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60年安保ブンド結成50周年記念集会

2008. . 22

 昨日の日曜日、「時代の転換のただ中で、"50年”を振り返る」ブント結成50周年記念集会に行ってきた。発表では140人参加とのことだった。皆さん歳をとっていたが(まあ人のことも言えない。)僕の隣にはうら若い女性が座ったものだ。演壇には共産主義者同盟の赤旗のうえに、島成郎氏、樺美智子さん、唐牛健太郎氏の遺影がかざられ、向かって左側にはなんと、11.27国会突入時に国会構内に掲げられた紫紺の全学連旗が飾られていた。僕はいまやもう若いときほど一次ブントに幻想を抱いてはいない。しかし、何度かこのブログに書いたように、60年代後半の新左翼運動が少数派の孤立した運動だったのに比して、安保闘争はなんと言っても今回の発言にもあったが、全国350万人をデモに動員した、多数の大規模な闘いであった。先頭に立って闘い、リーダーシップをとった当時のブント指導部はやはり尊敬に値すると思う。そんなわけで、生き残りの人達の話がききたくて出かけていった。

 

 蔵田計成氏の司会により、集会は黙祷で始まった。島さん、樺さんはじめブントの諸先輩はもちろん、1958年同時期の革共同創立メンバー7人のうち亡くなった6人、そして2007年7月現在の人数が報告されたそうだが多数の「内ゲバ」による死者たちに、捧げられたものだった。

 

 冒頭の基調発言は長崎浩。年とったなあという印象だったが、久しぶりの長崎節。ブントは結成されてすぐ安保闘争と遭遇する。これが幸も不幸もブントの運命を決めた。安保闘争は革命であった。何故なら、と長崎は5つの指標をあげた。①時の内閣を倒した。5.19以降、竹内好の「民主か独裁か」の言葉に象徴されるように、デモのスローガンまで「岸を倒せ」一色に変わった。そして、この大衆運動の力で実際に岸内閣を倒した。当時の政府側にもこれを「革命」と認識した人間もいたようだ。その後、「改憲」とか「再軍備」とか簡単に云えなくなってしまうのだ。②全国で350万人のデモ参加という未曾有の大衆的規模で闘われた闘争であった。(55年体制が真に確立した。)③権力を奪取した。国民、同伴知識人が主権を実感するところまできた。政治に発言し、内閣を倒せること。戦争の時代から成長の時代へ舵を切った。④日本の近代100年の歴史を終了させた。⑤第二革命ともいうべき60年代の全共闘運動に引き継がれていった。1968年革命を準備した。というわけである。ただし、当時も「ブントは安保闘争を革命と考えていなかった。」ブントはマルクス・レーニンの復古としての革命の理念をもっていた。原則論としての「革命か改良か」あるいは戦術論としての「過激か日和見か」という選択の中に引き裂かれていっただけであった。そして、ブントには「教師がいなかった」。55年あたりで知識人も底をついていたのだ。ブントとして大切に組織化してきた労働者部隊の批判、分解が始まるにいたって解体するしかなかったのが実態であった。長崎は、昨年文庫版で再版された倉橋由美子「聖少女」を引いた。「まったく安中派の連中ときたら、なにもかも、宇宙ロケットみたいに、空中に吹き飛ばしてしまって・・・。」         

 さて、結局ブントは、労働者階級が社民に取り込まれている中での、正統マルクス派の革命論をもって、つまり左翼反対派としての存在としてのみ意味を持ったということになる。そして、この左翼反対派としての党派性、(その中にだけ革命があるとする党派性)が、いわば解体した安保ブントの「積み残し」として60年代後半の新左翼諸党派に引き継がれることになる。未分化のまま安保ブントがもっていたこの党派性には3つの類型(①黒寛型②ルカーチ型、実践すればなんとかなる、③宇野派型)があると長崎はいうが、いずれにせよ、各派はこの党派性の強化の道をたどらざるを得なかった。これは「党の外は敵」という観念に向かってゆく。また、一次ブントが安保闘争に遭遇したように、これら新左翼諸党派は全共闘運動に遭遇する。ここで何がわかったのか。

 長崎ははっきり言う。「党に革命はない」のだ。安保闘争も、全共闘運動も、およそ大衆叛乱は「党から革命を解放した」のだ。まさに長崎節で締めくくった。日本に、共産党に対抗して形成された安保ブントがいずれにせよ日本の「過激派」の門を開けたのだ。

 

 続いて石井氏、これは僕には半分自慢話に聞こえた。11.27で内側から国会の門の閂を開けたのは我々だ、とか、全共闘運動のきっかけになるインターン闘争は、自分たちが、当時の医師会の武見の発言を捉えて組織化をスタートしたとか、事実かもしれないがそうでしたかとしかいえない。ただし、さすがに長い間ブントをやっていただけあって話は面白いし、なるほどと思えることは沢山あった。特に説得力があったのは、11.27以前に、東大医学部と教養学部(駒場)では、国会構内集会をはっきり方針として大衆的にオープンにして決議していた話だ。つまり他の部隊、オルグは国会前についてから突入をいわば「アジった」のに対して、東大の彼らの部隊は迷っていなかったわけだ。はじめから構内集会を大衆的に確認して来ていたのだ。ここが違う。これだから安保ブントの人たちにはかなわない。僕は昔先輩活動家から聞いた話を思い出した。「安保の時東大では」、と彼は言ったものだ。「クラスで全員国会デモに行くことは決まっていた。クラス討論では、国会突入すべきかどうかを討議したのだ」と。つまりまさしくそうだったわけだ。

 それからブントの機関誌を作っていた香村正雄氏の話、冷戦下の中国、モスクワ、プラハなどを学生新聞代表で廻った頃の話。これも面白かった。また、最後に、それこそ初期ブントの機関誌に載った綱領を上げて、「重要産業の国有化と労働者管理、金融の国有化と労働者管理、貿易の国有化と労働者管理・・・」こんなことを、本当にどうしていくつもりなのか、と改めて問いかけたのは素晴らしかった。新左翼に欠けている部分、ヴィジョンだからだ。(また、今となっては「国有化」などそもそも何の解決にもならないどころか官僚の「私物化」になってしまうことがはっきりしている。)

  ヘーゲル学者、加藤氏、マルクスはとにかくヘーゲル「自然哲学」の文章をやたらに使うが、ヘーゲルのほうはどうやらかなりいい加減だったようで、これも面白い話。早稲田ブントの宮脇氏、ほとんど東大出身者の発言の中、早稲田登場、安保ブントの4大闘争(11.27国会突入、1.16羽田、4,26チャペルセンター、6.15国会)のうち3つの闘争の被告になっているそうだから気合の入った活動家である。早稲田2文自治会から全学連中執にいたそうだが、彼からも当時らしいエピソードがl聞けた。何かの会議の後警官に追われて走って逃げていたところ、警官が怒鳴った。「捕まえろ!」で、途中でトラックの運転手らしきひとに捕まえられてしまった。だが、「僕、全学連です。」といったら、「それじゃ早く逃げろ」となったという。それほど支持されていたのだという話。また、関西の佐藤氏、京大に権力と共産党の監視が集中する中、同志社で比較的のびのびと第2次ブントまで継続的に活動できたことなど、謙虚に語られた。彼はまたブントが三分解し、その後再建されるとき、例の「つるや連合」当時であるが、つるやの会議の様子を山の上ホテルにいた島氏に報告し指示を仰いだ話など面白く話してくれた。また、最後に労働運動との連帯を強調して話を終えた。安保のときは三井三池の闘いがあったのだというわけだ。

 

 そして感動的だったのは、今なお闘っている三菱長船の西村氏と大阪中電の前田氏の話。とくに2人とも朝鮮戦争時、日共が武装闘争を進めたときに党員として活動し、その後離脱し、組織ぐるみでブントに移ってきた経験を持っているだけに、話に迫力と深みがあった。とにかくレッドパージ、占領軍、民同の敵対などの言葉がずっしりと入ってくる。力のある話であった。

 

 関西の新開氏がまとめて第一部が終わり、第2部は「運動の現在から」ということで現役で活動している人たちからの話があった。やはり関西1次ブントOBの柳田氏より、逮捕され無期懲役になっている赤軍の西川純氏への、また他の人々への支援の依頼につづき、今回結成されることになった新組織の挨拶に川音氏がたった。(この第2部の発言者の中で、僕がお互いに旧知の間柄なのは彼だけだ。高校生運動の仲間で仲が良かった。彼は僕より一年下で、教育大附高の活動家であった。)受け継ぐべき第一次ブントの思想として、彼はその世界性と広汎な共同闘争の理念をあげた。他の発言者もあったのだが昔と変わらぬアジにしか聞こえず、ちょっとがっかり。川音氏の発言だけが身びいきのようだが説得力があった。

 おなじみのインター斉唱で会を終えたが、僕のとなりの若い女性は肩に手をやったらびっくりしていたものだ。無理もない。インターの歌詞も知らなかったのだ。そんな人まで会に出かけて来てくれたことがうれしい。会場には知った顔、懐かしい顔が何人か。挨拶だけして2次会の誘いは断り、さっさと引き上げたが、楽しく有意義な休日だった。安保ブントの意義はやはり大きい。だが、発言者のひとりが言っていた。「革命いまだならず。」しかも世界は今、ますます困難な状況をむかえている。昔話に酔っている場合ではない。「革命」概念そのものが問い直さなければならないのはもちろんだが、しっかり現代世界の困難を見すえていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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また、1968年

2008. . 16

 先週末、NHKで、ETV特集「加藤周一 1968年を語る~"言葉と戦車”ふたたび」を観る事が出来た。先日亡くなったばかりの人だから最後の頃の映像である。昔、「オールド・リベラリスト」という言葉があったがそんな言葉を思い起こさせる、老いたりといえどもさすがにしっかりした発言であった。

 このブログでも何度もふれてきた68年の世界的な反乱、それに心を打たれた彼の、パリの5月におけるサルトルとの対話、プラハの春とそれが戦車で弾圧された後の地下放送の取材、などは、僕は初めて聞く内容であった。また、アメリカのベトナム反戦運動、日本の反戦運動・全共闘運動にももちろんふれていて、世界的な反乱の一環としてとらえられていた。

 このあたり、僕たちにはほぼ常識というか前提になっているが、現在、つまり、この世界恐慌という閉塞的な時代にあって、あらためてこのような放映があるということにもちろん意味があるのだろう。若い世代、20代、30代の人たちはどのような思いでこの番組を観ただろうか。

 

 先日の米大統領選に際してオバマがChange というスローガンを繰り返した。それにふれて加藤周一は68年5月のパリのスローガン"Changer la vie”「生活を、(人生を)変革しよう」という言葉をとりあげ、これはより「深い」ものだったと言っていた。日本でも「自己変革」(東大全共闘は「自己否定」とまでいった)は運動の中のスローガンであった。当時闘った人間の内面をよく捉えていると思う。

 ただ、僕の当時の不勉強だったのかどうか、加藤周一氏が、(あるいは現在「全共闘運動」になにがしかの「評価」を与えている他の知識人もそうだが、)全共闘運動、新左翼の反戦運動に好意的だったというようなことはまったく記憶にない。それほど、当時、マスコミは一丸となって「暴力学生」を非難していたのである。ベトナム戦争に加担する政府に対する非難、あるいは権力に対する非難よりもそれは一層強力なものであった。僕は何度でも云っているが、68年当時にあってさえ、全共闘運動を含めて新左翼運動は「多数派」の運動ではなかった。マスコミにも、多くの知識人にも非難され、安田講堂にあった落書きの通り、「連帯を求めて孤立を恐れず」まさに孤立した運動であった。だからこそ、その中での戦う決意が尊いものだったのだと思う。権力から弾圧され、世間からも非難され、それでもその孤立に耐えて闘う思想、まさに「自己変革」が要求されていたからだ。

 

 話が少しそれてしまったが、この番組中の白眉というべきは、やはり「プラハの春」とその弾圧後の地下放送の記録、その取材だろう。本物のジャーナリストの勇気と良心である。また、プラハの放送局を占領された後のブルノからの世界に向けたメッセージ、特にウィーン市民に向けたメッセージがあったが切迫感があり、感動的だった。よくこのようなテープ、資料が残っていたものだと思う。本当に観てよかったと思った。

 ちょっと前にブルノとプラハへ行ってきて、89年のビロード革命の意義を思いこのブログにも書いた。番組を観てあらためて思い知らされたが、68年の弾圧はすさまじいものであった。21年目にやっとむかえたふたたびの春は本当に大切なものだ。

 何度でも書きたい。旧ソ連・東欧の「社会主義」などマルクスの理想とはまったく関係がない。とんでもない社会体制であった。これらを擁護するいかなる政治思想も歴史に逆行する反動的なものであり、絶対に信じてはいけない。

 そして68年の反乱の意義もまた忘れられてはならない。

ジョン・ル・カレと佐藤賢一

2008. . 12

 実はもともとこのブログをはじめる動機のひとつに、好きな本を読んで感想など書いてみたいという事があった。本と映画と音楽、あるいは服や靴のことまで書いて、自分の趣味の活きたブログを作りたかったのだ。だが、世の中の動きが激しく、大不況に入り、また政治家があまりにも次々と話題を提供してくれるので色々そちらの方に話題が偏ってしまった。もちろん僕は読書を続けている。色々な本をとにかく読んでいる。最近の気に入った本を2つ(といってもどちらも2巻)。

 

 「サラマンダーは炎のなかに」 ジョン・ル・カレ

 さすがに面白い。登場人物の背景とその描写が深いあたり、相変わらずのル・カレである。また、イラク戦争にはっきりと反対を表明し、新聞などにも文章を載せただけあって、そのへんの事情説明などは登場人物のせりふや話の展開にいきてくる。特に最終章では彼の現在の世界認識がクールに示される。もちろん安手のプロパガンダにはなっていない。シニカルに感じられるくらい、クールで客観的だ。これがフィクションで語られるところがル・カレだ。

 

 ハイデルベルクで英語学校を倒産させ、借金にも追われている英国人テッド・マンディはドイツで英語のツァー・ガイドをして生活している。トルコ人の愛人とその連れ子もいる。物語は彼の過去へさかのぼる。英国軍人とアイルランド人母の間にパキスタンで生まれた彼は植民地インド、パキスタンで幼少期をすごすがその後、父とともに英国に帰国、パブリックスクールに進学、ドイツ人教師の影響を受け、オックスフォード大学時代ベルリンでアナキスト系の組織に参加、反戦運動を展開する。そのときのリーダーで、ずっと親友になるのがもうひとりの重要登場人物、サーシャだ。テッドはベルリンで逮捕され英国に返される。そこでいくらかの展開があるが、やがて、ドイツ語をいかして英国文化振興会に職を得て、結婚し、一児も儲け、思想的背景を隠したまま普通に生活することになる。だが、そこは冷戦下、まわりが彼のキャラクターと能力を放っておいてくれない。ある事件を通して国家機関に眼を掛けられ、スパイとしてオルグられる。組織的訓練を受けて、何度も東欧にでむき、旧友サーシャとともに2重スパイとして働くことになるのだ。このあたりの話の展開はさすがに面白い。そして冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊ののち、スパイを引退してから、話がツァー・ガイドの彼に戻るわけだ。

 

 ある日、いつものようにガイドをしている彼は久しぶりにサーシャをみつける。2人は現在の世界、イラク戦争などについても語り合い、いまだ続く共感、友情を確信する。サーシャは心酔している人物にテッドを引き会わせる。彼はある新しい活動に参加するようになる。とりあえず破産させた語学学校をその資金で再建することになる。約束どおり資金は振り込まれてくる。だが、どうもわかってはいたが背景が怪しい。テッドにスパイ時代の勘が戻ってくる。昔の仲間に連絡を取り、色々確かめようとするが、米大資本の傭兵と化した組織の動きは早かった。サーシャともども罠にかかってしまう。エンディングはすさまじいアクションとクールな後処理。現在の世界、マスコミなどへの痛烈な皮肉で終わる。これから読む人もいるのでこれ以上書かない。

 

 重厚で、かつスリリング、かわらぬル・カレ節。ファンにはたまらない、至福の読書である。

 

 僕は高村薫がル・カレの影響をすごく受けていると思ってきたが、今回またその感を強くした。ただ、ル・カレのほうが少し「老い」てきたように思う。大作家に対して失礼。それから翻訳文はちょっと読みにくい。まあ仕方ない。悔しかったら原文で読めということか。

 

 

 「革命のライオン」・「バスティーユの陥落」 佐藤賢一

 佐藤賢一の歴史小説はどれも面白い。また、新書版で読んだ「英仏百年戦争」では、百年戦争が実は英・仏の戦いではなくフランス人同士の戦いであったことが面々と書いてあって眼を開かれる思いだった。

 その佐藤賢一がライフワークとしてフランス革命を描く。面白くないはずがない。現在この2巻だが、10巻完結は2012年春の予定だ。ずっと楽しんでいけるわけである。

 

 物語は、ネッケルの登場、全国3部会の招集からはじまる。そして第一巻の主役はミラボー、この人物描写が卓抜だ。豪快で、「空気を読む」政治家である。貴族でありながら第3身分から議席を得て、3部会、国民議会、憲法制定議会とかわっていく中での彼のリーダーシップが描かれる。また、ロベスピールを子分としてはべらせ、パリの民衆蜂起の実態をみ、デムーランをアジってリーダーに仕立て上げたりする。7月14日のバスティーユ攻撃、その前の攻防などはデムーランの視点から描かれてゆく。

  

 この2巻全編はミラボーとロベスピエールを軸に展開する。革命史でおなじみの人物たちが活き活きと描かれ、これまでの佐藤賢一の小説がそうであったように愉快に一気に読み進める。背景には大変な取材と資料調査、努力があったのだろうが、そこを軽々と流れるような文章で読ませてくれる。さすがである。

 この先、10巻までの4年間が本当に楽しみだ。

麻生漫画総理(続きの続き)

2008. . 10

 麻生内閣の支持率が、新聞各紙の調査によると、当初の半分、約20%くらいになってしまったそうだ。当然とはいえ、いよいよ末期症状である。とにかく、「政局より政策」などとわけのわからないことをいいながら(「政策より政局」という時期が果たしてあっただろうか?)選挙も経済対策も両方先送りしたのだから、ただ「総理でいたいだけ」といわれても仕方ないだろう。また、この間駄目押しのように、「漢字も読めない」ことが明らかになり、「漫画しか読んでいない」莫迦で、そもそも最低限の資質にもかけていたことが知れ渡った。あれは「勘違い」などではない。何度も「読み間違った」ということは、「読めない」という事だ。あの漢字が読めないということはその熟語を「知らなかった」という事だ。文章をわからずに読んでいたわけだ。いまや小学生にまで莫迦にされて冗談のネタにされている始末だ。

 何でも英語が出来るというふれこみだったがこれも怪しいものだ。ネイティヴではないのだから、日本語がわからずいえないことが英語だといえるということは、あるにはあるだろうが、たくさんあるわけではない。日本語が漫画程度の語彙ならば英語も知れたものだ。昔、宇野という総理がいて、「ピアノが弾ける」というふれこみで、海外の要人の前でピアノを「弾いて」みせたが、とてもじゃがないが恥ずかしくてたまらなかった。海外の要人で「ピアノが弾ける」というのはああいうレベルではなく「本当に弾ける」ことをいうのだ。麻生の「英語ができる」というのはあれを思い起こさせる。先日、外務省の役人が「(麻生の英語が)先方は何をいっているのかまったくわからかった、ジェスチュアだけは面白かったそうだ」と語っていた。さもありなんである。だいたいスタンフォードの大学院に「留学」していたそうだが、学位はとっていないし、卒業したわけでもない。こんなのは普通の神経なら恥ずかしくて「留学していた」などと履歴には出せない。金の力で遊んできただけだ。―これが「留学」なら、僕だって「プリンストン大学留学」だ。(笑)

 

 そんな莫迦を総理において、現在大不況は深刻に進行している。大量の首切り、賃金カットが行われ、倒産する会社も大小後を絶たない。色々な報道に接して怒りも焦燥感も増すばかりだ。

 どうしても、個々の闘いをエネルギーとして集約してゆく力、この問題を解決していこうとする志向性をもった政治勢力がみあたらないのだ。何しろ、最大野党・小沢民主党をはじめ、自民党内の反麻生勢力なるものももちろん、基本的には、例の似非「改革」路線だからだ。根本的なところで、「何でもあり」なのだ。本当に働く人間、「今、困っている」人間のことを考えていないのがわかるからだ。小沢など、あいも変わらず権力欲だけだ。(前にも書いたが、彼は政権中枢にいたとき何をしたか、またしようとしたか、消費税増税、派兵、何でもありだ。)

 

 大きな流れとしての彼らの「改革」とは何だったか。社会保障を下げ、賃金を下げ、(金融・資本には減税して、どんどんくれてやり)、一方で投資・投機を煽り、リスクを強い、市場思考に、「新自由主義」にしていっただけだ。「貯蓄から投資へ」で普通の預金は金利ゼロにしてしまった。さらに、「官から民へ」で公共サービスを「民営化」し、株主にだけ利益をもたらし(いずれアメリカ資本になる)、そちらに現金がはいる仕組みにした。すさまじい、荒々しいまでの暴力的な「市場原理主義」、ギャンブル資本主義への道だったわけだ。そして今、そのギャンブルが破綻しているのだ。(アメリカではあのグリーンスパンまでが「謝罪」し自らの誤りを認めざるを得なかった。)

 日本のこの現状、大不況・大恐慌に対して、彼らはなんと言っているのか。なんと「まだ改革が不徹底だ」といっているのだ。まだ投資を煽って日本の個人資産(預金)をはきださせて、彼らの悪政の失敗のツケをまわし、損失を穴埋めし、さらにアメリカ資本まで救おうとしているのだ。

 貯蓄でなく投資しろと竹中は言う。「僕がこういうと日本はモノ造りの国だとかいう人がいますが、モノ造りのGDP比なんて26%くらいなんですよ。」(朝日新聞)

 馬鹿も休み休み言ってほしい。世の中、投資かモノ造りの二者択一などではない。情報、小売、流通、サービス、あらゆる領域でひとは働いている。26%しかない、ではなく、モノ造りだけでも26%もあるのだ。みなほとんどは働いて得たなけなしの現金を預金している。

 

 「何でもあり(Anything goes)」の「改革」や、まして「改革の徹底」などに二度とだまされてはいけない。自民党の麻生漫画総理はもちろん、「反麻生」であろうと、また、野党であろうと同じことだ。まずはこの手の「改革」に対してどういう立場をとるのか、しっかり見るべきなのだ。米大統領選結果と、まだはっきりとはみえないが、少しずつ表明しつつある、今後のオバマの政策が良い見本になってくれることを願う。

 

 

日常の怒り

2008. . 08

 先週、偶然TVをみて驚いた。スーパーの西友が新しい「サービス」をはじめるという。新聞広告を派手にやって、自分の店が一番安いと訴え、例えばよその店でも、そこの訴求チラシなどで1円でも安く掲載されている商品があれば、そちらにあわせて価格を下げるという。実際、レジでチラシを見せるとその価格にあわせて値引きして販売するわけだ。馬鹿なことを考え出したものだ。

 僕は外資系とはいえ小売・流通の末端で働いてきたこともあるので、こんなことをやる人間・マネージメントに心底怒りを感じる。チラシに載せて特売品を出すということは、極端に差益の薄い商品であるか特別に安く仕入れることの出来た商品であろう。あるいは場合によっては、少なくともその商品については差益を無視して、宣伝費やマーケティング経費で一括仕入れしている事だってありうる。そんな他店・他社の政策的な価格にあわせて小売価格を値引きしてどうするのだ。その差益を失うか、あるいは仕入れ業者、メーカーに圧力を掛けて仕入れ価格をさらに下げるかしかない。いずれにせよ、そこで働く人間の価値、賃金をむやみに引き下げてゆくことにしかならない。ものすごく、小売、サービスで働く人間を軽視し粗末にしたやり口である。で、すぐ想像されたとおり、西友以外の店もさらなる値引きを強いられ、安売り競争になってしまったようだ。こんなことを続けていけばすぐさま販売、流通に携わる人間、さらには卸しているメーカー、商品を作っている人々の賃金カットにつながるのは必須である。

 

 だいたい、なんでもそうだが、商品の価格が安いということはシンプルに低賃金が前提である。僕は以前1,500円のブルージーンをみて驚いたことがある。それもセールで少なくなっていたとはいえウェスト、レングスがサイズ別にそろっていた。末端価格が1,500円で販売されるジーンズがある程度以上のヴォリュームでマーケットにあるということは、誰かが物凄い低賃金、例えば1日1ドル以下でミシンを踏んでいるに違いないのだ。

 

  世界中で、どんどんこうした「安いもの探し」つまりは「低賃金探し」をやっていって、先進国は「カネでカネを儲ける」投機・投資でやっていこうとしたつけはもうまわってきている。そこへさらに国内で、実際に経済の実態といえるメーカー、小売、流通などで働く人間の賃金を下げて、株主、そして金融や投資だけはしっかり儲けていこうというのだから資本というのは強欲なものである。

The Girl in The Park

2008. . 05

 ヨーロッパからの帰りの飛行機で、いつものように映画を楽しんだ。現代の家族をテーマにした秀作がたまたま2つ。

 

The Girl in The Park

 シガニー・ウィーバーが演じる主人公は歌手であり夫と2児があり幸せに暮らしている。が、ある日幼い娘をセントラルパークで見失ってしまう。十数年後、彼女は離婚して、職を持って一人で暮らしている。偶然、娘が成長したくらいの年頃の女をかばってやり、つきあうようになる。家にも住ませてやるくらい可愛がるのだが、これがしょうがない不良で、やたらに裏切られたりして喧嘩して追い出したり、また入れたりを繰り返す。一方、息子の婚約に際して元の夫にもあったり、いろいろドラマらしい展開があるが、こちらのパーティにこの子を連れて行くにいたってクライマックスがある。どうやら本気でこの子を娘と信じ込んでしまっていたのだ。

 これから観る人もいると思うので粗筋はこんなところ、シガニー・ウィーバーは名演である。娘を失った自責の念、一人暮らしの寂しさ、ちょっと「狂って」いくぼんやりした眼、息子との葛藤、元夫との距離。すべてがもはや大女優の貫禄である。擬似「娘」として彼女の生活に入り込んでくる少女の不良っぽい役どころも良い。

 

 楽しめる映画であった。

 

Affaire de famille

 こちらはフランス映画、これは筋を書いてしまっては元も子もないのだが、サッカースタディアムの集金所に2人組みの強盗が入る。当日はクレジットカード使用不可にして現金が入ってくるようにするという念のいれようだ。サッカーファンの騒ぎとおもわれる花火、ロケット弾で主人公の家の納屋が燃えてしまう。

 

 女主人公を演じるのはミウ・ミウ、これも名演だ。実父から受け継いだ小さなブティックを切り盛りしている彼女は納屋が燃えた日、元サッカー選手だった夫から店を売ろうと提案され逆上する。また、室内で、ピストルやバッグに詰め込まれた大量の札びらをみて夫が強盗だと思い込む。夫は実は犯人ではないのだが、さすがにこれから観る人のためにこれ以上書かない。もうひとり娘がいてこれも重要な役割だ。彼女は実は犯罪そのものに絡んでいる。上手い脚本だ。

 結局、3人の家族が、実際かなりエゴイスティックでばらばらだったのが、この事件に巻き込まれることによって、愛と結束を再確認してゆくという風に作られている。

 

 現代的で大変スリリング。こちらも楽しめる映画であった。

ウニタ

2008. . 02

 日本を離れている間に、ウニタ書舗の遠藤氏が亡くなったそうである。83歳だった。

 およそ、60年代後半の新左翼運動を経験したものにとっては、遠藤氏の顔は忘れられないはずだ。僕自身は高校生のころ、他の高校生活動家もそうだったと思うが、主要な集会やデモの前後など、よく声を掛けてもらった。彼も高校生運動の様子を聞いて楽しそうだった。

 当時よく読んだ本のかなりの分はウニタで買い求めたものである。グリーンと黄色の独特の紙表紙もまだ残っている。

 

 その頃、三崎町、神保町周辺は独特な雰囲気だった。バリ封中の大学、歩いている活動家学生、落書きだらけのトイレがあるジャズ喫茶、そんな一軒に僕は弁当まで持ち込んでジャズに聴き入った。奥さんはコーヒーとは別に日本茶を出してくれた。

 時折、笛の音が聞こえ、デモの隊列が現れたり、機動隊が現れたり、また石や催涙弾が飛ぶ事態に発展するのもしょっちゅうだった。なじみの店は逃げてきた学生を入れてシャッターを下ろしたものだ; 

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 70年代に入ってウニタが閉店してしまったのはいつのことだったか、忘れてしまった。さびしい思いがしたものだ。各派の機関紙などもう読む気もしなくなってはいたが、読むことができないというのがさびしかった。確か、書籍の再販の法改正かなにかで、小さな書店という存在がなくなってゆくときだったと思う。

 やがて、前にも書いた新左翼運動の衰退とともにウニタがあったことも忘れられていったようだ。

 

 現在、僕たちは、漫画しか読まず、漢字もろくによめない首相をいだき、そんな総裁を生んだ政党から出てきた最悪のDNAを持つ野党党首が一方に控え、絶望的な政治状況をみている。これでも60年代より進歩したのだろうか。

 

ビロード革命

2008. . 02

 2週間ほど仕事でヨーロッパを廻っていた。11月17日にはブルノにいて、18日にプラハにはいり3日間ほど滞在した。11月17日は、ビロード革命記念日で、チェコ、スロヴァキアともに祝日として休日にしている。僕は18日にヴァーツラフ広場に行ったが、当時弾圧しようとした共産党幹部、政府権力者たちの大きな写真が氏名と共に展示されていた。獲得された近代市民的自由を2度と失うまいとする市民たちの決意の表れである。

 

 およそロシア革命の変質とスターリン主義による官僚制国家ほどマルクスの理想とかけ離れたものはない。俗な言い方だが、マルクスが生きて旧ソ連や東欧諸国の情況をみたら怒り狂ったであろう。しかも「マルクス主義」などと口走っていたのだ。マルクスは「共産主義社会」のイメージについては慎重に言っている。あえて具体的に言うことを避けていたのだ。ただ、「こうであってはならない」ことははっきり云っていて、資本の賃金奴隷が国家のそれになってしまったり、政治家、官僚が特権的階層を形成することは断固としてこれを退け批判しぬいていた。スターリン主義の登場によって、マルクスの理想、乃至は世界革命は100年以上遅れたといっていいだろう。市民的自由・市民社会の確立なくして歴史の進歩などないからだ。

 

 チェコ、スロヴァキアも、同様にハンガリーもポーランドも現在経済的には苦境にある。だが街を歩いている市民たちをみていて、また一部ではあるが数名と家族ぐるみ話していて、どうあっても旧体制への復古の意思など微塵もない。当然なのである。1968年のプラハの春、そして89年の“Velvet Revolution” ビロード革命を経て、やっと獲得した現在があってはじめて進歩も想像しうるからだ。

 

 IMG_0203.jpg

 

 2度と「労働者国家擁護」だとか「ロシア革命から過度期世界・・・」などという自称「左翼」の主張をまともに聞いてはならない。

 

 

 

 

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