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オバマ大統領就任

2009. . 21

 眠かったが、何とかTVで午前2時からの就任式の模様を観ることが出来た。ゆったりしたチェスターフィールド・コートを着て登場した47歳のオバマは充分落ち着いていてすでに大統領としての風格を充分漂わせていた。

 はたしてその就任演説は、味わい深く感動的なものであったが、今までの選挙戦キャンペーンのときのような熱っぽいものではなかった。"Change" も "Yes,we can" の絶叫もなかった。当然のことである。彼はもはや一民主党員ではない。共和党・マケインと大統領の座を争った候補でも、ましてヒラリーと民主党の指名争いをやった候補でもない。アメリカ合衆国大統領なのである。その影響力は全世界に及び、あらゆる人種のるつぼともいわれる合衆国の全市民に、政敵まで含めて彼は責任を持っているのだ。もう「はじめての・・・」どうこうなどといっている場合ではないと彼はしっかりと認識していたのだ。前夜には大統領選を闘ったマケインと抱き合って聴衆に挨拶し、民主党でのライバルだったヒラリーを国務長官に据え、まさにアメリカ合衆国を代表する大統領として就任演説をやったのである。200万といわれる聴衆のなかには涙を流している人が何人もいてカメラに映し出されていた。また演説のポイント、ポイントでは立ち上がって拍手する高官たちもみられた。まぎれもない大統領としての名演説であった。

 一国のリーダーになりながら、いつまでも自民党という1政党、その中の1派閥、そして特定の財界しか代表しない日本の総理はこういうところを見習うべきだろう。軽薄で奇妙な国際貢献とか、派兵とかを考える前にである。間違っても、麻生だの小沢だのがこのオバマ大統領と並ぶのを見たくないものである。日本人として恥ずかしい限りだ。そう思うのは僕ばかりではないだろう。

 

 それにしてもオバマはアメリカの現代史の中でもきわめて危機的な状況の中で大統領に就任したものだ。もちろん彼はスピーチでこの内外の大きな2つの危機に触れた。内にはもちろん金融にはじまり、ビッグ3の倒産まで視野に入った未曾有の経済危機である。この危機の原因の一端は、「一部のものの強欲と無責任による」と彼ははっきり言い切った。また「監視しなければ市場はコントロールを失い、富めるものばかりを国家が優遇すればそのような国家の繁栄は決して長続きしない」とも言った。ブッシュ時代の市場原理主義・新自由主義へのはっきりした批判である。かわりに「グリーン・ニューディール」を掲げ、新しい経済政策を打ち出しているが、それが簡単でないことをしっかりわかりやすく述べていた。外には、イスラム世界との軋轢であるが、「理想と安全とを同時に追求するのは不可能だ」という「思い込み」を捨て、そのイスラム世界とも根気よく対話することを打ち出した。核兵器廃絶の方向も示した。ともに勇気の要る発言であり、こちらも前政権との際立った違いを示したものだ。今回の就任演説の全体が、実は、交代のために笑顔で並んだブッシュ前政権の政策の否定、それとの決別を断固として打ち出していたのである。

 この就任演説の方向性を、内外政策のどちらをも、ブッシュ政権の路線に追随してきた日本の政治・経済のオピニオンリーダーを自称する人々によく覚えておいて欲しい。経済では「改革と規制緩和」の名のもとに荒々しい市場原理主義で「富めるもの」優遇を言い、政治・外交では、「憲法第9条」は理想論だから現状と合わない、他国と戦えない、もう古いから変えるべきだという、オバマと反対の言説ばかりがまだまだ日本では勢いが強い。アメリカで過去が反省され、こうして新しい時代がはじまっているというのに彼らは開き直るばかりだ。

 

 もちろんオバマ大統領は今後かなりの困難にぶつからざるを得ないだろう。課題はあまりにも大きい。内外の危機ともに前政権や「一部の強欲なものたち」によって作り出され、残されていったものだが、もうそれも言っていられなくなった。そして国民の支持と協力なしに何も進まない。だからこそ彼は「新たな責任」を、そしてアメリカ国民の連帯を強調したのだろう。

 ただ今後オバマがどんなに困難に苦しんでも、あるいはいくつかの局面で失敗を余儀なくされたとしても、彼が大統領に就任したことそれ自体が、歴史に残る偉大な出来事であったことに変わりはない。全世界がこれからの彼を希望を持ってみつめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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吉本隆明

2009. . 19

 1月4日のTV番組で吉本を観た。(このETV特集は良い番組で先日の加藤周一に続くものだ。)最近の講演に行っている人は知っているのかもしれないが、とにかく老いていた。しかししっかりしていた。感動的であった。部屋の中をはうようにして歩いているのに、講演に車椅子で登場するのに、その話のなんと明晰なこと。(話し方はあいかわらず上手いとは言い難いが。)

 僕は頑固な吉本主義者である。吉本を読み込んできた人なら解ると思うが実はこれは教条主義を排する事とイコールでもある。また、吉本を読んでいない人、半端にしか読まなかった人からはよく揶揄されることになるものだ。ただ、その僕にして、最近出版された本の内容というか無内容にがっかりしていたものだ。「中学生の社会科」とかいう本にいたってはこれが吉本かと疑うほどわけのわからない粗雑な文章だった。そこに「老い」を感じた吉本の愛読者も多かったと思う。今回の番組はそんないわば「余計なお世話」を思い切り吹き飛ばしてくれたようだ。親友はこれをDVDに落としてくれたそうなので楽しみにしている。貴重な記録になって残るだろう。

 

 吉本がいろいろと、敗戦時の経験から、世界認識の必要性、アダム・スミスなど経済学、特に労働価値説の読み込みなどを説明していくその内容は、吉本の読者にはお馴染みだろう。どこにアクセントを置くかの違いがあるだけだ。だからこれもずっと吉本が云って来たことではあるが、今回とくに、彼が「死ぬ前に」とでも言いたげにアクセントをおいて最後に繰り返したこと、それは「言語の根幹は沈黙だ」ということだった。コミュニケーションの道具としての言語というのは、それは枝葉であって、根幹は沈黙なのだと。これはかつて「言語にとって美とは何か」を読んだひとはすぐ了解できる彼の言語思想の中核である。自己表出と指示表出のことを言っているのだ。さらに最近まで追及し書きつづけられた「心的現象論」でもふれて再確認している。

 僕は高校生の頃一知半解ながら懸命にこの「言・美」を読んだものだ。当時の国語学の権威はこれをこぞって批判していた。みんな「国語学になっていない」とでもいいたげなさかしらげな批判であった。有名な、原始人が海に出て「海(う)」と発するくだり、その「さわり」の意識のくだり、ここに吉本は自己表出、言語の発生と本質をみて議論を展開するのだが、当時の権威ある学者たちはこれがわけがわからず、その段階ではそれは「言語ではない」と云ったものだ。もっともそんな風にきちんと批判した学者はまだいいほうで、多くは当時「詩人」でせいぜい「評論家」にすぎず、大学教授でもない吉本が体系的な書物をものにしたこと自体に、アカデミズムの世界からの不快感を表明し、無視乃至は黙殺することをわざわざ発言したものだ。今となっては、当時の学者たちの水準が吉本よりずっと低いものだったことが常識になってしまった。当書のあとがきではないが吉本の「勝利」である。この自己表出・指示表出、あるいは「喩」に関する吉本の議論は大変優れていて当時の権威に安住していた学者たちが理解すらできない高い水準にすでに達していたのだ。

 

 また、僕は当時、ずいぶん背伸びしたものだが、みすずから出版されたばかりのメルロー・ポンティ「シーニュ1」を読んでいた。クラスメートの従姉妹がみすずに勤めていたので高かった本を安く手に入れるために彼女をたずねて本郷にある個人宅のようだったみすず書房に出かけて手に入れた貴重な本であった。これも一知半解であったが何故か興奮して読んだ。(翻訳がどうも問題があると知るのはずっと後になってのことだ。)このとき、この講義録の最初、「間接的言語と沈黙の声」でメルロー・ポンティは吉本と重なり合うことを云っていた。「言語の創造的使用と経験的使用」あるいは言葉を発する時の主体の中でおこることと発せられた後でもつ意味、それらがちょうど吉本の自己表出・指示表出と対応するかのように様々に説明されていた。何よりも、色々云いながらも彼もまた「言語とは・・・沈黙である。」とはっきりと云っていた。メルロー・ポンティは根源的にセザンヌやマネの絵画、絵を描くという行為についても沈黙の言語と並べて説明できるとしていたのだ。

 そんなことで「本の虫」であった高校生の僕には吉本の「言・美」はストレートに飛び込んできたのだった。やはり当時出版された「自立の思想的拠点」、中でも『日本のナショナリズム』などよく読んだものだ。そこでも吉本は、小学校唱歌まで引用しつつ、コミュニケーションとしての言語がいかに「枝葉」であるかを指摘し、「上げ底化された」日本のナショナリズムを分析していた。僕はそのころから現在に至るまで忠実な吉本の読者であるわけだ。この年になっても、長い間吉本を読んできた事は人生の大きな支えだったと思う。

 

 正月TVばかり観ていたが、こんなおおきな収穫もあった。「言語の本質が沈黙にある」こととは考えてみれば根源的なメッセージである。人間の本質、そして近代の自由、平等という概念の本質にそれは迫るものだからだ。吉本の言う枝葉の部分の言語というのは、そのまま、様々な分野のいわば人間の優劣や「格差」に直接対応している。人間の言語という表現能力の違い、個体差、あるいは身体障害や健常、もちろんそれらはすべて枝葉にすぎない、だから自己表出という本源的なところで人間は自由で平等なのだと吉本は言っているのだ。老いた吉本の遺言のような深いメッセージだ。敗戦以降、世界を丸ごと認識できなければ自分が生きていく価値がないとばかりに、まさに「全幻想領域の止揚」を課題として長い年月をかけて研鑽に研鑽をかさねた末に、もっとも「遠くまで行った」思想家から発せられた、これはメッセージである。

訃報ふたつ

2009. . 17

 新年が明けて、尊敬していたアーティストの訃報が続いた。昨日アンドリュー・ワイエスが亡くなったそうだ。先日のブログで名を出さずにいたアピシウスに飾ってある名画のひとつはワイエスのものである。僕は画集でしか見たことのないクリスティーナの世界やそのシリーズにも魅かれたが、やはり実際の作品を数多くみてきたのでそちらの印象が強い。三越の画廊で、まだ僕が20代のときにみた冬景色の作品、よくみると氷柱のなかの白が紙の色、つまり絵具が抜いてあるのを発見して驚いたことがある。それが光に輝いているのだ。素晴らしい表現力である。画面にみなぎる清涼な空気は、もうテクニックだけでは到達しないある境地に至っていたようだ。彼の作品ははっきり言って当時から桁が違っていたので、僕は飾られているものをみて楽しむことしか出来なかった。お金を持っている人はこういうものに使ってコレクションして、出来れば他人も楽しませて欲しいものだ。

 

 12日にクロード・べりが亡くなっている。新聞には映画プロデューサー、監督、俳優としても活躍とあり、いくつか作品が紹介されていた。けれども僕にとって大事な彼の監督作品が2つとも抜けていたので書いておこうと思う。

 83年の「チャオ・パンタン」、スクーターでしがない麻薬の「運び屋」をやっている青年とガソリンスタンドに勤めている初老の元刑事、彼は実は息子を失っていて青年は彼を彷彿とさせたのだろう、彼らの何気ないが強い友情。ある日、組織との軋轢で青年は殺される。直前に一緒だったパンクの少女(これが名演、青年が借り物のバイクに乗せてやって誘う、彼女はこの初老の男に何故か魅かれてゆく。)を介して、この男が一味を追い詰めてゆく。往年のフィルム・ノワールのような秀作である。

 もうひとつはいうまでもないが(新聞はどうしてこれを省いたのだろう。)93年の「ジェルミナール」、ゾラの原作の忠実な映画化。エティエンヌに歌手のルノーを起用し、マユにジェラール・ドパルデュー、その妻にミウミウを配し、役者ぞろいで迫力のある仕上がりだ。ブルジョアの炭鉱オーナーたち家族の様子、不倫、貧しい炭鉱夫の家族と生活、エティエンヌが各炭鉱をストに組織していく過程、憲兵との衝突、アナキストとの軋轢(彼は終始皮肉な眼で闘うエティエンヌやマユの家族をみているがラストちかくで炭鉱を爆破する。)、圧倒的な描写の大作である。作品にもその名が出てくるが、ちょうど第1インターが組織されてくる頃、フランス第2帝政期の歴史考証もしっかりしているようだ。僕はこの映画を何度見ても厭きるということがない。

 いつも68年の話になるが、この年、クロード・べりはプラハの春の、ソ連軍侵入を含むドキュメントを撮ったチェコのヤン・ニェメツに協力して、チェコでは当然発表禁止になったこの貴重なドキュメントを直後に公開している。

 

 優れた芸術家が亡くなるというのは仕方ないことかもしれないが寂しいものだ。当たり前だが作品ももう出ては来ないわけで、僕たちは便利になった世の中でせいぜい過去の名作を楽しむことにしよう。

2009年新年

2009. . 14

 まずは大変な年末年始であった。イスラエルのガザ攻撃は爆撃から地上軍進軍に至り、ブッシュはこれを支持、サルコジや他国の仲介もこれを無視し、もはや無差別攻撃・虐殺の様相である。僕は政教分離のありえないハマスのイスラム原理主義など絶対に支持できないが、イスラエルの力まかせはやり過ぎだ。ブッシュからオバマへ変わる前の「駆け込み」攻撃なのかもしれない。それにしても「国際社会の批判」乃至は国連の何と無力なことか。もちろん日本は今までどおりハマス無視、基本的にイスラエル支持。つまりブッシュべったりの政府である以上、マスコミがどんなに現在のイスラエルの「残虐な」攻撃を非難しようと、その政府を国民が選んでいるのだから、ハマスはもちろん、パレスチナの人々からみればイスラエル側(敵)という事だ。(これは、日本がかつてベトナム戦争に加担していったときも同じだった。だから反戦運動が反権力闘争になったのだ。)

 

 一方、国内では日比谷公園に「年越し派遣村」が設けられ、厚労省講堂まで含めて、そこで寝泊りした人々が500人を超えた。まだこれはほんの一部の、それでも救われた人たちなのだろう。まだまだ全国に路上で年を越さざるを得なかった人々がいたと思う。そして、3月・年度末にはカットされる派遣社員はさらに増えるのだろう。野党民主党の鳩山が、「麻生政権による人災」と云っていたが、対策を打てない麻生への批判のつもりなのだろう。だがもちろんこれは「小泉政権による」人災である。竹中改革によって生み出された結果であり、当時から予測されたことであった。そのころこの鳩山は「小泉さん、こちらへいらっしゃい」と媚を売り、「一緒に改革をやりましょう」とまで言っていたのだ。まったくこの兄弟・一族には政治に関わって欲しくないものだ。その野党の親分である小沢はこれまた党内の独裁支配を固め、自分の派閥の強化で頭がいっぱいのようだ。地方周りまでして「一新会」の組織作りに懸命だ。政権交代は彼にとって手段ではなくそれ自体が目的だ。政権党の中の多数派になれば権力をほしいままに出来る。かつての田中の手法である。とにかく「もう一度」権力の座につきたいのだ。野党第一党がこの体たらくだから、世の中はますます滅茶苦茶になっていく。ブレーキが利かずどこまでも堕ちてゆく。麻生が手のつけられない莫迦だから政権交代はいずれあるだろう。だが、小沢民主党であれば、似非「改革」、消費税増税、派兵とまたしても何でもありの政権だ。いい加減にして欲しいものだ。

 

 僕はこの年末年始、ほとんどテレビを観て過ごしていた。何も出来ない焦燥感は感じたが事態を冷静に見ようとはしていた。何のことはない。若いときにもっとも反撥した生活を送っているわけだ。もちろんニュースやドキュメントばかりではない。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートやラグビー大学選手権準決勝は毎年楽しみにしている。どちらも今年は出色であった。安保ブントの集会以降ブログに手をつけていなかった。今年は取り急ぎ今日ここからスタート。楽しい話題で行きたいものだが、どうもなかなか厳しい。今年は、今月の東大安田講堂攻防40周年、オバマ大統領就任式典と就任スピーチなど書くのかなあと思っていたのだが、ややこしい事態が頻発していてどうなるかわからない。

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