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JAL, 「事業仕分け」

2009. . 26

 ずっとヨーロッパに行っていて、日本のニュースから遠ざかっていた。EUの大統領が決まった話や、アンリのハンドの話とかは何度も眼にしていたのだが、日本に帰ってきて、ああこうなっていたのかと注目したのがJAL関連のニュースと行政刷新会議の「事業仕分け」という「政治ショー」である。

 

 JALはいよいよもう駄目なようだ。年金の減額をめぐってOBへの説明会が開かれたのをTVで観た。

 会場へ専用車で乗りつける社長を中心に経営陣が謝っている。国庫の助けを得なければもうやっていけないから、OBの年金を減額してくれというわけだ。

 ひどい話ではないか。OBというのは当たり前だがもう働いていない。かつて働き、企業年金を積み立てた人々である。それをいきなり半額にするという通知が届いたという。さすがにまずかったらしく、今回3割減という提案だそうである。

 OBというのは、もう働けないのだ。やり直しなど出来ないのだ。選択肢があるわけではない。過去、働いた対価としてあてにしていたものを削ってどうするのだ。現役は不況とはいえOBに比べれば「選択肢」はあると考えられる。削るならそちらが先だろう。どうして役員車など使っていられるのだ。

 財務大臣・藤井は、国庫から入れた金は「絶対に年金にあてられないように」とまで言い切った。おかしな話である。過去、金融機関を国が救済したときに、人件費にはあてられなかったのか?そんなことはないだろう。

 「国民の反撥がある」などという。もし本当に大きな反撥があるなら、そもそも国費を投じて救済するべきではないのだ。救済するからには、OBこそ大切にされなければならない。「恵まれすぎている」などというのは、それこそ「嫉妬」にすぎない。前にも書いたが「嫉妬」で動かされてはならない。

 

 それにしても、JALといえば花形企業だった。そのパイロットとかスチュワーデス(昔はこう言った)などは憧れられたものだ。ここまで駄目にした大きな理由は何か、僕ははっきりしていると思う。政治である。国内各地に無駄な空港を作り、JALに赤字承知で乗り入れを約束させ、これらにたかって利権をむさぼった政治家たちが沢山居るのだ。国庫で救済するなら、彼らの名を、責任をこそ明らかにするべきだ。

 

 もうひとつ、前半見逃してしまったわけだが、「事業仕分け」の討議というのがTVに映し出される。これは確かに面白い。というか痛快ですらある。国民の圧倒的多数は当然支持するはずだ。今まで当たり前のように、気楽に税金を使いつぶしてきた連中に、国民の目の前で集中的に批判がなされるのだ。役人たちは悪役さながら弁明におわれ、言い負かされて、しぶしぶ予算を削られてゆく。

 それにしても、わかっていたとはいえ、ずいぶんと国民の税金が平然と無駄に使われていたものだ。

 こういうことが明るみに出てきただけでも良いことだったと云わざるを得ないだろう。

 僕が帰国してTVで観るようになってからなのだろうか、ここへきてゆり戻しのようにこれに批判が起こっている。特に、科学技術開発とか、スーパーコンピューターとかについて、大切だから予算を削らないでくれというわけだ。

 だが、こんな馬鹿な話は無いだろう。今までもたっぷり税金を使ってきたのだ。直接の科学、研究以外にわけのわからない天下り機関がたくさんあって、そちらに金が流れているのだ。研究自体も、そんなに大切なら、寄付でもなんでも税金以外で金を集める努力をすればよい。この不況下、借金だらけの国費を節約するのに聖域があっていいはずはない。税金を使わなければいけない、国民の命や生活にかかわる必要な政策は山ほどあるのだ。研究者も思い上がりはやめて欲しい。現状をしっかりと認識するべきだ。

 

 

 

 

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チューリッヒ

2009. . 26

 順序が逆になるが、出張の最後にチューリッヒに寄ってのんびりした。

 ここへ来たら、まずはフラウミュンスター(聖母聖堂)のシャガールのステンドグラスを観るのが大事だ。他の観光はまあ後回しでも。

 

 スイスの都会だから、銀行と高級時計店が多いのは当然だが、さすがに豊かさを感じさせる。ヨーロッパの高級ブランドが軒を連ねる。HERMES,Cartier,Louis Vuitton などおなじみの店もさることながら、Lolo Piana やJ.M.WESTON のブティックまでしっかりある。さらに日本で言うところのセレクトショップも充実していて、メンズではBrioniのスーツ、Ravazzoloのジャケット、アヴォンチェリのニット、靴はチャーチとジョン・ロブといった具合だ。ちょっと前の僕ならけっこう買い漁ったかもしれないが、今は冷やかすだけだ。それに、ここはスイスで、EU圏内とはいえどれも「輸入品」だからリテールプライスは日本と変わらない。

 

 それより何より、ここには素晴らしいギャラリーが沢山ある。大きなサザビーもあるが、ギャラリーにさりげなく展示している作品がどれも素晴らしい。Galerie HAAS ではオットー・ディックスの個展をやっていた。

 

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 レストランも美味しい。今回、バーゼルでチーズフォンデューを堪能したので、こちらでは生牡蠣をトライしたり、本格イタリアン”CONTRAPUNTOから、ロンドンでおなじみのカジュアル、WAGAMAMAの海鮮ラーメンまでしっかり楽しんだ。

 

 そんなわけでチューリッヒは清潔で、とても居心地の良い街だ。

 でもどうしてだろう。僕はこんなに綺麗な町に居ても、ヨーロッパの街にくれば来たで、やはりパリに行きたくなる。パリはもちろんここより大分汚い。それでもやっぱりパリで、サンジェルマン・デ・プレで、落ち着きたくなる。

 そういえば、LADUREEがここチューリッヒにもお店を出していた。パリとロゴもテーマカラーも違うし、中でお茶も出来ない。ただ例のマカロンなどのお菓子を売っているだけだ。でもこんな店を見てしまうと、パリを思い出すなあ。

 

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 こうして、チューリッヒで2週間以上の出張の疲れを癒す。貴重な休日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プラハの夜

2009. . 25

 また、ヨーロッパ出張、色々と書くことがあるのだが、とりあえず、ビロード革命20周年のプラハから。11月17日の記念式典にはハヴェルのスピーチもありたいへんな盛り上がりだったようだ。CNNでは特集番組を組んでいた。

 現在、チェコの経済状況は大変悪い。あれほど渇望し、やっとの思いで獲得した現在の社会体制に人々は飽き始めているかのようだ。皮肉なようだが、東欧圏の自由化によって、冷戦の崩壊によって、資本主義のよりアナーキーな「市場原理主義」が強まり、挙句の果てのリーマンショックだったわけで、東欧にそれが逆流し、経済の停滞をもたらしてしまっているのだ。だが、今、どんなに疲れても、二度と以前の体制はごめんだ。この気持ちは強く、また、これを確認するために11月17日の記念日を人々は大切にしている。

 僕より一回り以上若い男性が食事の時話してくれた。前体制時、一家では、裏庭で野菜を育て、豚を1頭飼い、毎年食料にあてていたそうだ。プラハのほんの郊外の話である。冬は寒く、生活は苦しかった。彼にとって「社会主義」のイメージとはそれである。当然二度と経験したくない。現在彼は建設業界で働いているが、不況で苦しい。一方で、サイドビジネスとして、以前からの縁で僕の仕事を手伝ってくれているわけだが、こちらの仕事は本当に楽しいようだ。

 

 さて、その記念日より少し遅れてプラハに入り、昼間はもっぱら仕事、夜はビアホールで美味しいビール、またその彼やアーティストとの食事を楽しんだ。迷宮のような美しい夜のプラハをさ迷い歩くのはいつも本当に楽しい。

 今回、名門ジャズクラブ "REDUTA” へ行った。クリントンが来てサックスを吹いたときの写真が飾ってあった。クリントンはこちらでは歴代の中で最も人気のあるアメリカ大統領だ。

 その夜、ラッキーなことに、エミール・ヴィクリツキー・トリオが演奏した。これが素晴らしかった。聴衆も素晴らしいアドリブとソロに拍手、拍手だ。

 隣接したバーで、エミール本人と会うことができた。日本人と観るや、気さくに話しかけてくれたものだ。「1Q84は読んだかい?僕は読んだよ。英語の次の翻訳はチェコ語だったんだ。」そんな事とは知らなかったが、彼はそれを誇らしげに言った。そういえば、エミール・ヴィクリッキーは去年、ヤナーチェックをジャズでやって、ニューヨークとプラハでレコードを吹き込んでいた。こちらではハルキ・ムラカミは、母国の産んだミラン・クンデラと並ぶビッグネームだ。

 

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 ビロード革命20周年の、プラハの夜のモダンジャズ、ちょっとした良い思い出だ。

 

 

 

 

 

 

  

1968年と2009年

2009. . 04

 ヨーロッパ出張前の最後の週末、金曜日の夜、大先輩のお姉さまと日本橋で楽しく飲み、土曜日は人形町にてイタリアンをビュッフェでお腹一杯食べ、神保町の古書まつりへ出かけた。

 懐かしい本をみつけて買い求め、また、すずらん通りには各出版社が新本も特価で出しており、藤原書店のエマニュエル・トッドをなんと千円で買うことが出来た。

 馴染みのコーヒー店に入って、のんびりした週末気分を満喫した。エマニュエル・トッドの読後文は今度読み終えたらゆっくり書いてみたい。だいたい、僕はこの人がポール・ニザンの孫だということを知ってから、何だか書いたものを読みたくなった。「アデン・アラビア」や「アントワーヌ・ブロワイエ」のポール・ニザン、60年代後半に読書好きだったら、誰でも必ず一度は読んでいるだろう。ニザンは永遠の青春である。

 

 で、日曜日、明治学院大学へ、小熊英二「1968」をめぐる、「1968年と2009年」と題されたシンポジウムに行ってきた。当初、「『1968』のスタンドポイント」ということで、出席できなかった小熊英二本人の話がテープで流された。この約40分ほどはレジュメもあり、本を読んだものには興味の持てる内容だった。

 著者はまず「1968年と2009年」を国内的視点と国際的視点に分けた。国内的視点としては、「戦後」を1945年から高度成長期に至る「第1の戦後」、冷戦の崩壊と冷戦に依存していたその高度成長が終わるまでの、実際は1992年までとされた「第2の戦後」、そしてそれに続く現在までの第3の戦後とさらに分け、各時代のメルクマールを論じ、国際的視点として、発展途上国におけるナショナリズムと民主主義、民主化運動と独立運動の並立を論じ、急速な近代化と共同体の崩壊、格差の増大などの中で起きる普遍的問題として、「1968」を照射してみせた。そして、「第2の戦後」が相対化されてゆくなかでの新しい「現代的不幸」の問題化が1968年に現れて以来、2009年をむかえていまだ変わっていないという基本的視点を提起した。さすがに「大著」をものにしただけあって、個々の議論には細部で異議もあるが、骨太な拝聴すべき内容であった。これを聴けただけで、来た価値はあったと思った。

 ところが、その後がまったくいただけなかった。期待はずれとはこのことだ。司会の原武史はただ流すだけ、パネリストのうち、まず最年長の加藤典洋からして薄っぺらで無内容、著作から離れて我田引水、「1968」が「1Q68」だとかどうのこうの、中学生の感想文みたいなことしかしゃべれない。あれで大学の教授が務まるのが不思議だが、あるいはよほどこのシンポジウムをなめていたのか。高橋源一郎は世代的にも「当事者」として率直な感想を述べていたので、好感だけはもてたが、やはり内容は無かった。島田雅彦はそもそも内容的に理解が追いつかないから、妙なアナロジーを繰り返すだけ。本当に「1968」を読んだのかどうかすら怪しい。雨宮処凛は運動家として発言したので、一応一番まともではあったが、やはり世代的にわからない事が多すぎるようだった。総じてあれだけの「大著」に対して、あまりにも実りの無いおしゃべりに終始した。皆どうやら「荷が勝ちすぎていた」ようだ。

 

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 例えば、司会の原が水を向けた視点、「1968」での、近代的不幸から現代的不幸への転換、その現代的不幸に反撥する叛乱としての運動という捉え方に対する議論などは何ひとつも出なかったし、もうひとつ、触れられていないが重要な問題として「日本共産党」について、(あの当時、叛乱に対する敵対者として現れていたが、確実に議席は伸ばしていた) これも発言を促したが、何も言葉は出てこなかった。

 

 

 まあ、期待したほうが間違っていたのかもしれない。

 当時運動に参加した「少数の」活動家たちのほとんどは現在沈黙しているはずだ。「一次資料」にあたるものがないのだ。あるのは無内容な党派の機関誌、ビラくらいだろう。それらは当時の活動家の思想をほぼまったくといっていいほど反映していない。

 そしてまた、「1970年パラダイム」に捉えられて、(これは僕も何回かこのブログに書いたが)、現在に至るまでたとえ少数のものであっても「叛乱」は無い。

 

 結局、僕は壇上から「戦犯ブッシュを裁く」のデモを呼びかけた雨宮処凛の話だけがまっとうに聴けた。

 現在「運動」を組織している雨宮氏の発言を聞いていると、その運動は「反貧困」、現代的不幸でなくまさに近代的不幸に対する闘いのようにみえる。(だからこれは1968年叛乱と違って、心情的な支持は集めるだろう。ただしそういう「支持者」も実際に「味方」になってはくれないだろう。「貧困」とはそういうものだと思う。)

 雨宮氏はあるネットカフェ難民のカップルの話をした。彼女たちの支援でやっと生活保護を受けさせたそうだが、彼らは自分たちの「貧困」を自己責任と考えていて、リストカットなどを繰り返していたそうだ。

 そこまで聴くと、現在の「反貧困」の運動もまた、実は現代的不幸に対する叛乱であることがわかってくる。彼女は「1968」を読んであの時代が羨ましいと発言していた。(そんなことは見当はずれだとも思う。あの時代にあっても、運動に参加したものは実際は少数であった。)願わくは、本に描かれた世代的な体験が現在の彼女たちの運動の何らかの役に立ってくれればと思う。

 

 色々と、考えてしまう日曜日であった。

 

 

 

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