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ライシテ

2009. . 23

 イランで連日デモが暴動化している。アフマディネジャド現政権「独裁」に対する反対勢力である。反米を売り物にしていたこの大統領に甘かった日本の左翼は沈黙してしまった。

 

 さてそんな折も折、同じ今日の新聞にフランスで「ブルカ禁止」の動きがあるとの記事が載っていた。ちょっと前のスカーフ禁止以来のニュースである。女性が顔の全部を覆うブルカ、あるいはニカブの公共空間での着用禁止を法制化しようとする動きがあるというものである。

 ライシテ(政教分離)である。ここが「腐ってもフランス」なのだ。推進している女性閣僚は自らもイスラムの家庭で育ったそうだが、このブルカを「原理主義の象徴」であるとしている。サルコジが大統領でなくても、つまりもし、ロワイヤルが大統領になっていたとしても、この提案は支持されただろう。たぶん、2004年のスカーフ禁止と同じように法制化されるだろう。フランスは500万人のイスラム教徒を抱えている。ライシテは強調されすぎるということはない。徹底されなければならない。彼らの言う「セクト」つまり「カルト」乃至はあらゆる宗教の原理主義としっかり闘って行かねばならないのだ。(日本で一部誤解されているようだが、十字架だって禁止なのだ。)この闘いは政治権力をもってするしかない。

 

 ライシテはフランス革命以来の理念であり、第3共和制以来の共和国のいわば知恵であり国是である。個人の信仰の自由を確保し、私的空間での自由な表現を担保するために、公共空間での宗教的表現を禁止するものである。

 2004年、公立学校でのスカーフ着用禁止が法制化されたとき、イスラム教徒の一部はこれに怒り、イラクではフランス人ジャーナリスト2人が人質にされた。

 同じくこのライシテの原則により、フランスはブッシュのキリスト教原理主義を厳しく批判し、アメリカはこれを「信仰の自由の侵害」として見当違いの批判をした。また、この時、イラク戦争に協力しなかったフランスを、アメリカは「古いヨーロッパ」と非難した。

 

 建前では、憲法上「政教分離」が厳しく規定されている(20条、89条)にもかかわらず、日本では、首相であったとき「天皇を中心とする神の国」なる発言をした男がまだ影響力を行使していたり、与党・野党の政治家がこぞって靖国神社に平然と「公式参拝」したりする。おかしなことである。さらに公立の小・中学校で「君が代」斉唱が義務付けられている。公共教育の場で、天皇-国家神道という「特定の宗教」がデモンストレーションされているのだ。公共教育の場から注意深く宗教色を排除するライシテの逆を行っているわけである。

 日本でも、政教分離は徹底されるべきだ。それももちろん「政治の力」によるしかない。

 

 イランのアフマディネジャド現大統領は反米、反イスラエルでならし、「ナチスのユダヤ人虐殺など無かった」と発言して顰蹙を買った。彼もまたイスラム原理主義者である。現在戦闘的反政府デモを指導し、反対勢力のリーダーとして「改革派」などと言われているムサビも(「穏健派」ではあるのだろうが)、背後にいるのはハタミ前大統領であり、ラフサンジャニ前最高評議会議長である。ともにイスラム教原理主義者である。もともとイスラム教に「政教分離」の思想はないのだろうか。もっともトルコなどはEUに加盟すべく何とか政教分離のかたちをとっている。出来なくは無いはずだ。「改革」をいうなら、根底的に政教分離まで改革を進めて欲しいものだ。

 

 キリスト教原理主義もユダヤ教原理主義も、イスラム教原理主義も、およそ宗教を政治に優先させる思想に人類の希望はない。それ(原理主義)は個々の人間の生よりもそれぞれの「神」を優先させるからだ。

 

 本来は今こそ政治の出番なのである。

 

 

 

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6.21/秩父宮

2009. . 22

 ジュニア・ワールドカップ、アンダー20の決勝戦。雨の秩父宮。

ここのバックスタンドは大好きだが、雨は辛い。ナイジェル・ケボーンのヒラリー卿コレクション、ゴム引きのレインパーカを着て観戦にのぞんだ。ちょっと蒸し暑い。

 ジュニアといってもそこは世界の公式戦、ものすごく水準の高い攻防で盛り上がることこの上ない。ほとんどタッチを割らず、ゲームが途切れるという事がないから、まったく飽きない。集中して観ていられるわけだ。

 

 キックオフ前、テストマッチだから当然、雨の中全員起立、両国国歌斉唱である。ニュージーランド国歌の方はさすがにサポーターも含めて静かだったが、"God Save The Queen" は観客席のあちこちから大声で歌う声が聞こえ、それでなくても外国人の目立つ観客席で国際試合の雰囲気が盛り上がってくる。ニュージーランド伝統のハカも迫力があった。これでこそラグビー、良い試合の予感があった。

 僕の周りにはニュージーランドのサポーター、ご主人がニュージーランダーなのだろう、日本人の可愛い奥さんと娘たち、奥さんとその友人は黒ポロで統一、娘たちはほっぺにNZのペイント。この女性軍がトライのたびに両手を挙げて歓声。後ろのほうからは、「カムォ~ン!イングラン!」の歓声、なかなか盛り上がったものだ。それにしても雨の中、よく集まったものだ。家族連れが結構居た。国際結婚ってこんなに多かったかな。皆、実に微笑ましい。

 

 さて試合はイングランドがペナルティゴール2回で先制。スクラムもモールも当初はイングランドが押し勝っていた。はじめのトライも実はイングランドがあげる。ただしこの勢いも前半の半ばまでだった。皮肉なことに、雨がやんでくる頃からイングランドにミスが目立ち始める。すべる芝に転ぶ。あと一人で余ってトライかという場面でパスがつながらずノック・オン。逆にニュージーランドはそれまで個人技の強さだけを見せ付けていたようだったのが、このあたりからパスが何人も左右に自在につながり始め、迫力のあるバックスの展開になる。ランも速い。ラグビーの教科書かデモンストレーションでもみるようなスピード感のある美しいバックスのパス廻しと走りである。スクラムを一人減らして、エンゲージしたらすぐブレイクして展開、そこまでして徹底してバックスにこだわった。

 前半、25対14で折り返した時、勝負はもう見えていた。後半、ノーサイド直前、イングランドはニュージーランド・ゴール手前で何度も密集戦を挑み、意地のトライを見せた。この辺はさすが決勝まで残ったチームの強さ。

 だが、ともかく終わってみればニュージーランドは合計7トライをあげ、44対28で快勝した。7トライのうち6はバックスの展開によるもの。とにかくみていて綺麗だった。晴れていたらもっと良かったかな。

 

 休日のラグビー観戦、特にこのレベルの国際試合となるとさすがに楽しい。久しぶりの秩父宮を楽しんだ。

 

 

 

 

いのちの規制緩和、再び

2009. . 18

 恐れていたことが起こった。さきほど、臓器移植法案、A案が衆院で多数により可決されたという報道があった。

 このA案というのはいうまでもないが15歳未満の小児の臓器移植を「家族の同意」があれば「脳死判定」をして認めようという案である。

 

 「脳死は人の死」であると法的に決めてしまったら、脳死と判定された時点で「死人」となるのだから保険その他すべてストップし、介護もままならなくなるわけである。移植のために、臓器を取り出すために、生き残れるはずのひとの治療もストップされかねないのだ。また何より、難しいといわれる小児の脳死判定を移植の事情で急いでやってしまっていいのか、家族の同意などというが、虐待がこれだけ問題になっている社会で、そんなことだけで小児の臓器を取り出してよいのか、臓器の売買にまで道が開かれてしまうのではないのか、本当に問題だらけではないか。

 TVなどに登場し、熱心にこのA案を主張していた河野太郎などという薄っぺらなチンピラは、反対者のこれらの質問に答えられなかったばかりか、完全に論破されていたではないか。衆院でこのA案に票を投じた263人に及ぶ議員たちは本当に責任が持てるのか、そもそも自分のしていることがわかっているのか、「移植を待つ人が居る」というプレッシャーだけで後先も考えずに票を投じたのではないのか。審議はたったの8時間だったという。

 僕は今回このA案を提案し推進した自民党の中山太郎、河野太郎をはじめとして、票を投じた民主党の小沢、菅、岡田らを含めた議員たちを絶対に許せない。名前と顔はずっと忘れない。小児の殺人と臓器売買に道を開いたものたちとして、未来の法廷で裁かれんことを!

 

 どうしても再考を求めたい。参院とその前の議論で、議員諸兄には、せめてこういう問題だけでも「良識」を持って考えて欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

「1Q84」

2009. . 17

 その発売を楽しみにして、どうも出版する側にも多少「焦らす」魂胆はあったようだが、手に入れた久しぶりの村上春樹の新作長編である。第一巻の中に出てくるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻と第2巻と同じに組み立てられている。「・・・まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。」

 その通りで、スポーツインストラクター?で実はテロリストの美貌の女性、青豆の章と、青豆と同い年の予備校数学講師で小説家志望の天吾の章が交互に語られる。各巻二十四章、あわせて四十八章。村上小説では珍しく基本が三人称だ。

 

 青豆がひとつの「仕事」を果たしに渋滞した高速道路から非常階段を歩いて降りてゆくとき、ちょうど「不思議の国のアリス」のように、青豆はその世界が自分の覚えのある世界と変わってしまっている事に気がつく。1984年でなく、1Q84 と呼ぶことにする世界へ。風景とルールが変わってしまっている世界、月が2つ見える世界である。青豆は、警官の制服が変わり持っている拳銃が新式のそれに変わっていることが気になり少し前の新聞を調べる。山梨山中での過激派と警官隊の銃撃戦というのがそのきっかけだったと知るが、その事実そのものを青豆は知らなかった。

 いつものように、青豆はボスである「西麻布の老婦人」のところへ行って、新しい指示を受ける。10歳の少女の子宮を破壊したカルト「さきがけ」のリーダーを殺すことである。

 青豆はあゆみという、やはり過去に親類に性的暴行を受けた婦人警官とある日知り合い、仲良くなる。2人でコンビを組み、男たちを引っ掛けてセックスをするのだ。そのあゆみに「さきがけ」を調べさせると、その暗部が色々とわかってくる。だが、あゆみはある日殺されてしまう。

 

 天吾は、旧知の編集者小松の依頼で自身も感動した応募小説「空気さなぎ」の書き直しを始める。素晴らしい内容なので天吾が文章さえ直せば新人賞をとれると小松が踏んだからだ。書いた美少女ふかえりは実はこの「さきがけ」のリーダーの娘である。7年前にそのコミューンから抜け出してきたふかえりは現在は先生と呼ばれる父親の旧友に育てられている。この先生はふかえりの父親をみつけ出したいという別の動機で小松と天吾の話に協力する。

 計画は上手く運び、「空気さなぎ」はベストセラーになる。だが、ある日ふかえりが行方不明になってしまう。これももちろん「先生」がさきがけを引き出すためにやった狂言である。ふかえりは天吾には知らせてくる。だが、そのころから天吾にはわけのわからない脅迫めいたコンタクトがはじまり、愛人を失ったりする。

 

 もちろん途中で2人の生い立ちも語られる。青豆は両親が「証人会」という宗教団体の信者だったので、孤独な少女時代を過ごしている。両親と隔絶してからは大塚環という親友とソフトボールに熱中し、その後もスポーツに才能を発揮するのだが少女時代は暗い。だが、10歳のとき青豆は恋をしている。理科の実験のとき、自分をかばってくれた少年、それは天吾であった。

 天吾はその証人会信者の娘、青豆をずっと覚えていた。天吾もまたNHK集金人の苦労人の父に育てられ、日曜日は父と集金に廻るという暗い少年時代をすごしていた。日曜日、同じく両親に連れられて布教に歩く青豆と天吾は出会っている。そんな彼を明るい世界を導いたのが数学であり小説を書くという行為であった。現在は予備校で数学を教え、評価も高く、小説も小松に眼をかけられあと一歩というところまではきている。彼はふかえりとその作品を通して「さきがけ」やリトル・ピープルと、月が2つ見える世界1Q84に関わってゆく。

 

 青豆は自分の最後の仕事と覚悟して、「さきがけ」のリーダーを殺害しに行くが、実際の彼と会っていったん思いとどまる。彼がそれを認識していることがわかるのだ。また、自分の何もかもが「彼ら」につかまれていることを知る。「リトル・ピープル」の話とともに、ふかえり、つまり彼の娘についても、天吾についても、あゆみの死の真相についても、彼によって語られる。青豆はここで自分たちが「1Q84年」に来てしまっていることを悟るのだ。このときの2人の出会いと会話がおそらく作家の設定したクライマックスだろう。例によって様々な暗示に満ちている。

 

 小説だから、まだ読んでいない人もいるとおもうのでさすがにこれ以上書くのはやめる。

 付け加えたいのはあとひとつ、この本の中で基本的には天吾は1984を、青豆は1Q84 を生きている。まさしく村上ワールドであるということ。これが納得できると初めて村上春樹を読む人にも読みやすい小説だ。

 

 冒頭から惹きこまれて一気に読める。文句無く面白い小説である。あっという間にベストセラーになったのがよくわかる。

 リアルな現代小説として読むにせよ、長いファンタジーとして読むにせよ、この小説は物語りを豊かにするすべての要素をしっかりとそなえている。

 魅力にあふれた主人公、それを待ち受ける困難、主人公の高い志と貫通行動である。

 

 また今までも村上春樹の小説にみられたファッションやセックスのディテール描写はいっそう具体的になってきている。これは英米の小説では当たり前なのだが日本の作家では珍しい。だが、1984年という年に、シティホテルで青豆に殺される男が「アルマーニのスーツ」を着ていたり、青豆があゆみと食事するとき、「フェラガモのヒール」を履いたり、あゆみが「コムデギャルソンのシンプルな黒いジャケット」を着ていたり、また青豆が最初と最後に「ジュンコ・シマダのスーツ」を「フェイ・ダナウェイのように」着こなしたりするのはとても自然だし、背景や彼らの状況を描写するうえで必要なことだと僕は思う。そういえば青豆のボス・麻布の老婦人の用心棒タマルが履く「しみひとつない真っ黒なコードバンの靴」などというのはこの用心棒のいかつくてなお繊細なこだわりをもった性格をあらわす秀逸な描写だ。また、セックスについてはシーンも言葉もあらゆるところできわどい描写が沢山出てくるのだが、ぎりぎりのところで下品にならず、これもこの小説の中でキャラクターの描写上必要な中に抑えられているようだ。

 もちろん村上作品に欠く事の出来ないバックグラウンドとして描写される音楽、古いジャズ、クラシック、そしてポピュラーの名曲、これらはたぶん同世代が村上のファンになる時の大きな要素だろうと思うが、今回もしっかり書き込まれている。冒頭とクライマックスで引用されるのは "It's Only A Paper Moon"。 みな上手く使われている。微笑んでしまうくらい。

 

 作家本人も珍しく語っているようだが、「山梨山中の銃撃戦」はあさま山荘事件を、「証人会」はエホヴァの証人を、そして「さきがけ」はオウム真理教をもちろんモデルにしているのだろう。みな僕たちが報道に接したりその中の誰かと出会ったりしている実際に起こった事件である。投げ出されているテーマは広く、実は重い。村上春樹はオウムはもちろん他の関係者にも相当取材したのだと思う。

 周知のように、この小説のタイトルはオーウェルの「1984年」をもじっている。オーウェルはそこで「ビッグ・ブラザー」を登場させ、スターリン主義を激しく批判・風刺した。

 実際には1989年からソ連・東欧圏のスターリン主義体制は崩壊していった。だがそのあと現在に至るまで、始末の悪い「原理主義」やカルトが跋扈している。キリスト教であれイスラム教であれ、あるいは右であれ左であれ、「原理主義」ほど始末の悪いものは無い。本人がどんなに「正義」をふりかざそうと、それはまさに犯罪的カルトである。ただそうはいってもなかなかこれはしつこい。この小説で示されているように、超克されねばならないもっとも現在的な課題である。

 

 これは団塊の世代のもっとも良質な精神の軌跡の総括になっている。作品自体がこれまでの彼の作品の集大成と読んでもよいものだ。

 

 このスタイルで、ぜひ続編が読みたい。もっとも村上春樹氏は第3巻、第4巻は書かないだろう。

 

 

 

 

 

辻井伸行さん

2009. . 09

 ゆうべから今朝にかけて、TVで何度もニュース映像が流れた。辻井伸行さんがヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝。彼がまだ20歳で全盲というハンディをおしての受賞だったこともあって、ビッグニュースとなった。演奏は本当に感動的だったようだ。TVでとらえられたほんの一部の音でも、会場のざわめきとブラヴォーの声、スタンディング・オーベイションとともにそれは伝わってきた。審査委員長,ヴァン・クライバーンその人に抱きしめられるタキシード姿の辻井氏の姿をみていたら涙が止まらなかった。

 

 4年に一度のこのコンクールは大変な難関であるそうだ。何曲もの課題曲を何日間も弾くのだ。彼はリストやラフマニノフの難しい曲を鮮やかに演奏しきった。会場全体がそのテクニックと表現力に打たれ、大きな興奮に包まれたようだ。大変な努力と集中力、想像もつかない練習があったのだろう。だが彼は「苦労なんてしたことはない」と、「ピアノはずっと友だち」だったから「楽しいばかり」だったと、軽やかにインタビューに答えていた。ヴァン・クライバーンはロジナ・レヴィンに師事している。ということはリストの孫弟子にあたるいわば「リスト弾き」だ。このコンクールの審査はとてつもなく厳しかったに違いない。聴衆のレベルも高い。彼はそのリストの難曲や、ベートーベンが聴力を失ったあとで作曲した曲にあえて挑んでなお彼らすべてを心から感動させたのだ。本当にたいしたものだ。確かにここではもう「眼が見えない」というハンディは関係なくなっていた。誰かが言っていたが、天才的な音楽家が優勝して、その人がたまたま眼が見えなかっただけだ。

 生まれたときから眼が見えないという。大変な苦労があっただろうと思う。眼がみえないのに、よくそこまで素晴らしい演奏が出来るものだと感動する。けれども、もしかしたら、眼が見えないから、素晴らしい音感が研ぎ澄まされ、天才的な力を育ててくることが出来たのかもしれない。譜面を読めない彼は、音を聴いてすぐ鍵盤を弾くという。ピアノがもう自分の身体のようになっているのだろう。

 この受賞はたぶん、多くのハンディを持って生きている人たちに多大な勇気をもたらしたと思う。そして、今更ながら、音楽というものの持つ歴史や世界を跨いでゆく底知れない力に感じ入る。

 

 もう30年以上前に関わった雑誌で企画実現したある対談を想い出す。五木寛之と寺山修司の対談、そこで何度も繰り返された言葉があった。

 「人間に原型は無い。」

 眼が見えないということ、耳がきこえないということ、そういうことは「原型」に対して「欠落」しているわけではない。違う形で現れているだけで、その分「聴く」力、「視る」力が並外れて優れているのだ。僕たちは盲目の音楽的天才を何人も知っているはずだ。そのとき、「差別」の話題から話はそこまで行ったものだ。オーケストラが一曲演奏するのに、ずっとヴァイオリンを引き続ける人が必要なのと同時に、ティンパニを一回たたくだけの人も必要なのだ、と。人間も、人間の社会も同じだ。原型、何らかのモデルを設定して、その通りであるか、あるいはそこから「欠落」していたり「劣って」いたりするかのように人をみるのは決定的に間違っている。

「人間に原型(モデル)は無い。」今はもう亡くなった寺山氏と最近すっかり悟りを開いたかのような五木氏は、そのとき何度も繰り返した。

 

 30年以上たった今でも、僕はこのとき刻み付けた言葉を忘れない。

 

 二十歳の辻井伸行さんは、僕たちに人間の真理を教えてくれている。

 

 

 

 

 

裁判員制度だって

2009. . 08

 菅谷利和さんという人が、再度のDNA鑑定が実現し、やっと無罪が確実になって釈放された。失った18年は長い。

 それにしても、最初の裁判で間違ったDNA鑑定と自白をもとに、誤った判決を出してしまった連中は謝罪もしない。それどころか「ベストだった」という声明まで出し、何より、再三のDNA鑑定のやり直しすらも拒否し続けてきた。この連中はいったい何なのだろう。もし少しでも前に精度の高くなったDNA鑑定だけでもやり直していたら、その分早く菅谷さんは釈放されていたのだ。途中でこの再鑑定要求を拒否した奴らというのは無実の菅谷さんを自らの怠慢と奢りのみによって10年以上監禁し続けてきた事になる。これは犯罪ではないのか。

 

 さて裁判員制度である。専門的教育を受けたはずの人間たちにしてこの不始末なのである。「自白」とその段階で「科学的」といわれる証拠があがっていたこのような事件であったとして、しかも「多数決」などで、より多くの過ちは起きないものだろうか。この制度はきちんとした議論もされずに、広告会社によって動員された「やらせ」と「さくら」による「タウンミーティング」だの、アイドルタレントやゆるキャラによる広報だの、胡散臭い話ばかりの中で、とにもかくにも決まってしまい、かつ実行されようとしている。

 あげくのはてに、当の裁判員にとって最も基本になる情報、供述調書はなんと「映像化」されるのだそうだ。

 本当に大丈夫なのか。

 

 素人が法的な判断に口を出すのがどんなに怖いことか、違う例から書いてみたい。

 

 僕は20年ほど前に離婚している。

 中国出張から帰った当時の妻が離婚したいと言い出した。すぐ後でわかったのだが、出張先の上海で男が出来たのである。さすがに自尊心が傷つけられたので、感情的にはなったが離婚自体は仕方ないとも思った。また落ち着いてみれば、もとより妻の不倫など「倫理的に」責められるほどのものでもなかった。

 だが僕たちには当時まだ幼稚園児だった男児がいた。生身の子を分けるわけにはいかないから、当然親権の問題になる。どちらかに決めなければ離婚は出来ないのだ。これはお互い譲るわけにはいかなかった。双方に弁護士が付いて闘うことになった。特に、彼女が、その男(英国人だった)を上海から京都まで呼び寄せて、子供を家に置いたまま旅行に出かけるに至って、僕は相当な闘いになると胎を決めた。どうしても、何が何でも子供は渡せないと思った。だから、その年の暮れに、彼女が子供を連れて行方をくらました時も、何とか実力で取り返してきた。親権者を争う裁判になるのだから、「真ん中にいるものを引っ張り合う」裁判など無い。ちゃんと一緒に生活しているという事実こそが大切なので、それを引き離す必要があるのかという裁判になるはずだったからだ。いうなれば、闘いになると覚悟を決めたときから、僕は「敵」の側がここまではしないだろうとたかをくくっている以上のことをいつもやったのだと思う。英国に帰ったその男に弁護士から手紙を出す、興信所を使う、旧知の仲間と図って子供を実力で取り返す、などである。ちなみに件の手紙にはぬるぬると気持ちの悪い文体の返事が来た。内容は何にも無かった。ただ粘着質で下品な英文で、それだけでその男の程度は知れた。

 

 周知のように、家庭裁判所では離婚の場合、調停前置主義といって、まずは調停委員のカップルが間に立って「話し合い」を進める。まあ、その話し合いで何とかどちらかに親権者が決まればそれで離婚できるわけだ。もちろん家裁へ来ているくらいだからそう簡単に決まる筈などない。もめるし時間もかかる。そして、「調査官」というのが来る。これもカップルだ。争っている双方、場合によっては子ども自身にインタビューしたり、地理的条件などを調査したりしてレポートを作るわけだ。そして家裁の審判官がどちらが親権者になるか「審判」をくだすことになる。これが決まって離婚すれば調停離婚というわけだ。書いていてもおかしいが、非常にご都合主義である。まず、「調停委員」はもちろん「調査官」にも一切法的な素養などは無い。僕の場合、正確には突然調査官が変わったのだが、その後で現れた方の調査官の男などは、通常の市民的常識も教養にも欠けていた。頓珍漢なことばかり云い、こちらを呆れさせたものだ。「君は相当なプレイボーイのようだが、本物の遊び人ならオンナの心をもっとしっかり捕まえておくものだ。」とか「相手は子供じゃないか。」とかくだらないことばかり言う。だが、何といっても彼らが書くレポートによって子供ひとりの人生が決まってしまうのだ。人質を取られているようなものだから弁護士も僕も丁寧に注意深く接する。すると何を勘違いするのか妙に居丈高に横柄になってくる。始末に終えない男であった。二言目には僕に言ったものだ。「君は今、こんなところに居る。」ジェスチュアで手を高く上げるのだ。信じられないが本当の話だ。、で、今度は手を下ろして「この辺まで降りてきて欲しいんだよ。」さっぱりわからない。「降りてゆく」とは何なのか、親権を譲れというのか、ここまできて争っているのにそれは有り得ない。あるいは、当時流行しかかっていたように「親権と看護権を分属」させろというのか(一時期先方の弁護士はこれを主張したがすぐやめた)、定期的な面接交渉を認めろというのか(これはその時すでに実現していて、こちらも認めていた)、ジェスチュアして怒鳴るばかりで説明が無いのだ。要は何か妥協のポイントを探れという事らしいのだが、子供を2つに分けられないのだから、「降りて来い」といっても親権はどちらかに決めるしかないのだ。言っている調査官本人が何が問題なのか内容をわからずに言っているとしか思えなかった。弁護士に対しても、「あの先生は勝ち負けばっかりしか頭に無い」などと周囲に悪口を言っていたが、実際「勝ち負け」つまりどちらかが親権者になるという以外に道はなかった。その上で、面接交渉も含めた他の親子のあり方が問題になるのだ。ジェスチュアで騒がれるような降りるとか降りないとかなどないのだ。僕も弁護士も本当に嫌になった。僕はこんな奴のレポートで大切な子供の人生が決まるのかと情けなくなった。

 そして僕と弁護士は相談して調停は「不調」にし、地裁に持ち込んだ。そのときこの調査官の言った言葉も忘れられない。「地裁に行かれてしまったら、私たちの立場が無いんですよ。」

 こちらは子供の人生とその時の自分の実存をかけて闘っているのに、「立場」ときた。いったい何を言っているのかと思ったものだ。この男には親権という(それは実は子供の権利でもある)人の一生のかかった問題よりも自分たちの家裁調査官という「立場」のほうが大切だったのだ。

 

 そういうわけで、家裁の調査官などというのは法律の勉強もしていないし、通常の教養にも欠けるというのが僕の経験だ。みんながみんなそうだとは言わない。実際、初めの調査官は少しましだった。だがそう思うのも僕のほうにひいき目だったからだけかもしれない。「どうも高学歴な女性はわがままな人が多くて困りますねえ。」これも本当にあった発言だ。聴けば児童心理学など勉強した人がなるケースもあるという。それなりの人も居るのかもしれない。だが、結局は弁護士や検事になれなかった人間が、コンプレックスを抱えたまま、人質を取られて仕方なく頭を下げている相手に威張っているだけなのではないのか。

 

 僕は、この離婚さわぎ、つまり親権の争いに3年以上をかけてやっと勝利し、離婚を成立させた。子供が成人する時にこうした経緯・事情を話した。彼も僕が親権者であって良かったと言ってくれた。親権をとって離婚した後、僕は意地のように、母親だらけの授業参観だの父兄会だの、学校関係行事はすべて参加し、2人でキャンプに行ったり、海へ行ったり、長じては英語や歴史の勉強をみたり、また僕の母や伯母の助力も得て、とにかく子供が親が離婚したことで嫌な思いをしないようにあらゆる努力をしてきた。だから子供からそういう言葉を聴いたときは素直にうれしかった。

 

 離婚もこのような裁判沙汰までやると、一度は夫婦だったのだからかけらくらいは残るはずの信頼関係もまったく消えてしまう。軽蔑や強い憎しみだけが残る。僕は遺言にも書いている。僕に万一のことがあったときにも、僕及び僕の家族の名誉・人格を著しく傷つけた元妻の献花・香典の類は絶対にこれを拒否するようにだ。(まあ無いと思うが万一あったとしてもということだ。)僕の気持ちである。そのくらい強いものだという事を息子にわかっておいて欲しいわけだ。また、離婚だけならただ感情を収めれば済んだのだろうが、とにかく親権を巡って闘ったので、その間3年あまりはそれなりにデリケートになっていた。毎日張り詰めた緊張感を持って闘っていたのだと思う。いまだに、友人の弁護士はもちろん、そのときに色々な角度で僕を支持し味方になってくれた人たちへの恩義は忘れられない。子供を取り返しに行く時には義妹と昔の友人たちの協力を得た。「民事不介入」の建前の念押しで、事前に交番まで一応根回しに行ったりした。が、なんといっても実力行使であったから、計画通りスマートに進んだから良かったものの、それは結果であって、どんな事態が起こるかはわからなかった。友人たちは逮捕される危険もある中、身体を張って僕に協力してくれたのである。また、身近にいて絶えず励ましてくれた親友や、味方になってくれた幼馴染には、彼らが皆、両者をともに知っている人たちだっただけになおのこと感謝している。知った上で味方してくれたからだ。逆に、当時事情も知らずに僕を「有責配偶者」だろうなどと軽口を叩いた人間には今でもわだかまりが残っている。本当に離婚だけだったら、普通の僕なら冗談の種にしても済んでしまう話なのだ。が、非常に神経質になっていたのはもちろん子供一人の運命がかかっていたからだ。さらに付け加えれば当初その運命に「調査官」なる素人が絶大な影響力を持って「調査」していたからである。神経質にならざるを得なかったのだ。彼らはどんな偏った情報でレポートを書くかわからない。法的な素養も、通常の常識も欠いていたから、公平・中立になることなど期待できず、つまらない一言で、彼らが僕にどんな偏見を持つかわからなかったのだ。

 

 また昔話をついつい想いだして書いてしまった。素人が裁判に影響力を持つことが恐ろしいことだと云いたかった。今回、なし崩し的に決まった裁判員制度など、本当にまだまだ練れていない制度である。例えば死刑ひとつとってもそうだ。アメリカの陪審制であれば、確か、良く引き合いに出される映画のように全員一致が原則である。そして、他の陪審制の国では死刑は廃止されている。ということは、日本だけは、死刑がなんと多数決で決まってしまうことになるのだ。僕は現代日本の社会を考えたら死刑廃止など唱える気になれないでいるものだが、死刑を多数決で出そうというのはかなり乱暴で無茶な話だろうと思う。死刑という例ひとつとっても問題だらけだ。

 

 とにかくもう来月から開始されるわけだが、一時も早く「見直し」されることを強く望む。今回の「裁判員制度」に、今のところ「良い点」などまったく考えられない。

 

 

 

 

 

 

第六感

2009. . 08

 5月後半から、けっこう楽しい思いをしている。

 鮑、海老、そしてビーフの鉄板焼きという贅沢もさる方のご好意で味わうことができ、鱶鰭のスープに北京ダックというオーソドックスな北京料理もご馳走になった。和の美しいプレゼンテーションによる懐石料理もしっかり食した。

 さてそして今回、大好きなフレンチである。日本版ミシュランに載り、雅子さんがお忍びで来るというのでちょっとばかり話題になった銀座のお店。まだ去年1度しか来たことがないのだが、美味しかったのを覚えていて、キャメル・カラーのカナーリのジャケット、パープルのシャツにダンヒルのタイをしっかり締めて、また来てみた。

 僕はここのところアルコールを控えめにしているが、まさかここでワインなしというわけにもいかない。悪酔いしないブルゴーニュを選び、発泡のミネラルウォーターをたっぷりとともにいただいた。

 

 料理は、アミューズ、前菜、スープ、みなこれでもかというくらい工夫をこらした素晴らしいものであった。しかも後味がさっぱりしているので、これなら毎日でもいける。写真は前菜。緑豆のムース、アヴルーガのミルフィーユ仕立て。ゼリーと野菜の素晴らしいコンビネーション。ここの料理は本当にアイデアが良い。

 

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 スープは野菜のクリームスープだがアプリコットが載っている。中にイカ墨のテュイルとヤリイカが入っている。これも凝ったものだった。魚を飛ばして、写真のメインディッシュ、羊肉の煮込みで洒落た味付け。ジュンサイがきれいに載っている。カトラリーは美しいシェイプのライヨール。

 

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 デザートは茄子と黒糖のムース、トマト・チャツネとヴァニラのアイスクリーム。これは甘くなく、最後のコーヒーとチョコレートまで美味しくいただいた。

 インテリアは、本物の絵があり(僕には大切な要素だ。)趣味が良い。サービスもよく、納得の時間であった。また何度でも食べに来たい。

 

 少しあらたまって、ジャケットを着てフレンチを楽しむというのは特別な時間で楽しいものだ。大切にしておきたい。僕は毎年フランスに行くが、パリでも同じことだ。来月もまた、今度はパリで、何軒かお目当ての店で、同じような楽しみを味わうことにしよう。

 

 

 

 

 

 

鳩害

2009. . 08

 政治家の使う「言葉」が軽くなって久しいが、鳩山一族のそれほど軽薄な言葉使いもあまり無いように思える。まったく恥ずかしくは無いのだろうか。多分、この男たちにそういう感性や教養は期待するほうが無理なのだろう。かつて経世会が死活を賭けてやった「政治改革」という馬鹿騒ぎで完成した小選挙区制によって、世襲政治家が当選しやすくなったのだろうが、送り出す選挙民も選挙民だとも思う。

 

  現在、またも民主党代表になってしまった兄・由紀夫は祖父を真似て「友愛」を叫ぶ。この男は、かつてあの小泉に「一緒にやりましょう」と何回も言って媚を売り、党内を呆れさせたが、今回はなんと自民党員の弟に「共闘」を呼びかけている。馬鹿につける薬はないとはよく言ったものだ。小沢に指示されてまたまた大政翼賛会のような「連立」構想でも党員にも内緒で、今度は兄弟でぶちあげるつもりなのか。

 どんな「友愛」だか知らないが、政治家を「家業」として、経世会でずぶずぶの金権政治にまみれ、今は小沢の傀儡になっているこの男はそもそも民主党の中でも札付きの「改憲論者」である。妙なところで、文部大臣のとき滝川事件という驚くべきレッドパージ事件を引き起こした祖父の「友愛」精神を学んでいるのだ。

 

 前にも書いたが、本当にこの一族、兄弟には政治に関わって欲しくないものだ。

 

 弟・邦夫は、最近「正義」をふりまわす。だいたい政治家が「正義」などと言い出したら無内容をさらけ出しているのと同じで、もうお終いである。むしろ危険ですらある。

 日本郵政の西川の「続投」が「不正義」だという。だが、小泉・竹中を筆頭に「郵政民営化」・「構造改革」を唱えた人間たちにとっては、西川は民間からつれてきた彼らのシンボルであり、彼らの「正義の味方」なのだ。僕は国民の財産を仲間の宮内に二束三文で売って転売して儲けようとした彼らのほうが、それこそ地検から追及されてしかるべき犯罪・泥棒だと思うが、まさに「盗っ人にも三分の理」である。あの選挙の時、国民はこぞって郵政民営化を支持したのではなかったのか。あれは、つまり小泉・竹中が「悪」で自分が「正義」だというなら、本気でもうひとつ口癖のように言う「信念」を貫いたらどうだ。徹底的に「構造改革」派と闘ってみたらどうだ。そんなことも出来ないくせに、軽々しく「正義」などとふれ回るものではない。

 

 僕は一度「鳩山会館」に行ったことがある。この兄弟の昔の本棚が展示されている。その読書の貧しいこと。歴史・古典のたぐいは子供の「文学全集」のレベルでお終いである。唯一、祖父一郎の師である我妻栄の本だけは少しは読んだようだが、とにかく、彼らの語彙が少なく軽薄なのは、一朝一夕に完成したものではない。長い間かかった、いわば年季の入った無教養なのだ。この兄弟がもともと政治家としてたつ資質など無いのに「家業」を親から継いだだけだったのがよくわかったものだ。

 

 おりしも、北朝鮮で金正日が三男・金正雲を後継者に指名したことが伝えられた。

 政治家を「家業」として世襲して、金権政治のただ中にいながら、薄っぺらな言葉で国民を舐めきってきたこんな連中に、北朝鮮の金日成・金正日、さらにまた続けられようとしている「世襲」体制を批判する資格などない。

 

 

 

 

 

 

鹿島茂「吉本隆明1968」

2009. . 03

 僕は鹿島茂の熱心な読者である。「馬車が買いたい」以降ほとんどすべての本を読んできたと思う。また、以前このブログに書いたように(鹿島氏と同じ)「頑固な吉本主義者」である。だから、この本は刊行が予告された時から相当期待していた。多忙な時期と刊行が重なったが、さすがに期待通りの内容と面白さであっという間に読み進んだ。

 

 それにしても、自分の吉本体験と照らし合わせて、様々なことを思い出し、再確認することの多い読書であった。

 

 著者・鹿島茂は、実に彼らしいのだが、吉本の「肯定の思想」あるいは「寛容の思想」を徹底して軸において展開する。その「転向論」にあっても、芥川龍之介や高村光太郎についての著作でも、どこまでも彼らの「出自」とそこからの「離脱」乃至は「階級移行の幻想」の問題に徹底的にこだわってみせた。もちろん吉本の視点を通してだ。そして、「自立の思想的拠点」に結実した初期吉本思想の核を、絶えざる「大衆の原像」の取り込みと、欺瞞的な「知的上昇過程」に負う「階級移行幻想」の否定(「痩せ我慢比べ」の否定)であるとした。

 

 大衆の自然な生活や欲望を制限したり倫理的に非難したりする一切の思想は根底的に間違っている。当たり前のようだが、これを言い切り、スターリン主義者を、また「反スターリン主義」を唱えながらも同じような「階級移行」の痩せ我慢ごっこや「内ゲバ」の惨事を繰り広げた者たちをも一貫して批判しぬいた「知識人」は他にいない。

 

 いつだったか僕も書いた覚えがある。例えばひとの着る物や食べる物に「贅沢だ」などと倫理の仮面をかぶってケチをつけるような人間が、実はポル・ポトの大虐殺や、文革の悲劇を生んだ思想構造を持っているのだ。当然ながらここでも同じ内容が書かれていていささか痛快であった。

 人間の嫉妬とかひがみといったものはそれ自体は自然なのかもしれない。だが、それは本質的に人間の中の最も卑しい感情であると言っていい。その卑しい観念を組織すれば、卑しい組織や卑しい運動しか生まれようが無い。スターリニズムやその残骸というべき毛沢東主義というのはそれをやったのだ。それが陰惨な粛清や虐殺を生んだ。もちろん文革もそうだし、連合赤軍の悲劇もそうだ。話がそれるようだが、この本にもあるようにこれは決してそれているわけではない。

 僕はスターリニズムを生み出したロシア革命後のボルシェヴィキをまったく評価しない。また「歴史的制約」などといってそれら旧ソ連・東欧諸国の体制を肯定するあらゆる思想に組しない。またスターリン批判以後、強固に残った左翼スターリン主義ともいうべき毛沢東主義とは徹底的に対決すべきだと思っている。

 連合赤軍両派の生き残り指導者、赤軍の塩見孝也と革左の川島豪(91年没?)がある対談で89,90年の東欧の激動、チェコのビロード革命に対して、「歴史が逆のほうへゆり戻されてしまっている・・・」と語っていた。これこそが彼らの正体(スターリニスト)だ。全くとんでもない奴らである。彼らを「新左翼」などとは本来は言えないはずなのだ。連赤事件直後、僕は安保ブント書記長・島成朗氏の話を聴く機会があったが、氏は「共産党から脱してブントを結成した大きな柱は反スターリン主義だった。それが10年以上経ったら、ブントから割れていったはずの部分が何故毛沢東主義というプロ・スターリン主義にかぶれるのか・・・」と嘆いていたものだ。

 

 折りしも、今年はビロード革命20周年、天安門事件20周年である。ビロード革命は勝利し、現在その記念日は祝日になって、プラハ・ヴァーツラフ広場には当時の「反革命」共産党員政治指導者たちの写真が掲げられる。市民の記憶を風化させないためだ。一方、当局側発表でも300人以上という犠牲者を出し、敗北した天安門における闘いは、生き残った共産党権力によって無理やり忘れ去られるよう仕向けられている。毛沢東主義者たちは自らの権力にしがみついているのだ。

 

 スターリニストたちは形を変えてまだまだ健在なのである。だから、吉本の言う、この種の「痩せ我慢比べ」は、この日本で現在でもしつこく顔を出す。反核、環境保護、フェミニズム、反貧困、形を色々とかえて。だが結局は人の良い、上流にせよ下流にせよ出自にコンプレックスをもっている人に対する「脅し」でしかない。一般的にそれ自体として反対しようが無い事を声高に主張し、「苦しんでいる人がいる」のに君の生活や行動はそれでいいのかと脅すわけだ。脅している人間の活動が検証される事は無い。戦時中、「戦地で頑張っている兵隊さんの苦労がわからないのか」とか「アジアの貧しい民衆の解放」とかファシズムにさんざん脅された吉本は徹底的にこの種の「脅し」を批判し、ファシズムもスターリニズムも、「反スターリニズム」前衛主義も同根であるとしたのだ。吉本はこれらを「前衛的」コミュニケーションと呼び、コントラ「前衛」コミュニケーションを対置した。

 

 さて、この本を読むとつい色々想いだしてしまうのだが、僕は高校時代、友人から借りて「自立の思想的拠点」を読み、特にその『日本のナショナリズム』に感動したのをよく覚えている。例の「上げ底化されたナショナリズム・大衆の意識」のくだりである。鹿島氏ではないが、僕もなるほどこういう捉え方が出来るのだ、本当に世の中はそういうものだと共感したものだ。それから、いわばこの鹿島氏の本と逆の順序に、「高村光太郎」や「抒情の論理」、「芸術的抵抗と挫折」を、また「言語にとって美とは何か」を読んできた。そして僕あるいは僕たちにとって決定的だったのは、その頃、勁草書房「吉本隆明全著作集」が刊行開始されたことだろう。特に「政治思想評論集」は熟読したものだ。

 そんなわけでそれ以来僕は「吉本主義者」になった。もちろんこれは教条を排することであって、また、本当の「コントラ前衛コミュニケーション」を目指していたので、吉本を教祖と仰ぐ人や組織とは無縁のことである。

 

 また、僕は自他共に認める「下町っ子」なので、吉本が谷中・千駄木あたりから動かない感覚も、この本にも幾度と無く引用される、高村や芥川について語る文章に出てくる「下町オリエンタリズム」もその批判もよ~くわかる。人の良い人を脅すような「階級移行」幻想とも、「知的上昇」による階級離脱などにも最初から無縁だったからだ。

 僕の実家はわずかながら資産があったので何とかやってこられたが、そもそもサラリーマン家庭ではなかったから、世に言う「高度成長」や「所得倍増」とはまったく無縁であった。下町の中にあって傍目には豊かに見えていても「フロー」のほうは大変だった。最近昭和30年代ブームとかでやたら下町の風俗を懐かしがる人もいるようだが、身体で知っている僕としては懐かしいよりも一時も早く脱出したい環境であった事を思い出してしまう。

 吉本はこの辺の自分の気持ちまで当時からよくわかってくれているようであった。読み親しんだ理由のひとつである。

 

 これも我田引水だが、高校時代、僕は「生徒会無関心の弁護」というスピーチを弁論大会でやって入選した。「無関心」を非難されるいわれはないという趣旨であった。

 当時も、「ベトナム戦争」について、あるいはさまざまな社会問題について、もっと「関心」を持てとか、それについて「討論しよう」とか、「生徒会」に関心を持って参加しろとかいう僕の言う「優等生」たちがいた。僕はそんな連中が大嫌いだった。僕は当時反戦デモに参加していたが、僕の経験上はっきりいえたのは、「関心を持って討論したがる」奴らと本当に一緒にデモに来てくれる奴とはまったく別だという事だった。

 だから、吉本の「大衆の原像」とまで深いところまで行かずとも、要するに、日常の生活と関係の無い事に「関心を持つ」という事がそれほどの事でもないというのはよくわかっていた。

 

 つまり僕は、組織も運動も、既成左翼とまったく違う、新しくポジティヴなものを、いつも求めていたのだ。それもこういう吉本の読み方をしていたからである。

 

 だから、高校での僕たちのささやかな学園闘争にあって、愉快なことに、日頃、政治などに興味を持たず、私立女子高生とのデートや、スポーツや、お洒落にしか関心のない高校生たちがヘルメットをかぶり、バリに入り、文部省デモまでやってきたことや、あるいはまた大学での学費闘争が、それこそかつてなく大きな大衆的規模で闘われたことに、僕はオーガナイザーの一人としてひそやかな自負を持っている。

 

 というわけで、実に色々と考えること、想いだすことの多い読書であった。それにしても痛快だった。鹿島氏の吉本の読み方、思想の核の捉え方に本当に共感するからである。

 

 最後に東京人としては、この本に頻繁に登場する「山の手」と「下町」という語句、地域について一言。

 最近は混乱しているようだが、本来東京人にとって「山の手」とは、その名の通り山手線の内側、特に、文京区、千代田区などの高級住宅地を中心とした地域を言う。つまり、間違っても郊外、杉並や世田谷、まして私鉄の沿線のことは最近では高級住宅地が開発されたとしても「山の手」とは言わない。このへんが最近東京に来た人たちにはどうも通じ無い事がある。同様に「下町」とは、銀座、日本橋、浅草、等を含む中央区、台東区あたりのことを指し、足立、荒川、まして江東区を下町とは言わない。これも同じことだ。少なくとも、芥川、高村そして吉本や鹿島氏がいうときの「山の手」と「下町」はオリジナルの使い方である。

 

 どうも最近は混乱が過ぎるようで、東急沿線を「山の手」と言う人がいたりして、別の本で福田和也がこれと同じような、つまり僕と同じことを言ってオリジナルの意味を強調していた。ちなみに彼は田端の丘の上、下町と山の手の境界の出身のようだ。僕などよりはるかに、この語句の使い方が気になるようである。

 

 それにしても、ストレートに世代的「吉本体験」を語った出色の鹿島茂「出身階級的吉本論」であった。

 

 ここへ来て、村上春樹「1Q84」も含め、次々に読みたい本が刊行され、これから6月いっぱい読書に忙しい。またブログのネタが尽きない。

 

 

 

 

 

歌舞伎と芝居

2009. . 02

 5月は僕の仕事のハイシーズンだ。特にこの後半はビジネスに集中した。

 

 だがアーティストの来日とすばらしいお客様のご好意とが重なって、もうじき改装されてしまう歌舞伎座での歌舞伎見物をすることが出来た。ゆうに5時間をこえる長い時間であったが、席もよく、ヨーロッパからのゲストとともに少しも飽きずに楽しむことが出来た。団十郎の「毛剃」、海老蔵の「神田ばやし」などさすがに名演であった。

 

 

 また先日ブログに書いた亡くなった友の伴侶と20年ぶりに会うことが出来た。その時話に出たのが今回観に行った芝居、鴻上尚史「僕たちの好きだった革命」である。彼女のお嬢さんが鴻上氏に取材されたのがきっかけだったとの事だが、主演の中村雅俊とクラスメートだった彼女はパンフレットにも登場する。それを読むと中村氏も30年以上「消息不明」で会っていなかった彼女と再会できて喜んでいたのが伝わってくる。

 大変な苦労もあったはずだがそれを感じさせない、明るい性格と育ちのよさ。彼女とまた会えたことは僕の人生にとっても大きな出来事だ。やはりいつでもポジティヴ・シンキングでいこうと思った。

 

 芝居のほうも親友と観に行ったが、笑ったりほろっとしたり、こちらも飽きさせない良いステージだった。客層も年代が幅広い。劇中の高校生近くの世代から団塊までといったところ。鴻上氏は各世代のいわば「泣き所」を押さえ、あざといくらい笑わせ方も心得ている。

 

 忙中閑ありでよい時間だった。僕は映画も好きだが、ステージで生の役者たちが闊歩するのはやはり格別である。古典と現代劇と、この時期に両方楽しめてラッキーなことであった。

 

 

 

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