも云うが前政権と投機筋のぼろ儲けによってもたらされたこの財政赤字なるものに彼らに何の責任も無い。
  

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 何回かこのブログで書いたが、ギリシャの労働者は抵抗のストライキとデモに打って出た。今回は特に激しい暴動を伴うものとなった。2年前、15歳の少年が警官に射殺され、怒りの輪が拡がって暴動になったが、今回は、デモ隊からの火炎瓶による銀行員3名の焼死という犠牲者を出してしまった。もちろん指導部は主体的に反省するべきであろう。今回のように部隊に紛れ込んで、同胞の静止を振り切って人の居る銀行に火炎瓶を投げ込んだような人間、ただ破壊活動に専念するような人々はこうした運動に必ず登場するものだ。ストやデモがその影響力を強固にするためには、このようなアナーキーなものたちをコントロールしなければいけない。反権力の闘いは、殺人という犯罪と治安の問題に矮小化されるべきではない。
 今回、銀行で働く労働者たちは、死者が出たのはこの混乱を招いた、つまり「緊縮財政」で負担を国民に強いる政府の責任であるとして、さらに24時間の独自のストライキを構えた。いかにこれらの抵抗が広く支持されているかよくわかる。
 また、「これは殺人である」として犯人の摘発を指示したパパンドレウも、「すべての国民は、デモをする権利、ストを打つ権利がある。」と明言している。日本のあるTVではこの政府を「弱い」と云い、「だから各国に連鎖して株安を招いている」と云っていた。何という低劣な論評だろう。パパンドレウは「弱い」のではない。逆である。前政権の責任であるのに、逃げずに、EU諸国と交渉し、支援を引き出し、同時に強いられた「条件」の中で、自分の支持基盤である労働者たちの抵抗にあいつつ、それもまた当然の闘いと認識し、まさに「板ばさみ」になりながら、凛々しく国家のリーダーとして彼もまた闘っているのだ。

 今回、続いているギリシャ労働者の闘いは、単なる「不満の爆発」などではない。強欲な投機筋に荒らされた「マネー資本主義」に対する「もう一つの世界」へ、「新しい社会」への展望を切り開く闘いである。彼らのある部分はパルテノン神殿を封鎖・占拠しアクロポリスの丘に横断幕を掲げた。「ヨーロッパの人々よ、起ち上がれ(RISE UP)」。 世界の働く階級の団結と闘いだけが、資本主義に変わる新しい未来を切り開く。
 こうしたことが単なる「きれいごと」でないことを、ギリシャの闘いは明らかにしている。ニヒリズムに陥ってはいけないのだ。 


  

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リーダーの資質、再び

2010. . 06
 いやはや、まったく、情けなくて眼を背けたくなるニュースであった。いうまでもないが、鳩山沖縄訪問のニュースである。そしてまたその発言のなんという無残さ。いわく「・・・(認識が)浅かったといわれれば、そうかもしれない。」いわく「勉強するにつれ、海兵隊の抑止力が・・・」、つまり、以前は勉強不足だった、勉強したらやっぱり沖縄に基地の負担を押し付けざるを得ないというのだ。これでは沖縄の人々の怒りが高まるのは当たり前である。
 
 以前僕は同じタイトルでギリシャのパパンドレウについて、そのリーダーとしての資質について書いたことがある。5日の、第三派のストライキ、死者まで出た暴動騒ぎになって、いよいよ大変なところへ来ていると思うが、これについてはまた書く。ドイツとフランスにユーロの安定を迫り、そしてもともと反対していたIMFの支援を引き出し、オバマにも会い、ギリシャ危機の端緒となったギャンブル資本主義、強欲な金融に対する規制の道を開く、あらゆる努力をした上で、国内の労働者たち(彼の支持基盤だったのだ)と話し合うという最低必要なことを、少なくとも彼はやろうとしていた。
 鳩山はまったく正反対だ。アメリカと真剣に向き合って交渉した形跡がみられない。逆に、4月にオバマに地元を説得できるのかどうかと訊かれて、答えられなかったばかりか、随行した誰もがわけがわからなかったようだ。アメリカは日本の、鳩山の決断を待ったのにだ。そちらの回答をあいまいにしたまま、見当違いに、「5月末までに決める」などと自分の決定期限のほうを切ってしまった。今になって、アメリカ側はこの期限をさらに延期しようと言っている。
 僕はこれも何度か書いてきたが、国家はまず他の国家に対して国家である。一度日米間で合意された案を政権交代したから覆そうというのなら、まず相手国とよほど突っ込んだ交渉があってしかるべきである。そして、自らも「政権交代」したオバマには少なくとも当初は「聞く耳」はあった。ここは旧自・公政権の人間たちが言っていたように「現行案以外にない」などというわけでは決してなかったのである。
 にもかかわらず鳩山は、自らはほとんど何もせず、色々とスタンスの違う人間の、それも旧政権の立場からの発言を聞いて「勉強」し、ますますわけがわからなくなってしまった。(本来政権党の幹事長として何らかの方針を提示すべき小沢も、もともと案などあるはずも無く、また口を出したら損とばかりに知らぬ顔を決め込んでいる。)「県外」にこだわって出した徳之島案などはなんと夫人がはまっている占い師のアドヴァイスによるという。挙句の果てに、アメリカとの交渉など出来ないものと決め付けて、逆に沖縄の人々を無理やり「説得」しようとしたのである。どんなに本人が「誠実」なつもりであっても、いかに「お詫び」しようとも、「(国外か最低でも県外と) 自分が言ったことは『公約』ではない・・・」とか、云うに至ってはもう人々の怒りに、「火に油を注ぐ」のみであろう。
 
 もとより、米軍基地の存在などどこであっても、社民党の主張するグアム島であっても、望まれているわけではない。皆あってほしくはないのだ。まして、基地の70%を押し付けられている沖縄の人々にとって、基地撤去は悲願である。鳩山が突然頓珍漢に言い出したような「環境問題」を云々しているわけではないのだ。
 「抑止力としてどうしても必要だ」などと二言目には口にする人に僕は云いたい。本土にどうして分担できないのか、あるいは、地理的に沖縄でなければならないというなら、一度基地と一緒に自分も沖縄に暮らしてみればどうだ、と。この段階で、はしゃいで鳩山批判を言い募る自民党の面々もおかしなものである。彼らの「案」は辺野古に押し付けることだけでしかなく、それも十数年間実行できなかったのだ。どう考えても彼らに鳩山を批判する資格など無い。
 
 もともと、危険な普天間基地を移設するという話になったのには、9.11テロ後の米軍世界戦略、部隊配置の変換があったはずである。どこに移設するにせよ、それこそ最低限、いつ基地そのものを撤去するのか、まずそちらの期限が明らかにされるべきだろう。「基地撤去が永久に無理」などという事はありえない。アメリカはこれまでにも東南アジアの基地をいくつも撤去している。「抑止力」がどうこうというのはむしろ日本の特定のイデオロギーや利権に漬かった人々の議論である。何年までに、というのが無理であれば、北朝鮮や中国の動向、あるいはタリバンの壊滅など、何らかの目標が示されるべきである。最低限そのくらいはなければ、闇雲に「基地の負担をお願い」されても、沖縄の人々の怒りは高まるばかりだろう。「今すぐ基地撤去を」というのが当然の声だからだ。


 何から何まで滅茶苦茶でおかしなことばかり、これが安倍や麻生よりはましとして選ばれた恥知らずな首相の今日の姿である。以前書いた「鳩害」である。
 鳩山・弟は先日自民党を飛び出して、何と「坂本龍馬」を気取り、全国に数多いる龍馬ファンの怒りや失笑を買ったが、本当にこの兄弟、あるいはこの一族が資金を与えられ、政治の世界に入ってきてしまったことは日本の悲劇であった。まさに「玩具を与えられた子供のように」政治をもてあそんだこの兄弟の罪は大きい。何でも鳩山・兄のここのところの目標は、最低限、安倍政権より長く持ちこたえることであるらしい。ずいぶんと低いハードルだと思うが、それにしても、ともに大きな祖父の存在があり、母親から資金を含む多大な援助を得て政治をやっていて、つい共通のものを見い出しているのだろう。
 
 本当は、リーダーの資質のかけらも無い、こんな連中をリーダーとしているのは、送り出している我々の恥である。

 




 
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