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オックスフォードで

2009. . 31

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 オックスフォードを訪れた。34だかのカレッジの集合、各カレッジごとの校舎やグラウンドがあるから、その街も含めて広大なキャンパスだ。写真はクライストチャーチのグラウンドのそのほんの一角である。子供たちがクリケットに興じていた。

 僕は以前仕事でニュージャージーへ行ったとき、プリンストンのキャンパスも訪れたが、やはり同じように、その広さ、美しさに打たれたものだ。

 英・米の一流大学、オックスブリッジ、アイヴィーリーグなどと呼ばれて大切にされ、日本を含め各国から留学生を集めているのも伊達ではないなと思った。

 

 こういう恵まれた環境で、スポーツと勉学に大学生活をいそしめば、良くも悪くも「エリート意識」は生れるだろう。政治の世界にいく場合は、国家を支える気持ちも多少は出てくるのかもしれない。

 

 オックスフォードはもう創立800年になるし、1000年ともいわれている。僕は日本最古の私立大学というのを卒業したが、それが創立150年だから可愛いものだ。それに僕自身は不真面目な大学生で、勉強もスポーツもなく、ほかの事に熱中していたから、エリートとは縁などもともとない。

 

 いやはや、何が言いたいかというと、どうも日本の政治家は「国家」に奉仕する、乃至は「国家理性」、といったものに対する意識が低すぎるのではないかと思うのだ。自分の政党による政府の「私物化」以上のことを考えていないのではないかと思える。これもまたエリートと無縁の小人物、政治屋なのだ。

 

 オバマの大統領就任演説の後のこのブログで、僕は書いた。オバマはもう、ただの民主党トップではなく、アメリカ合衆国大統領なのだと。従って、スピーチもおのずと違った角度になった。

 国家は、まず何より他の国家に対して「国家」である。オバマと民主党はブッシュ政権によるイラク戦争をはっきり「間違いである」としてこれを非難し、撤兵を宣言した。だが、大統領になってすぐ、突然部隊を撤収することなど勿論出来ない。段階を追って実現してゆくのである。ブッシュ政権によるイラク戦争はなにも「共和党がやった」派兵ではないのだ。アメリカ合衆国として行ったものだからである。民主党になったらすぐ転換というわけには行かないのだ。国家というのはそういうものである。

 

 こうしたことはヨーロッパの政治家にも当然認識されている。英国でも、労働党、保守党が交代し、フランスでも、ジスカールデスタン、ミッテラン、シラク、サルコジと代わってきたが、互いの政策批判、自党の思想や原則と政権に就いたときの「国家」の外交とはいったん分けて考えるのが当たり前である。政党トップの仕事と大統領や首相の仕事とはおのずと違うのだ。

 

 こんな当たり前のことを言わねばならないのは、もちろん日本で、選挙を前にして、自民党の面々が野党を非難するのに、例えば「インド洋での米軍に対する給油支援」に対して、「野党は反対してきたのに政権に就いたら続けるというのはおかしい、」とか、「ぶれている」とか言うからである。また野党のなかにもこれが「現実路線」だなどとレベルの低いことを言う輩もいる。

 そうではないのだ。他のこともそうだが、すでに行われている外交上の政策というものは「国家」としていわばやってしまっていることなのだ。自民党・公明党政権下のこととはいえ、別にその政党が党としてやったことではない。政権が変わったとしても、今度与党になった党が国家の方針を突然転換するわけにはいかない。当然段階をふまねばならない。国家としての外交路線の転換が1政党の短い射程で適当に決まっていいはずはないのだ。

 だから、今。野党を非難している自民党・公明党のものたちは実は自らを語ってしまっている。国家百年の利益でなく、たかだか自分たちの政党の利益だけで政策、とくに外交まですすめてきてしまったのだ、と。

 本来、政権に就いたら、1政党の利害をいったん離れ、一貫した国家理性に奉仕するべきである。特に、外交、教育などは、本当に長い射程で進めてゆくべき政策ではないか。政権が変わるごとに、乃至は自民党のように、派閥が変わるごとに、ころころ変わるようなことは本来あってはならないのである。

 

 政治家はもっと強い国家に対する奉仕の意識と誇り、その意味でのエリート意識を持って欲しい。

 麻生のような「オレは今の80以上の老人と違って『遊び』を知っている」なんてどうでもいいのだ。あちこち海外留学までさせてもらってこれだから、本当に馬鹿につける薬はないとはよく言ったものだ。

 

 「留学」というのはだいたい後進国特有のものだ。日本はまだまだその意味では後進国だと思う。優秀で、使命感と誇りを持った人材には、それこそオックスフォードへでも、税金を使ってでも留学してきて欲しいと思う。本物の政治家に登場してもらいたいものだ。まあもっとも、本物なら留学しなくたって本物だし、麻生のように馬鹿なら留学したって馬鹿のままだろうか。

 

 

 

 

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サンジェルマン・デ・プレで

2009. . 29

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 また、駆け足でパリを訪れた。僕はサンジェルマン・デ・プレにいると、「帰ってきた」ように落ち着く。それだけ親しんでいる。ホテルも必ずこの界隈にとる。ずっと 何年も Le Regent というホテルを愛用、それからDeux Continent, 最近はこの La Villa Saint-Germain を常宿にしている。向かいのペパーミントグリーンの壁面は、ラデュレである。ドゥー・マゴとサンジェルマン・デ・プレ教会のすぐ裏にあたるのだが、従ってすぐ近くにビュシー通りもあり、本当に落ち着く。 ポン・ヌフを渡って右岸のほうにも歩いて行ける。便利な場所でもあるのだ。

 夏のパリは観光客だらけだ。日本でみるガイドブックや雑誌でもこの界隈はずいぶん紹介されているのだけれど、不思議なことにこちらではまったくといっていいほどわが同胞に会うことがない。右岸のシャンゼリゼやマドレーヌ、オペラの界隈では沢山顔を合わせることが出来るのに、なぜかみなこちら側、左岸にはやってこないのだ。観光でも、ショッピングでも、もちろん単に街歩きでもこっちも良いのに,本当に不思議だ。

 

 最近はもう欲張った買い物などもせず、JMウェストンやアルニスのウィンドウは横目で眺めるだけ、グラン・エピスリ・ド・パリで好きな食料品、塩やチーズやオイル・サーディンなどをまとめ買いする。これが楽しい。荷物は重くなるけれど。夜遅くまでやっている本屋 La Hune で時間をつぶす。カフェに入る。もうそれだけで一人で盛り上がってくる。何のことはない。銀座や神保町にいるときとさして変わりはないのだが、そこはやはりパリで、周囲の人間たちを眺め、風景を眺め、街を満喫する。それだけのためにパリに来る。楽しみなのだから仕方ない。もちろんフランス人の友人と会ったり、毎回それなりの場所を訪れたりはする。だが、何といっても、楽しいのは全体がアンティークのようなこの街それ自体である。

 

 日本では、麻生が「バカタロー解散」をやり、「年寄りは働くことしか能がない」と失言した。これ「失言」でなく、本当にそう思っていて言ったのであろう。「年とってから遊びを覚えようとしても遅い」とまで言ったそうである。自分乃至は自分たちは違うといいたいのだろう。とんでもない男である。こいつも「人間じゃねえ・・・。」だいたい「働く」か「遊ぶ」かしか無い、想像できないこと自体が、この男の知性の低劣さ、文化的なバックグラウンドが無い事を示している。

 当たり前だが、歳をとってから、それこそ定年後から楽器やスポーツを楽しむ人間、勉強を始める人間だっていやというほどいる。結構なことではないか。麻生ごとき屑のような奴に「働くだけしか能がない」などといわれたら怒らないほうがどうかしている。後期高齢者保険制度以来またしても彼らは老人を敵に廻したことになる。

 

 ヨーロッパにいていつも思うのは、老人たちが幸せそうなことだ。老夫婦がしっかり着る物にも気を使って、笑顔で仲良く街を歩いているのをみると、ありきたりだが、こちらの社会福祉の厚み、充実を誰でも感じるだろう。若いとき働いた人はしっかり報われて幸せな老後を過ごす権利がある。ナチスばりの「後期高齢者」の選別や、歳をとって「働くしか能がない」などと決め付けられたりする社会は絶対に間違っているのだ。

 

 福祉の話や、老後の話、年金の話などになると、与党の人間は馬鹿の一つ覚えで、「財源はどうする?」という。だが、こんなことを言う与党がいるのは日本だけだ。財源のもとになるデータを把握できるのは与党、政府だけだからだ。野党側が政策・対案の「財源」を明らかにする必要などない。2大政党制が根付いた英国でもアメリカでもそうだ。英国で保守党政権のときに労働党が政策の「財源」を示すか?共和党政権が続いたアメリカで、民主党が政策提案に「財源」を示したか?オバマはこう言ったのだ。「彼らに8年分の金(減税分)を返してもらおう」と。これは減税メリットをいかして「強欲」に突っ走ったウォール街に対するもので、大きな支持を集めたメッセージだった。日本の与党にしてもそうだ。だいたい自分たちでさんざんな無駄金を使っておいて、乃至は仲間内で「減税」しておいて、「どうするんだ」では開き直り以外ではないだろう。高福祉社会というのも段階、レベルがあるので、ヨーロッパで出来て、日本で出来ないはずはない。税金だって、老後が安心なのが本当にみえれば、その目的税ならば人は払うのだ。但し、逆ではない。財源がいるからなどといって、先に増税しようとするから誰も信用しないのだ。まず、幸せな老後、福祉の現実が先に眼にみえてからの税金でなければ、いままでさんざん騙されてきたのだ、払うのは嫌に決まっている。

 麻生は馬鹿だから、ヨーロッパ型の「高福祉・高負担」は日本では無理で、「中福祉・中負担」などというどうにでも取れるようなことを言って官僚の言いなりで適当にすませようとした。この分野について「考える」事自体を放棄したのだ。いやこの男にそもそも「考える」などという事は出来ないのだろう。

 

 団塊の世代が、とっくに60を過ぎ、自分だってもう歳をとってきた。日本社会の将来を本気で考えると暗澹たる気分になる。来月は選挙だそうだ。政権交代が期待されているが、それにしても、民主党のほうも、党首以下、どうにも頼りないのが気になる。どちらを向いても、政治家に人材がいないのが日本のお国柄であるとしたらさびしいことである。

 

 

 

たぶん最後、麻生漫画総理

2009. . 09

 いやはや、みっともないことこの上なかった。それでなくても下品で、海外に出て欲しくなかったわれらが麻生漫画総理である。

 ラクイラ・サミットのニュースをTVで見ていたら、並み居る各国の首脳がきちんと濃紺かチャコールグレーのダークスーツで参加しているのに、麻生は一人だけわけのわからない明るい色のスーツで映し出されていた。クール・ビズというだらしない習慣でそのまま行ってしまったのか、とにかく緊張感に欠け、見苦しいことこの上ない。

 各国首脳が集まって会議をやる。会議自体への賛否はあるだろうが、それなりの緊張感と、国を代表する誇りと責任を持って参加する。こういう席のダークスーツは世界の常識である。日本では周囲の誰も指摘しなかったのだろうか。

 

 そもそも毎回顔が変わるのだから、どう贔屓目に見ても、日本の存在感など無理なのだ。せめて妙なスーツで浮き上がって馬鹿にされるようなことは勘弁して欲しい。内容なんてこの男にもともとないのだ。

 今回は、アメリカからオバマがはじめて登場し、地球温暖化、各国の雇用問題などを話し合うという。そんな席を、麻生はまるで気楽なパーティかなにかのように思っているのだろうか、そういう格好で参加した。馬鹿な男である。この男の軽薄さがそのまま出てしまった。

 それとも、先の長谷川氏の本ではないが、官僚たちが麻生を見限って、わざとアドヴァイスせずに、あのスーツで表舞台に出したのであろうか。

 

 国内では、ほぼ全国民に馬鹿にされ、自分の所属している党内からさえも反撥が続出し、というより見限られ、総選挙を控えてどうしようもない中で、逃げるように国外へ出て行ったわれらが漫画総理である。

 いずれにせよ、あれが総理では、日本国民の民度は、ものすごく低く見られるのはやむを得ないだろう。早く歴史から消えて欲しいものだ。

 

 

 

 

川勝平太

2009. . 07

 つい先日、川勝平太氏が静岡県知事に当選した。

 ぼくは以前からこの人の熱心な読者である。産業革命を経た英国の海外進出、特にアジア進出にあって、日本への毛織物の売り込みに失敗するくだり、日本にはその気候風土に適した木綿が普及していたこと、すでにその市場を含めた経済システムが確立していたこと、「宗・経分離」出来たオランダとのみ貿易した鎖国政策が必ずしもネガティヴな面だけではなかったことなど、英国経済史や著者の、海から見た・・・「海洋国家」論など、ウォーラーステインの裏をかくような歴史、経済史の読み物はみな本当に面白い。

 ただし、アジアのなかで日本だけが近代的経済システムを早くから確立しえたこと、その理由やその強調によって、またその海洋からみていこう、という国家像、あるいは「ガーデン・アイランド構想」などによって、著者は中途半端な右翼から誤解され、利用されたこともあった。何しろ安倍の「美しい国」構想にまで狩り出されたりしたのである。ああ危ないなあと思って、生意気ながら僕はみていたものだ。どうも学者である著者はナイーブすぎるのではないかと思った。

 

 だが、そんなことは余計な心配というものであろう。

 今回、民主党側から、知事選に勝利したことで、自民党が焦っているようだ。TVに映し出される顔、麻生はもちろん、そのアドヴァイザーという「サメの脳みそ」といわれた森、政権を投げ出した安倍、その他もろもろ、とにかく川勝氏と知性、品性があまりにも違いすぎるのだ。

 僕は、川勝氏の、洛星高校ー早稲田大学ーオックスフォードという学歴やその著書の数だけで言っているのではない。(もっとも漢字の読めない麻生や子供会だった安倍と比べればそれもひとつの要素だが。) 彼は、自分の「川勝理論」の実証の資料を、歴史、経済学の過去の資料を渉猟して足りず、オックスフォードの図書館で英国のプライヴェートな企業のイヤーブックまで眼を通し、見つけ出したそうだ。本物の知性なのである。

 どうみても、麻生だの森だの安倍だのが何人かかってもかなわない器なのだ。レベルが違うのだ。

 

 そしてまた、今回一番云いたいことなのだが、民主党側でみても、経世会を引きずっている小沢、鳩山などよりもはるかに国政政党トップにふさわしい。

 宮崎県知事の東ナントカは自分を自民党総裁にしろといっているそうだが、確かに麻生や安倍のレベルであればこんな芸人でも資質としては大差ないのかもしれない。

 だが、民主党とて、何度も言うが、経世会政治支配に反省のかけらもなく、金権政治を貫く小沢や鳩山をトップに据えているようでは自民党を批判できたものでもない。

 静岡県民には悪いが、知事は1期だけにして、民主党トップは川勝氏に代わってもらったらどうだ。(ついでに自民党トップはこの際東ナントカで。)

 民主党の「知性」が格段とアップすること請け合いである。

 

 

 

コードヴァンを磨き上げる・・・

2009. . 06

 先日、村上春樹の最新作「1Q84 ]を読んでいたら、「よく磨かれたコードヴァンの靴」というのが効果的に登場した。思うところがあった。で、また靴の話。

 

 日本の夏はどうしても蒸れるので、僕は秋冬に履く事にしているのだが、コードヴァンは確かにしっかり磨き上げて履きたいものだ。小説では黒だったが、僕はバーガンディのシェル・コードヴァンの味わいが好きで3足ほど履きまわしている。すべてアメリカ製だ。かつては、アメリカ製のコードヴァンの靴というのが、一番お洒落だったものだ。

 秋冬にはスエードのブーツなども愛用するのだが、歳をとってきて、くすんだものばかり身につけていると、なんとなく全体にますます老け込んでくる気がする。足元を輝かせたいと思い、ぴかぴかに磨きこんで光らせた靴を出してみた。

  プロフィールに書いたが靴磨きは大好きだ。新聞紙を広げ、ツリーをいれた靴をていねいに磨いていく時間はいいものだ。もちろんBGMつきである。余計なこと、嫌なことなど忘れてしまう。

 

                          靴3    

 

 写真の2足のコードヴァンの靴。左は誰でも知っているオールデンのコードヴァン・チャッカーブーツ、ホーウィン社の最高級コードヴァン使用、#1339。もうなかなか手に入りにくくなっている。オールデンのコードヴァンの供給が間に合わないようだ。世界的な人気である。10年以上前から、パリやミラノのセレクトショップでも、このオールデンのブーツやローファーを売っていた。特にコードヴァンはいい値段がついていた。日本と変わらず10万円近い価格だった。 ヨーロッパでも、お洒落な奴がこのアメリカ・ブランド、オールデンのコードヴァンをこぞって履いているのだ。クラシックなスーツやジャケットでも、デニムでも、ヨーロッパの男のスタイルにオールデンは完全に溶け込んでいる。ちなみにアナン元国連事務総長はブリオーニのスーツにオールデンのコードヴァンのダービーを合わせていた。

 このブーツはまだ新しい。だがとなりのフローシャイム・インペリアルのウィングチップは30年前から履いている古いものだ。もう現在は製造されてもいない。30年前といえば、僕はまだブルックスやJ.プレスのフラノのNo.1サックスーツを着ていたものだ。スーツ、ジャケットのシルエットは、その後少しずつ、ウェストを絞ったものに変わってくる。数年後、日本で展開が始まるラルフ・ローレンのツイード・ジャケットが素晴らしく、何着か購入した。映画で観た、シェトランドのセーターとチノ・パンツを合わせるウディ・アレンの着こなしが良かったので影響されたものだ。当時の僕の収入では結構響いたが納得していた。オールデンは当時はまだブランド展開していなかった。アメリカでもブルックスの別注を受けていただけであった。だからコードヴァンといえば、このフローシャイム・インペリアルのものが一番であった。アメリカ製らしく、ごついシェイプにトリプルソール。それにしてもさすがである。30年履いて、今でもびくともしない。

 

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 さて、こちらの2足はコードヴァンではないが、よい光沢があるので同じ目的で出してきた。左のチャーチは「ブック・バインダー」仕上げでよく光る。103ラストにハーフブローグを打った珍しいものだ。右のラルフ・ローレンはなんと本物のクロコダイルである。当たり前だがいやらしいくらいよく光る。ちょっと贅沢かなと思ったが、歳もとったし、たまにはこのくらい派手でも良いと思って入手したものだ。どちらもフラノやツイードに良く会う。コードヴァンに負けない光沢である。

 

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 この左のコールハーンもまたコードヴァン、もちろんナイキ買収前の20年前のものだ。当然アメリカ製である。当時のコールハーンは、すべてアメリカ製ハンドメイドであった。こんな靴ももう手に入らない。先のフローシャイムもコールハーンも、今はアジアでの生産がほとんどだ。右は秋冬、もっとも出番の多いクロケット&ジョーンズのウィングチップ・ダービー、ロンドンへ行った時、ジャーミン・ストリートの店で求めたが、ハケットの別注品だった。こちらはカーフだが、10年間、磨きこんで履き続けたらいい色に変わってきた。

 

 コードヴァンはますます貴重になり、価格も高くなってしまった。ジャストサイズの靴を探すのも難しくなってきたようだ。

 買い物など考えず、20年、30年と大事に磨きこんできた靴を、まだまだずっと履いていこうと思う。

 それでもまったくOKであるどころか、年月と共にますます味と光沢が出てくるのがコードヴァンの良いところだ。これはコードヴァンに限らないが、僕の経験上、良い靴は10年履いてから後が勝負だ。自分の好みの色目に少しずつ変わってきて艶も出てくる。磨くのが楽しくなってくる。

  渋いフラノやツイードの足元に磨きこまれたコードヴァン。男のお洒落は現在のテーラードのスタイルが定着した1920年代くらいから、基本的にはまったく変わっていないようだ。ロンドンでもパリでもミラノでも、そしてニューヨークでも、僕は同じようなお洒落な男たちを見てきた。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

「日本国の正体」

2009. . 06

 「日本国の正体」をあっという間に読み終えた。まったく、ここに描かれている官僚たちの腐敗ぶり、その私利私欲に走る様を読んでいると腹が立ってくる。この本では、この官僚たちの究極の目的=インセンティヴは自分たち、先輩、後輩の天下りとそして増税による自分たちの美味しい生活=役人天国であるとしている。

 僕はこの本の著者、長谷川幸洋君とは大学時代からの友人である。努力家である。この本も最近多いイメージだけの官僚たたきに終わらず、彼が直接会って取材した事実によって、いわばしっかり裏がとってある。だから、さまざまな実名もあがっていて、実感があって面白い。まあだからこそ腹もたってくるわけだ。

 

 それにしても、いつから日本の官僚というのはこんなに卑しいものになってしまったのだろう。そして、この本に出てくる通り、与謝野のように、二言目には増税、増税と、官僚の代弁をする政治家たちの方もひどいものだ。

 はたして今日の新聞には、この与謝野が、民主党のマニフェストに「まったく現実性がない・・・」などとケチをつけている旨が載っていたが、これも、この本の指摘のとおり、財務省の言い分を代弁しているのだろう。彼らは増税して、役人天国でいたいだけなのだから。だからなにかというと財源、財源とさかしらげに言う。自分たちの無駄、乃至は収入を減らされてはてはたまらないからだ。与謝野は、この本にもあるが、昨年のアメリカ発のサブプライム・ローンの破綻から、リーマン・ショックにいたる金融危機とその日本への影響について、「ハチに刺された程度」といってのけた。それでも、官僚の代弁をさせる都合上「財政通」という事にしてあるそうだ。

 

 また、折りしも昨日から、城山三郎「官僚たちの夏」のTVドラマが始まった。こちらはこちらで、高度成長期、財界とタッグを組んで政治家をも動かしながらプロジェクトを実現してゆく官僚たちを、やたらに美化して描いている。ただ、どちらにしても、政ー財ー官がこうまで癒着してくれば、仮に本人たちが善意だったとしても結局今日のように腐敗せざるを得なかったのは当然なのだろう。

 

 さらにいえば、「改革」と称して、この官僚たちを使いこなそうとした政治家たちも、あるいはつい先日の「構造改革」を唱えた小泉・竹中なども、結局、何のことはない自分たちの私利私欲にすぎなかったことが、もう明らかになってしまった。竹中の改革のバックにはオリックスの宮内らがいて、「民営化」とは所詮彼らの「私営化」であり、安く買い叩いて彼らが儲けてゆくか、あるいは米資に同じようなことをさせるのか、国民の資産を叩き売って、彼らが利益を掠め取ってゆくための「改革」にすぎなかった事が、みな国民の眼にみえてしまった。

 

 さて、そういうわけで僕は、官僚は政権にある政治家たちからは自立していなければならないと思う。政権など所詮顔ぶれがコロコロ変わるからだ。とくに最近の世襲政治家たちのようにせいぜい地元の経済利益しか頭にないような器の小さい政治家など話にもならない。そんなものたちをうかがっていたら国家百年の大計に奉仕することなど出来ない。特に、外交、教育、財務などに当たる官僚は、大げさでなく国家理性そのものに奉仕するべきだ。数年前、小泉政権下、田中真紀子がこともあろうに外相になった。たしかに外務省はひどく腐敗していて、正されねばならなかった。だが、外交そのものは、もし真紀子の言うことなど聴いていたら、日本は2度と立ち上がれなくなるくらい壊滅的打撃を受けていただろう。何しろ、真紀子が妙なことを口走らないように、官僚たちはガードをつけていたものだ。あのとき、彼ら官僚たちは自己防衛も確かにしていたが、国も守っていたのだ。

 

 まあもっともそんな「理想論」を語っていたところで仕方ないだろう。具体的にはどうしたらいいのだろう。

 

 僕は、これら政治家・官僚たちの腐敗を解決するにはたったひとつしか道はないと思っている。

 

 政治家・官僚を含めた公務員の賃金を、一般の労働者と同じにすることだ。これは、「政治家をいつでもリコール可能に」する事と並んで、社会が良くなるための必須の条件である。こんな単純な事は実は19世紀から、ずっと言われ続けてきた。言葉にすれば簡単なのだが、そしてやりさえすればしっかり効果があるのだが、私利私欲・利権でがんじがらめになった政治家や官僚が自らは絶対に提案しないことであろう。市民・大衆のそれこそ政治的圧力によって実現するより他にない。

 

 道遠し、である。

 

 

 

 

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