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いつかみた構図

2009. . 17

 必要以上に急いで代表選が行われ、民主党代表は鳩山(兄)に決まった。多くの民主党員の意図、世論とはちがう。内部事情、というより小沢の策略だったのだろう。

 鳩山は、前にも書いたが、あの小泉に対して「こちらに来ませんか・・・」、「一緒にやりましょう・・・」と懲りずに媚びを売り、党内をあきれさせていた男である。これが嫌で辞めていった人間もいる。

 何でも昔から「愛」が売り物で、二言めには「愛」と言うそうだ。かつて田中角栄が「1億の国民が美味しい食事が出来るのが良い政治だと思う、自分はそのために政治をやっている」と云い、鳩山に政治の要諦を尋ねたら、そのときも「愛です」と答えたそうである。田中派の中にあって極めつけの薄っぺらな男であった。

 だいたいこの「愛」などという一般論は、安倍の「美しい国」と同じで、人やその立場によって如何様にも受け取れる言葉だ。「正義の味方」といっているのと同じで、大の大人が政治を語るのに言っているのはむしろ危険極まりない。そもそも恥ずかしくないのか?恥ずかしくないとしたらその神経がおかしいのだ。昔から一般的にそれ自体として正しいことを声高に叫ぶ人間は絶対に信用できないものだ。

 

 小沢は代表を辞めるときから、こんな鳩山の資質を良く知っていて操るつもりだったのだろう。「御輿は軽いほうが良い」というのが彼の政治だ。かつて、海部総理の時代に、「海部は本当に馬鹿だな」とかげで言いながら操り、後ろで脅し続けていたのが想いだされてならない。誰か操りやすい軽い人間をトップに据えて、自分が影で操るというのが、小沢が最も得意とし、彼の権力志向を満足させるあり方なのだ。(本人は「口下手」だし、党首討論など真っ平ごめんという輩だからだ。)まして今回は「政権交代」のかかった代表選である。民主党代表が総理になる可能性が高いのだ。そうなったら小沢が権力を取ることになる。いつかみた構図である。

 

 僕は危機意識を持っている。麻生もひどい政治家だが、小沢に権力を取らせたらもっとひどいことになりかねないからだ。かつて権力の絶頂にいた頃、外には、「普通の国」になるなどと言って、参戦国化もものともせず、内には、消費税は10%に、参議院は世襲にしよう、などと好き勝手なことを主張していた男である。

 

 

 結局、政権交代を望んでいる多くの人々の意志と無関係に、鳩山を代表にしてしまった民主党。小沢はまだまだ色々仕掛けてくるだろう。一度あきらめかけた「自民党との連立」などという大政翼賛会のような事だってまた言い出しかねない。今度は鳩山に言わせるわけだ。いずれにせよ、こんな「小沢私党」であることが変わらなければ、前にも書いたように、僕は民主党というのは戦後最悪の政党であり続けると思う。

 

 

 

 

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昨日

2009. . 12

 やっと、小沢が辞めた。ときすでに遅しという感があるが、居座り続けるよりはましであろう。

 それにしても後味の悪いことである。「政権交代のために」辞めるというのだが、つい先日まで「政権交代のために」続投すると言っていたのだ。わけがわからない。まさに「日和見」でありご都合主義である。本当にこの男にとっては「政権交代」というのは政治をやる手段でなくおのれの権力欲を満たすための目的になっているのだなと思う。また、ゼネコンからの巨額の献金についても、「疾しいところは無い」などと開き直る。合法だと言いたいのであろうが、そんなことは当然だ。(違法なそれだったらそもそも話しにならない。僕は違法でもあると思っている。)違法、合法に関わらずその巨額の献金自体に大きな反感があるから「辞めるべき」だという世論になっていたのだ。

 僕が何度もこのブログで書いたように、経世会直伝の、田中・金丸と同じ金権体質そのものが問題なのだ。それについて小沢本人はもとより、民主党のだれからも発言らしきものすらない。党自体の責任も問われているのにである。今回、この民主党という政党の情けなさも浮かび上がったわけだ。

 同じ経世会出身の鳩山幹事長も、小沢を辞めさせることも、逆に辞めるのを留めることも、この間ずっと出来なかった。ただ振り回されただけだった。多くの民主党党員のそれは鏡であった。誰も小沢にものをいえない雰囲気だったのだろう。

 一度小沢たちにのっとられた以上、もう民主党などどうしようもないのか。代表が変わったところで何が変わるのか。幹部党員たちはここで、小沢問題を総括し、その経緯を説明したうえで、明確に今後の政策・方針を示すべきだろう。小沢本人はむしろ、このままでは「代表」でなくなったのをいいことに、影響力を今まで以上に強くする魂胆だと思えるからだ。

 いずれすぐに選挙だ。個々の選挙区ではこんな事に関係なく民主党候補は善戦するのだろうか。「政権交代」はあるのだろうか。まったくわけがわからないが、とにかく小沢が辞めたことだけはまずは良かった。本当にこういう男には一刻も早く政治から身を引いて欲しいものだ。

 民主党も自民党も、社民党も共産党も、心ある人は現存の政党にとらわれず、ここで考え直して再編統合の方向を切り開いて欲しい。それこそ民主主義だ。どの政党ももう「耐用期限」を過ぎている。

神保町のカフェで

2009. . 11

 喫茶店でコーヒーを飲むという事を、僕は高校時代に覚えた。以後、やめられない習慣である。神保町の書店、古書店を歩き、なじみの喫茶店に入り、コーヒーを注文する。買ってきたばかりの本をぱくりと開けて微笑む。本好きならたまらない至福の一時である。

 そのころは、神保町の交差点に神田日活があり、その裏に行きつけのHというジャズ喫茶があった。やがて閉店してしまった。入れ替わるように、現在まで30年ほど通っているのが、オーナーの名をとったこの写真の店である。

                    トロワバグ

 

 お馴染みだったマダムが昨年亡くなり、現在はお嬢さんが仕切っている。僕は仕事柄、全国の街に行って、よくコーヒーを飲むが、こちらで淹れてくれるコーヒーはさすがに天下一品である。いまやどこでも飲めない、ここだけの、何年か寝かせたオールドビーンズ、深煎り、ネルドリップ。海外でもこちらのコーヒーが恋しくなることがある。

 先週末、またまたここで買った本を読んでいた。

 

 「柄谷行人政治を語る」、小嵐九八朗のインタビューによる本である。

 少し前の岩波新書「世界共和国へ」で体系的・論理的に展開した内容と、60年安保以後の彼の思想形成が率直に語られていて読みやすい。

 柄谷氏は60年安保闘争後解体してしまった社学同の再建に関わり、この本でも触れられているが61年、有名な「駒場アピール」を書いた本人である。素晴らしい、深い洞察力と理論的な内容を解りやすく表現できる力を持った思想家である。彼は元社学同だがインタビューアーの小嵐氏は周知のように元解放派の活動家であった。愉快な取り合わせで内容も興味深いものになった。

 

 柄谷氏の思想的な歩みの到達点というべき、そして今回もまた彼がこのインタビューで強調してやまなかった事、それは前著で理論的に語ったことだが、「国家は、その内側からは決して揚棄されることは無い・・」という事だ。マルクスも、下部構造、経済的諸関係が変革されればいずれ国家は揚棄されると考えていたが、まさにそこに陥穽があった。また、ロシア革命後の変質、「国家社会主義」という言語矛盾としかいいようのないとんでもない体制が出来上がってしまったことも、根底にこの認識の「甘さ」があったとする。

 共同幻想としての国家は、何よりもまず、他の国家に対して国家なのである。だからその国家を揚棄するためには、国家の内側、下からでは駄目で、それらを統合しうる、「上に立つ」連合を構想しなければならない。彼はそこでマルクスからカントに、「永遠平和のために」の構想に行き着く。

 なお、今回のインタビューで彼は、日本国憲法・9条も背景にはこのカントの思想・構想があると語った。

 ついに、柄谷氏にしてここまで語ったのかという気分で、溜息をついて僕はこの本を読み終えた。

 

 彼は勿論、一般的な「護憲」論者などではない。それでも現在にあってはこういうことも主張せざるを得ない。それだけ困難な時代だということだ。

 

 少し前から、世の中が改憲論議でやかましい。安倍晋三などという、最低限の国民の審判・負託も受けずに総理になった男が、何を勘違いしたか改憲の大号令をかけたりした。安倍という男のイデオロギーは、自民党保守というより、冷戦時代の赤尾敏率いる愛国党とか、街を大きなスピーカーでがなり立てて廻る右翼のそれである。およそ、世間が多少左にふれているときは、左翼的な言説がかなり幼稚でもまかり通ったものだが、現在のように右傾化した世間にあっては、逆にとんでもなく幼稚で右翼的な言説がはびこるというわけだ。

 

 「9条の改正笑ひ言ふ議員、このチンピラに負けてたまるか」

 辺見庸氏が著書で引用した、岩田正氏の歌である。

 偏狭なチンピラたちの号令に乗ってしまうのか、少しはまっとうにものを考えようとするのか、時代はもうそこまで来ている。

 安倍「子供会」総理、福田「駄々っ子」総理、麻生「漫画」総理と3代とも選挙という国民の審判を受けていない総理を僕たちは押し付けられているのだ。安倍の「戦後レジームの解体」(何のことだ!)などというすさまじい右翼的再編の政治的流れを形成され、そこへもってきて小泉・竹中改革によって直接大きな影響を受けざるを得なかったアメリカ発のこのたびの経済不況である。

 これらに対抗すべき政治的軸も無く、経済政策・解決能力も無く、旧い自民党の最悪の部分である経世会の小沢や鳩山が野党民主党を牛耳って「政権交代」を空しく叫ぶ。自民党も民主党も、若手はそれこそ「チンピラ」ばかりが眼につく。

 

 嫌な時代になってしまったものだ。

 カフェでの、のんびりした読書のはずが、あれやこれや考えをめぐらす結果になってしまった。これも仕方ない。時代というものなのだろう。なかなかのんびりさせてくれない。

 

 

 

「運命の人」

2009. . 08

 連休中から山崎豊子の「運命の人」1・2を読んだ。文春の連載が終わっているのだから、全部書き直すといわれる高村薫とはわけがちがう。3・4もすぐ出るだろう。

 

 いうまでもなく、佐藤政権時の沖縄返還にからむ日本政府と米政府の「密約」について、またそれを暴露し、情報入手方法を権力によってスキャンダルとして逆に追求され訴えられた、毎日新聞の西山太吉記者と、不倫関係を暴かれ、情報漏洩・公務員法違反で有罪となった外務省の蓮見喜久子事務官をモデルに、この小説は書かれている。密約暴露は当時大スクープであった。社会党の横路議員が国会で暴いたが、権力はあくまでもこれを情報漏洩、不倫事件、スキャンダルとして葬り去った。当初、国民の「知る権利」を前面にたてて密約暴露と西山記者を支持したマスコミも、情報が蓮見事務官との関係からもたらされた事が世間に知れるや否や、矛を収めてしまった。

 

 当時の「事件」と報道を鮮明に覚えている僕たちは、登場人物をそのまま現実の彼らと置き換えて読み進むことになる。主役の2人だけでなく、時の佐藤首相、大平、田中、福田、後藤田、社会党の横路、楢崎、あるいはまた、有名な「・・・情を通じ・・」という文章を書いて、事件を政権のスキャンダルから記者と外務省女性事務官のスキャンダルにしてしまった、当時の検事で、現在は民主党にいる佐藤道夫まで、すべてモデルがいるので読んでいて顔が浮かぶ。とにかく面白くは読めるわけだ。そして、なんと今に至るまで日本政府はこの「密約」の存在を認めていない。アメリカ合衆国政府が公式に認め、また当時の日本側外務省の窓口責任者(吉野文六氏)も証言しているにもかかわらずである。

 

 ただし、そうした「置き換え」がなければ、小説のキャラクターとしてのこの主役2人にはまったく魅力が無い。従って小説としてはつまらない。

 およそ物語りの面白さは、何といっても主人公のキャラクターの強烈な魅力と、その主人公にかかる負荷の重さによって決まってくる。ところがこの小説の主人公には魅力のかけらも無い。ただただ横柄で、傍若無人、記者のエリート意識を剥き出しにしているだけだ。そして何とかスクープをものにしたいという執念が、言っている様に「国民のため」などではなく、実は出世欲、権力欲にすぎないのを自分では意識できずにいる。ただの偽善者としてこの「密約」の情報を入手し、実に浅はかなかたちで暴露してしまい、情け無い事にニュースソースも明らかにしてしまう。情報を出す側の女性も平凡で通俗的な、単に「あざとい」だけの女として描かれている。なぜ彼とそれこそ「情を通じ」るに至るかが、その必然性がまったくこの話ではわからない。そうした意味で、ドラマとしてものすごく「浅い」小説である。モデルになった2人が気の毒なくらいだ。

 

 まあ、この種の小説にケチをつけても仕方ない。ノンフィクションのような取材に裏付けられた迫力があるのでとにかく読ませる。「密約」の存在といまだにそんなものは「無かった」といい続ける政府という構図の中で、またあの時代の中で政権によって人生を台無しにされた2人、西山記者と蓮見女史を思い、とにかく最後まで読もう。西山氏本人の岩波新書「沖縄密約」とともに読むのが面白い。

 

 

 

木下ときわ

2009. . 07

 連休の最終日、幼馴染みのGFと、木下ときわの谷中BOSSAライヴに行って、思い切りリラックスした。彼女のヴォーカルとギターの新美博充とのデュオ(ドイス・マパス)に千田さんというパーカッションのゲストだ。オリジナルを前後に沢山、真ん中は例によってサンバ、ボサノヴァ、ブラジル各地の様々なリズムの紹介などを入れ、楽しい夜だった。

 

                     tokiwa.jpg   

 

 連休前のブログにも書いたかもしれないが、ボサノヴァはリラックスしたい日常に欠かせない。今年はボサノヴァ誕生50周年だそうである。僕は聴きはじめてもう40年以上だろうか。アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウ・デ・モラエス、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ワンダ・サー、メネスカル、エリス・レジーナ、ミウシャ、シコ・ブアルキ、バーデン・パウエル、トッキーニョ、ナラ・レオン、その他みんな,ボサノヴァのアーティストはファミリーかクラブのように人脈がつながっている。みんな仲間なのだ。

 数年前、ワンダ・サーとメネスカルがデュエットで青山でライヴをやった時も、翌年だったか、同じ場所でミウシャが歌った時も、僕は出かけていって思い切り楽しんだものだ。

 僕たちは音楽を聴くだけで彼らののクラブに参加することが出来る。ボサノヴァはそのくらい楽しい。

 今回、サンバ、ボサノヴァのほかにいくつかブラジルのリズムをパーカッションの千田さんという人が教えてくれた。楽しかった。

 

 子供の頃学校で教わる。音楽の3つの要素はリズム、メロディ、ハーモニーであると。でもそれは3つが同じように重要というのではない。音楽を音楽たらしめるもっとも基本になる要素、それはもちろんリズムだ。リズムがなければ「音楽」は音であって音楽ではない。逆にリズムがあればすべては音楽だ。

 ブラジル音楽の様々なリズムを駆使した曲の数々と、木下ときわののびやかな声に癒され、連休の最後に実にいい夜であった。

 

 

 

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