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2009年、年末に

2009. . 25

 何度も書いてきたが、この年末に来てまたまた書かねばならない。いよいよ小沢の傲岸ぶりが際立ってきたのだ。

 鳩山などまるで昔の海部のように小沢の傀儡でしかないことが全国民の前に明らかになってしまった。

 「チルドレン」を引き連れての訪中、そしてお得意の「写真を撮る」というのを、全員にやらせた。選挙で使うつもりなのだろう。「政策よりも写真」、この男がいつもやってきたことだ。まあ、それに乗せられる選挙民がいるという事だが。そしてバーターに使われたのが、批判をあびた天皇の習副主席との会見のセット。政治利用との批判に対し、天皇の国事行為(あとで訂正したが、公的行為でも同じとした)は、内閣の助言と承認による、と開き直った。つまり、政治家が一番エライのだと言いたいらしい。「国民の負託を受けた」国会議員、多数党によって組織された内閣が最高権力を持つのが民主主義、というわけだ。田中角栄ゆずりの哲学、「数は力」だ。多数党・政権与党の中の多数派を握ってしまえば権力を意のままに出来ると考えているのだ。与党の幹事長が「国民の代表」であり、つまり一番エライのだ。先日彼は「党が(陳情を)まとめた要求が全国民の意思」とまで、言い切った。馬鹿の鳩山は「国民の思いとしてこれを聴く、感謝している」と答えた。馬鹿につける薬は無いとはよく言ったものだ。

 まったく冗談ではない。たとえば東京都民である僕のような人間には、小沢が国民の代表だなどとは絶対に思えない。国民投票でもあったわけではあるまいし、田舎の小選挙区で、それこそ金権選挙で送り出されてきた1政治家にすぎない。小沢たちが必死で作り出した現在の選挙制度では、当然ながら「全国民の負託」など考えられないのだ。いわばやむなく登場させているだけだ。だから政治家たちには、たとえ多数を握って与党になっても謙虚さが要求されると思うのだが、何を勘違いしているのか、傲岸になるばかりだ。「民主主義」とは小沢のような人間がのさばることではないはずだ。

 

 そんな小沢に頭のあがらない鳩山は、当然ながら「決断力が無い」「自分で何も決められない」とされ、支持率が急落している。そこへ来て、今度の不正献金問題である。母親からの巨額の金の話を「秘書の責任」にして、自分はセーフと思っているとしたら、本当にとんでもない男である。以前僕は「鳩害」といったが、まったく、この一族には政治に関わってほしくないものだ。

 

 

 鳩山も小沢も、他の民主党の連中も、彼らがやると宣言した政策の「財源が無い」などと今更言っている。それこそ自民党の思う壺である。彼らははじめから財源を指摘したではないか。無駄遣いをやめれば財源は出てくるはずではなかったのか。答えは簡単。「無駄遣い」の減らし方がまだまだ足りないのだ。切り込みが、先日このブログに書いたように「政治ショー」に終わってしまった。さらに、それまで「反対にあって」見直されている始末である。これでは確かに金は出てこないだろう。

 

 それとともに、僕が今不思議に思うのは、何故彼らが、現在経済危機を経て、各国でこれだけ取りざたされている「金融取引課税」を本気で考えないかである。財源としてこれほど確実に見込めるものはそうはないのにである。彼らもまた、金融取引の金でがんじがらめになっているのだろうか。そうであれば少なくとも「不思議」ではないが、そういうものたちは倒さねばならない。 

 

 「金融取引課税」は別段変わったことではない。10年ほど前、危機意識を持ったアメリカ議会で真剣に議論された。あの時決まっていれば、サブプライムローンの証券化、その破綻によるこのたびの経済危機など無かっただろう。当時これをつぶしたのはもちろん金融業界の意を受けた財務官僚、政治家たちである。何のことは無い。彼らは自分たちの利益が損なわれることを恐れたのだ。そして、「そんなことをしたら、金融センターがロンドンに移ってしまう。」「投資家が海外に逃げてしまう。」などと言い募ってこの法案をつぶしたのだ。

 日本でもよく聴くせりふである。ちょっとでも大企業に課税しようという提案がされると、「そんなことをすれば、企業が海外に移ってしまう。」と竹中たちはすぐに言う。

 

 だが、リーマンショックまで経験した現在に至って、この「金融取引課税」はフランスはもちろん、EU全体で、あの英国でさえブラウンが提案しているのだ。アメリカではオバマ・民主党は今回は本気でこれを通そうとしている。反対派は医療保険制度改正についてもそうであったが、オバマに「コミュニスト」のレッテルまで貼ってこれを阻止しようとしている。言っていることは以前と変わらない。「そんなことをすれば投資家が海外に逃げる・・・」。だが、今回は全世界的に同じ「金融取引課税」を進めようということだ。「逃げたい奴はどこへでも逃げればいい。合衆国、カナダ、英国、ヨーロッパ以外に・・・。」

 アメリカで民主党から出ている「金融取引課税」は実にシンプルだ。

 10万ドルを超える株取引に0,25%課税、先物、オプション、スワップ、CDS(クレディット・デフォルト・スワップ)を含むデリバティブ取引に0、02%の課税というものだ。「金で金を稼ぐ」事に対する、これは微々たる課税ではないか。この程度の課税に反対する政治家は業界から「金が廻っている」と非難されても仕方ないだろう。日本でこれが議論もされないのは、民主党の幹部たちにも業界から「金が廻っている」からなのか。働く人間の収入から直接とりあげるよりも、食品にまで課せられた消費税よりも、はるかに合理的で効率的で、しかも税収の見込めるシステムである。

 どうせ竹中ら反対派は言うだろう。「投資家が海外へ出て行ってしまう」と。行ってもらえばいい。ヨーロッパでもなく、アメリカでもなく、日本でもなく、どこか砂漠の中で、パソコンを眺めつつ、サプリメントで栄養をとり、つまり価値を生み出す労働とその果実たる良い衣類も、美味しい料理も、快適な住居も捨てて、金儲けにいそしんでもらえばよい。

 

 オバマは「ウォール街の強欲」を非難して言った。「彼らに8年分の税金を返してもらおう。」と、また、今回のリーマンショックのあと、国家予算、国民の税金によって救われたゴルドマン・サックスなどの金融機関が、またもや社員に巨額の報酬を出すのを非難している。

 だが、この年末、ウォール街はまたも冬のボーナスでホクホク、またしても、今度はオバマの「金融刺激策」で救われたのだ。充分な報酬が与えられず、あるいは失業して、サブプライムローンが焦げ付いて家を追い出された人々はキャンピングカーやテントで2度目の冬を越す。オバマは何としても、意地でも「金融取引課税」に動くだろう。

 

 日本の年末はどうだ。政権が変わって、このような構図は日本では見られなくなるのか。それとも、ほとんど前政権時と変わらないのか。少なくとも、今、僕には後者、「変わらない」ように見える。しかしニヒリズムに陥ったり、斜に構えてみている場合ではない。何としても、先進国共同のこうした新しい方向に新政権に乗っていってもらわねばならない。

 小沢がやっていることで、ひとつ僕が正しいと思って支持している事がある。倒した自民党が二度と立ち上がれないように、手を突っ込んで、かきまわして、その支持層を取り込んで、本当に解体しようとしていることである。

 自民党政治に戻ってしまったら、新しい方向性どころか、「強欲」な人々はさらに好き放題にやるだろう。

 それだけは許してはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「革命をプロデュースした日本人」 小坂文乃

2009. . 14

 痛快な読書であった。これは実に大変なドキュメントである。

 孫文と彼の革命運動、辛亥革命のスポンサー(プロデューサー)となり、孫文が日本にいる時は彼をかくまい、孫文と宋慶齢との結婚のときには私邸を結婚式会場にして要人を招待している、この梅屋庄吉という人物について、どれほどの人が、またどのくらいのことを知っているだろうか。

 本に出てくる当時の新聞で、「支那革命の黒幕」などと云われているので、一定の知名度はあったのかもしれないが、ほとんど知られていないだろう。

 

 とにかく、残念ながら知らなかった僕は、もともと好きな近・現代史にからむ内容であり、それこそ興奮しながら読み終えた。

 孫文も、彼の革命運動も、辛亥革命も、あるいは「宗家の3姉妹」も、僕はまあ通常の範囲で知っているつもりでいた。だが、これほど深く関わり、尽力した日本人がいたことを知らなかった。まさに「身を尽くして」中国の近代革命に、孫文との友情に、人生を賭けている。成功した事業の収益もほとんどそのために使い尽くしているようだ。大人物である。

 

 それにしても、明治・大正・昭和と時代が下るにつれ、政治家も、軍人も、財界人も、何故、こうもみんな駄目になってゆくのだろうか。

 後半に印象的な引用がある。

 1932年、庄吉が満州国でっちあげなどで悪化する日中関係を憂え、自らの人脈、孫文との交友や、蒋介石とのパイプなどを生かして、中国側との対話を提案したときの話、当時の編成動員課長、東条英機は、拳を差し出しながら、「満州はこれで取ったのですぞ。チャンコロのいうことなんぞきけないなあ」と冷笑したという。

 

 現在に至るまで、それこそ「グローバル化」し、世界がどんどんせまくなってゆくのに、この種の政治指導者はどんどん視野が狭くなってゆくのだ。この東条のような政治家が今でも沢山いる。こうして立派な先人の話を読んだりすると、情けない限りである。

 

 この本は、この梅屋庄吉の曾孫にあたる小坂文乃さんによって書かれている。彼女の祖母、つまり庄吉の娘、千世子の記憶、語り、そして残されていた沢山の資料が、この本の中軸になっている。写真館を営み、映画事業でサクセスしただけあって、画像も豊富である。これらがこの本を深く、豊かに、また読みやすくしている。

 これらを公開し、僕を含めた一般の読者に梅屋庄吉という人物を教えてくれた、著者の小坂文乃さん、関係者の方々に感謝である。

 この著者にしか書けなかった、素晴らしいノンフィクションである。

 

 

 

 

 

 

 

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